ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

「死の街」 と 「なにこれ、腐ってる」 ②

2012-06-26 21:54:01 | 本を読んで
意識は一瞬という時間に二つのことは浮かばない。

その街を見た一瞬は(死の街だ)が浮かんだ。

リンゴを口にした一瞬は(なにこれ、腐ってる)が浮かんだ。

それと同じ瞬間に(どうしたんだろ?)とか思う、と言う人もいるかもしれないけど、

それは(なにこれ、腐ってる、どうしたんだろ?)というような意識の流れが起こっている、

ということだろう。

(どうしたんだろ、腐ってる、なにこれ?)という順序の流れかもしれない。

どっちにしろ、(なにこれ!)と(腐ってる)と(どうしたんだろ?)は別の瞬間に起こっている思いだ。

なんせ1秒に6個、思考は浮かぶそうだから。

浮かんでは流れていき、浮かんでは流れてゆく。

全部時点が異なる。

いろいろなトラブルは「黙殺」というタイトルでも書いたけど、

その現象が起こった時点と、それを観測した時点とを、

ごっちゃにしているせいが大いにあると思う。

それに観測自体が自分流であることに気付いていないことも多いと思う。

勿論、それが悪いわけじゃないけど、

それが引き起こした現象で、経験したくない経験をする人が生まれる、

ということはあるかもしれない。

「死の街」発言をした政治家もその一人なのかもしれない。




「死の街」 と 「なにこれ!腐ってる」

2012-06-26 21:05:36 | 本を読んで
政治家が福島の街に行った時に「死の街だ」と洩らしたことで、

お役ごめんになった・・事件があった。


養老先生が「意識は止まっているものしか扱わない、というか、扱えない」

・・ということを云っている。

それでこのような情報化社会になった、と。


タイムリーな話題じゃないけど、

この「死の街」という言葉が元で騒ぎになったことについて考えたいと思う。

その政治家は原発事故で人が居なくなった街を見て、

予想はしていたけど、ショックだったのだろうと思う。

誰でもそうだと思う。

人が作った建物が少ない田舎なら、人がいなくても当然だけれど、

たくさんの建物があり、看板があり、電線があり、

店の中にはまだ商品も見えたかもしれない。異様な感じだろうと思う。

その政治家はその土地に住んでいた人じゃないので、

そこになんの思い出も無いのは当然だ。

切り取られた一枚の写真のようにそれが見えたかもしれない。

止まっている写真のようだったかもしれない。

そのワンカットは死の街と表現して当然だ。

生き生きした街にはどうしても見えない。

けれど、その街で生まれ、学校に行き、友だちと遊び、

仕事をし、たくさんの人と共に暮らした住民にとっては、

そのワンカットだけには見えないのだろうと思う。

あぁ、あの店で子供の玩具を夫と買ったとか、

あそこで初めてデートしたとか、何十年もそこの会社に勤めていたとか、

あの映画館には何度も通ったとか・・・

「死の街」という言葉に反感を持った住民にとっては、

誰も居ない死んだような街の向こうに、

生き生きとした自分の街が見えるんだろうと思う。

けれど、

あの言葉を発した瞬間に、その政治家は、

そこに住んでいた人たちのことをどうでもいい、

と思っていたわけじゃないだろうし、

原発事故がその住民のせいで起こったと思ってたわけでもないと思う。


リンゴを食べて、「なにこれ、腐ってる」と言ったら、

それはリンゴを作った農家の人のことを考えてない、良くない行為だ、

なんて言えないのと一緒だと思う。

続く・・・



















男と女

2012-06-26 17:06:28 | ひとの幸福
ちょっと過激かもしれないけど、

「強姦」という名の現象がこの世にある。

「強 男
    男男」という文字は無い。
                      
女が数人寄ってたかって、弱い男に「強 男三つ」したという話しは聞いたことがない。

何故男はそんなことが出来るのか・・・

女に比べ、男はアホだから、男は自分勝手だから、男は衝動を抑えられない獣だから、

というような、男に失礼な理由を聞いたことがある。

それいうこともある場合もあるかもしれないけど・・・


女が力ずくで「強 男三つ」をしようとしても、

それが成立するには、男のモノが立たないといけない。

男がその気にならないと成立しない。

「強 姦(女三つ)」の時は女にその気がなくても成立する。

女の身体はどんな時も誰でもそれを受け入れられるようになっている。

残念ながらそうなっている。

男はその気に“ならない”と出来ない。多分。

男じゃないから、いまいちわからないけど。

女はいつでも出来る・・ようになっている。

この生物学的違いはなんなんだろう・・と思う。

福岡伸一先生の本でこういうのがあった。

聖書ではアダムのあばら骨でイブが出来たという話があるけど、

生物学的にいうとその反対だという。

イブの一部が変化してアダムになったらしい。

男の性器は排尿の管と兼用している。

女のものはちゃんと別もの仕立てになっている。

分化されてないというのは分化してるのより未熟な段階・・らしい。

男のこの姿は進化の途中なのかもしれない。

男と女で、男の方が唯一優っているのはその体力、重いものを持つ力だという、

・・ことが書かれてある本を読んだことがある。

その真偽はわからないけれども、

そうだとして、作家、画家、政治家、建築家、医師、パイロット、弁護士、

教師、料理人、宇宙飛行士、映画監督、電気技師、建物の設計士・・・

に、男が多いのはどうしてなんだろう?という?が自然に浮かぶ。

社会的な問題は大きいのかと思う。

男と女の待遇の違いはしっかりこの社会にある。

けれど、そういう目立つ場で活躍することが、

そういう場以外で活躍する事より良いというわけでもない。

それぞれの人生で何を味わって日々生きているのか・・・

そのことが・・人生なのかと思う。


いつでも誰でも受け入れられるようになっている女の身体の特性と、

女の意識の特性は、似ているのかもしれない。

勿論個体差はあるのは当たり前だけど。

この前、コンサートに行って聞いた話しだけど、

母を歌った歌は数え切れないくらいあるのだけど、

父を歌った歌は本当に無いと言ってたけど、そうなるのもありだなぁと思った。

直接子供に接する場が多いからなのかもしれないけど。

最近、日本は男の子に比べ女の子が元気だという。

女の子が在りのままの姿を出すことが出来る時になったのだろうと思う。