ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

桜桃忌

2012-06-22 20:55:17 | 日々の暮らし・思い出
たしか6月19日は桜桃忌だ。忘れていたけど。

太宰治が死んだ日。

昔、若い頃、三鷹の禅林寺によく行った。太宰治の墓がある。

夜にも行ったことがあって、お墓に夜は恐かったけど、

会えるなら幽霊でもいいから会いたいと思ったもんだよ。

彼のことをわかるのは私だけだ、くらいに思ってた。

人間は本当に凄い事も思ってしまうもんだと思うよ。

何を思うのか、計り知れないね~


「何かお考えがおありでしょうか」

2012-06-22 19:18:33 | 本を読んで
養老先生と福岡先生の対談はホントにそそられる。

「せいめいのはなし」の140ページに、

「・・・中略・・はっと気づいたことがあるんです。ひょっとすると、

そんなことじゃなくて、秩序を見てしまうということは、

もっとなにか生命の成り立ちとしての制限から来るものかもしれないなと。

何かお考えはおありでしょうか?」という福岡先生の発言。

それに対し、養老先生は、

「それが『お考え』がないんですよ(笑い)

どうして脳が秩序を持ちたがるのかは前から不思議に思っていました。

・・・後略」

養老先生は本当に面白い。軽い。

幾つか前に書いたけど、なんで、セーターが虫にやられたんだろ?とか、

なんで頭痛になんかなったんだろ、とか

なんであの時あんなことしちゃったんだろ、とか

・・・こういう意識になることがよくあると思うんだけど、

こう思いましょうとして思うわけじゃないのは無論。

自然と(そうなったわけを探したくなる)という癖が私たちにはある。

「なんでこうなるの!?」前に欽ちゃんの番組でこういうのあったね、確か。

こういう思考って、秩序を求めてしまうということと思う。

秩序を求めたく“なる” 求めたいと意識的に思ってないのに、

求めたく“なってしまう”というのは、

福岡先生の言うように、生命の成り立ちとしての制限から来るもの、

それなんじゃないか・・・

「成り立ちとしての制限」、うまい表現だね~


「なんで頭痛になんかなったんだろ?」

なんでこう“なった”のかと思うのは、

そう“なった”プロセスを知って、次はそう“ならない”ようにしたい、

という無意識のうちの意志があるからだ。

経験したくない経験をもうしないで済むように、

そのプロセスを知りたいと無意識のうちに私たちは願ってしまう。

願いたくて願うわけじゃない。

生命の成り立ちとしての制限だ。

「幸福でいたい、快適でいたい」となってしまう生命の成り立ちとしての制限。

・・・こういうことなんじゃないだろうか・・・と、

私は考えたのでありました。






雨のち晴れ ③(「一瞬の平衡状態」)

2012-06-22 16:39:11 | 本を読んで
「せいめいのはなし」の中の福岡先生の言葉。

「あるとき一瞬に平衡状態をとる。

それがその時々の意識や注意といったものなのかもしれないです。

・・中略・・秩序だっていないのが通常の脳の状態ということにもなります。

・・中略・・脳の状態の大半は、動的な非平衡状態で、ある一瞬だけ平衡状態が起こる。

しかもそれは時間の流れの中のほんの一瞬であって、

『あ、いま渦がきれいに見えましたね』『そうだね』

『あ、もう消えてる』というほどに瞬間的なものなんですよね」


この文章に続くのが、

「そのイメージが、ダ・ビンチのデッサンになったり、

ピカソの絵画になったり、ある種の文字になったりするのかもしれない。

それは個人的な平衡状態のはずなのに、万人に通じていく」

「おそらく誰もがある瞬間に、その平衡状態を作り出せるものだと思う。

でもなかなか自覚できずに気付かないままやりすごしてしまうことがほとんど。

だから特殊な記憶力を持つようなひとが

その状態をバシッと捉えて見せてくれると、なるほどと思える」

ひとの文章を読んでうんうん、そうそう、そうだよね~と、

なるのもそういうことかと思う。

自覚のない人もそれを読んで自覚が生まれる。


・・脳の一瞬の平衡状態ということで、いろいろと福岡先生は考えているようだ。

脳という物質の動きの前に意識という物質ではない動きがあると、

私は考えているんだけど、

そして、誰もがある瞬間に、その平衡状態を作り出せると、

福岡先生は書いていて、その通りだろうし、

私たちはだいたいが朝から晩まで生きて動いているものなので、

行為の前には必ず意志が働いているし、

しょっちゅう、そういうことは当たり前に起こっているのだと思う。

細胞が一瞬も止まることなく、

動的平衡と動的非平衡を繰り返しているように、

生命である意識も同じような状態かと思う。


ベンジャミン・リベットさんの実験・・

(被験者の脳の活動が、意識的に動作を決定するおおよそ1/3秒前に開始したことを発見した。

これは、実際の決定がまず潜在意識でなされており、

それから意識的決定へと翻訳されていることを暗示している。)

これは何かをしようとする前に、

その意志が本当に、明日に繋がる今に調和という状態を作り出せるかどうかという、

意志の検閲時間が意識には存在するということだと思うんだけど、

そういう意識の平衡状態が、現象界にも平衡、調和を齎すのかと思う。

真に自由な意志が調和ある世界を齎すのかと思う。


雨のち晴れ ②

2012-06-22 15:20:05 | ひとの幸福
さっき表現したのは自分の意識観察。

畑に行って帰って来たという出来事での意識の流れを、

その時を思い出して書いてみた。


(~しよう)というのが動的ではあるけど、平衡状態。

(~しよう)と(~しよう)の間の意識は非平衡状態。

・・こうなのではないか。


意識は、動的平衡状態→動的非平衡状態→動的平衡状態→ というサイクルにある。

意識が(~しよう)となるのは、

細胞が「あなたが心臓になるのなら、私は肺になりましょう」

・・というような、「それならそれで」と他との調和を図って、

自らも進んで行きたいという意志なのではないだろうか。

晴れてきた空を見て、(そうだ、洗濯物外へ出そう)となったのは、

洗濯物をさっぱりと乾かしたい、という意志と、

その時の青空とが調和した状態。

それならそれで・・・青空なら、外へ・・という意志。

それでも、私はそれを他のことに気をとられ、忘れた。

動的平衡というだけのことはある・・んじゃなくて、

意識は動的なものなのである。


トンネル往復付き畑行きコースを歩こう、トンネルは歩かず行こう、

黄ばんだ葉は取ろう、シソの葉を採ろう、

カメムシをやっつけよう、

芽かきしよう、観よう、帰ろう、洗濯物を外へ出そう、

こういう意志はその時の周りの状況や、起こりうる可能性を考え、

それに関係するいろいろをそれならそれでと受け入れて、

考えられる範囲だけれど、それらと調和してやって行こう、

そういう平衡状態を意識は見出した、

そういうことなんじゃないだろうか・・・


雨のち晴れ

2012-06-22 14:45:53 | 日々の暮らし・思い出
今朝起きたときは雨が降っていた。

その後の天気予報も雨模様みたいだった。

歩きには行かないか、なんて思って、連続ドラマ見たりしていた。

終わった頃、雨が止んでいたので、歩きに行こうと思って、

日焼け止めクリーム塗っていたら、

夫が「キュウリを採りに行って来る」と声かけてきた。

それを聞いて、(そうだ、歩きコースを変えて、

畑に向かうバイパスを歩こう、私も畑に行こう)が浮かんだ。

歩き出して、T字路に来た。右へ行けば畑、左がトンネル。

(畑まで行くのに、トンネルの往復を入れた方が歩く距離としてはいつもの道と同じくらいになる)

が浮かんだ。(左に行ってトンネルを往復して、それから畑に向かおう)

と思って、左へ歩き出した。

・・歩いていたら、(早く畑に着いて、私がキュウリを採れば、

夫はもっと他のことが出来るな)が浮かんだ。

畑に行くとやりたいことが次々出てくるのは私も知ってるし・・・

次に(トンネルの往復はやめよう)が浮かんだ。

トンネルの手前でくるっと方向転換した。

バイパスを歩いていると、昨日のブログの続きやら、なにやら、

いろいろなことが頭に浮かぶ。

畑に着くとキュウリを採ったり、シソの葉を摘んだり、

キュウリの黄ばんだ葉を取ったり、黒カメムシをやっつけたり、

トマトの芽かきをしたり、他の野菜を鑑賞したりした。

こういう行為の前にはそれぞれ全部、(この位の大きさで採るか)

(黄ばんだのは取る方がいいと隣のYさんが言ってたな、取ろう)

(やっつけよう)(芽かきしよう)(観よう)

というのがある。

そのうちに凄くいい天気になって来た。

青い空が広がって来た。

暑くなったし、用も済んだので帰ろうとなった。

帰りの軽トラの中で、「そうだ!洗濯物外へ干そう!」と私は言った。

家に着くと庭が目に入る・・・バラの枝の先っぽが虫にやられてる!

(どうなっているか、よく見よう)・・で、それなりの行為をすることになり、

やって、一応済むと、今度は昨日植え替えた多肉植物を観てみたり、

(この位の大きさになったら、摘むか・・)となって、

シソの葉っぱを摘んだり、

(汚いな、取ろうか)で、君子蘭の茶色になった葉を取ったり、

なんだりかんだりして・・・(もう、部屋に入ろう)で、部屋に入った。

夫から「洗濯物はもう外に出したから」との声。

「あ、そうか、忘れてた」。

全部の(~しよう)の前には必ず、(~したく“なる”)がある。

昨日のブログで書いたみたいに。


・・・ながなが面白くもないのを書き連ねてきたけど

昨日のブログに書いた、「意識の平衡状態とはどんなことを云うのか・・?」

これはパソコンを閉じてからも頭の中で続いていて・・・

「生命の動的平衡」とは、

自とも、他とも、調和しているその瞬間の状態を云うのではないか。

細胞のように、あなたがそうなら、私はこれで、と、

それと積極的に調和して行きながら、よりよきに進んでいく。

動的平衡→動的非平衡→動的平衡というサイクルは、

調和、混沌、調和、混沌、調和、混沌の循環かもしれない。

そんなふうに生命は流れ、進んでいく。