ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

ホームベーカリー ②

2012-06-23 21:37:28 | 日々の暮らし・思い出
焼きあがる予定時間の30分くらい前に焦げ臭いニオイがして来た。

何にも料理してないのになんでこんなニオイがするんだろ?

アッ!パンだ!こんなニオイはやばいと思って、

すぐにコードを抜いた。取り消しボタンを押したけど、オフにならなかったので。

開けて見た。やはり予想通りというか・・・

そこにあった物は「パン」ではなかった。

粘土の固まりのような物体。取り出すとふにゃふにゃして、

中はまだ生っぽい。フライパンで焼こうと思った。

そのままだと火が通りにくいと思ったので、大き目のクッキー位にちぎって、

オーブンとフライパンの両方で焼いてみた。

食べられない物は入ってないのだから、

「パン」ではなくても食べられるだろう・・・

オーブンで150度、20分設定。フライパンで弱火30分。

焼けた。そりゃ焼ける。どんなものでもフライパンで熱すれば焼ける。

食べてみた。とてつもなく不味いというほどでもない。

美味い!というほどでもない。当然か。

予想はしていたけど、本当にどうなるか、やってみたかったのでやった。

どうなるか、それを見るのは本当に好きみたいだ、わたし。

でもこういう経験はこれっきりにしたい。

夫は「パンはいくら焦げてもいいから、ベーカリーは焦がさないでくれ」と。

私がなんでもよく焦がすので、そう言ったのだろう。

「本当だ!あんなもの入れて大丈夫だったかな!?」わたし。

すぐに調べたけど大丈夫そうだった。

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ドーナツの穴

2012-06-23 19:02:53 | テレビを見て
NHKの朝の連ドラ「梅ちゃん先生」を見てる。

今度のはあまり視聴率がよくないんじゃないかと思ってたら、

結構いいみたいだ。私の尺度は当たらなかったよ。

この頃、面白くなって来たなぁ、と思っている。

主人公の梅ちゃん先生が惹かれる松岡ドクターが、

今日もドーナツについて言っていた。

「ドーナツの穴はドーナツか?」という問い。

ドーナツの穴は火が通りやすいために空いているんです、と梅子が言っても、

そういう問題じゃないという。存在と意味の問題だと。

本当だ。

ドーナツに穴がなければ、それはドーナツではない。ただの丸い揚げ物だ。

そう松岡ドクターは言っている。

そこに穴という無が在る、ということを云ってるのかな。

無は無いことだけど、「無」はある。

ドーナツをドーナツたらしめるには穴という非ドーナツが必要。

非ドーナツとドーナツで完全なドーナツ。

ふーん、なるほど・・・
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お腹が空いた

2012-06-23 15:46:04 | ひとの幸福
(お腹が空いた)が浮かぶ。

すると、何か食べたく“なる”  そう“ならない”場合もある。

真面目に半日断食というのをし出して、もう6年くらいになる。

それ以前もやろうとしたことがあるけど、

そうしようという意志が希薄だったせいもあるし、

台所にはいつでも食べ物はあるしで、

結果的には食欲に任せて一日何度も食べていた。

いまは朝起きてから昼ご飯までには水分以外摂らないようにしてる。

旅先や友人宅やなんかでは頂くこともあるけど、

今は基本的にそうしているので、

午前中お腹がグーッと鳴っても、食べたくは“ならない”。

意識の状態が「朝ご飯は食べないもんだ」に“なっている”のかもしれない。

そういうプログラムが効果を発揮してるのかもしれない。

食べ物が少ないという地域が世界にはある。

飢えで子供が死ぬことも今の時代、まだある。

今の日本では(お腹が空いた)と感じる→食べたく“なって”→食べる、

というコースが当たり前だろうけど、

そういう地域の子供たちの中で、

(お腹が空いた)と感じても、食べたく“ならない”子供も居るんだろうか・・

食べたいと感じたことがそれ以前あったとしても、

多くの経験によって、食べる物が無いということがわかると、

お腹が空いても、食べたく“ならない”という意識状態になる子供も居るんだろうか。

その子供は食べたいのに食べられないという不満は持っていない、と言える・・

食べ物が在っても無くても、

(食べたい)という思いが無ければ、(食べられない)という思いも無い。

食べたいのに食べられない・・それが不満だろうから。

お腹が空いたと感じても不満にならない私の例と同じかも。

いや、それは自分の意志でやってることで、

そういう子供は自分の意志じゃないんだから・・という声もあるだろう。

それもわかる。けど、その場に食べ物は無いという多くの経験からの、

諦めなのかもしれないけど、

(食べ物は少ないもんだ)というプログラムになっているのかもしれない。

諦めているという自覚もないかもしれない。

食べ物はその場には無い、ことを受容している状態かもしれない。

いつだったか、黒柳徹子さんが国連ユニセフ親善大使をしていた頃、

テレビで見たんだけど、

飢えてやせ細り、何かの病に伏しているどこかの国の子供が黒柳徹子さんに、

「あなたに幸せが訪れますように」というようなことを言ったという。

徹子さんはその子供の在りよう、その瞳の純粋さに感動した・・

・・というような事を言っていたような記憶がある。

その子供が食べたいのに食べられない、病気を治したいのに治せない、

という不満状態にいたなら、そのような子供の姿はないだろうと思う。

勿論、飢えでやせ細った子供がいるのは世界がどこか間違っているからだ。

けれども、現象に左右されない、人間の崇高さというものをそこに見てしまう。

世界の外的改善は本当に必要だし、

ほんの少しだけど、スリランカの二人の子供のペアレントみたいなのを10年くらいしている。

今の世界の状態ではそういう症状改善というやり方も必要かなと思うけど、

そういう必要がなくなる、例えば、風邪をひいて薬で症状をその時だけ治める方法でなく、

風邪をひかなくなる身体に“なる”というような方法を見出して、

実現したいなぁと思う。

いつか、人間の崇高さが現象世界に現われる時が来るのだろうと思う。

そういう人が増えることが、目に見える世界が進化、よく“なる”という結果に

必然的に繋がるのだろうと思う。
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ホームベーカリー

2012-06-23 15:35:49 | 日々の暮らし・思い出
朝、ホームベーカリーという機械でパンを焼こうと思って、

材料をそれに入れてスイッチを入れた。

出来上がりの合図が鳴ったので、夫がそれを取り出した。

それを見て、「なんだ これは!?」

!!な、なんと!!!

水を入れてなかった!!

あーあぁ!水を入れるのを忘れるなんて。

夫も「あるんだよな~、こういうこと。

入れたって思い込んでる・・・確認することだ・・」と。

確認したつもりだった・・・粉、バター、砂糖、塩、スキムミルク、イースト・・・

それをうん、うん、と確認したのも憶えてる。

確認したけど、確認してなかった・・・

水という文字は確かにそこに在った・・確認しても見てなかった!

何か他に考え事をしていた記憶はない。

その話をランチの時に夫としていて、

「自分で捏ねて、発酵させてってやってたら、

水を入れないというのはあり得ないね~」と私。

それでも水以外の何かを入れるのを忘れることはあり得る。

人間は間違うものだ・・ということを、

松本のサリン事件で誤認逮捕された河野さんが言ったけれど、

私のこんな例はその事に比べたら、どうということはないけれど、

思い込みって恐いなぁ。

ベーカリーに入ってた十分加熱されたパンもどきの粉を、

もう一度水を入れてベーカリーに入れ、スイッチを入れた。

今、見たら「ねかし」という工程中。

きっと既に過熱され経験のある彼らはねてないと思う。

どうなる・・多分パン風になる可能性は少ないと思うのだけれど、

やり直しのパン人生がどうなるか、見たくてやっている・・・

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