ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

同じ水脈

2012-06-10 18:34:06 | 本を読んで
「せいめいのはなし」の川上弘美さんとの対談の中で、

福岡伸一さんが言ってるこういうのがあった。

「・・・生物学も文学も宗教もそれぞれに語られる文体や表現が異なるだけで

結局のところ、人間とは何なのか、生きるとはどういうことなのか、

世界はどういうふうに成り立っているかを知りたいというところから始まったものだと思うんです。

だから、科学がデータやグラフや顕微鏡写真によって

客観的に記述されるように見えたとしても、

それはあくまで一つのプロセスでしかなくて、

本当は、それがどういう意味を持つのか、

誰にでもわかるシンプルな言葉で語ることが出来た時こそが、

生物学の出口なんですね。

そしてそこから外に出てみると、

実は他の道をたどってきた人たちと同じ水脈に達しているような気がします。」


なるほどと思う。そうなんだろうなぁと思う。

意識の動きを自分なりに探って掘って来たけど、

量子力学や生物学や宗教や日本神道や合気道やに出くわした、という感じが自分にもある。

(勿論、きちんとそういう勉強をしたこともない、知識もない、

程度の低い私の頭にわかる範囲の狭いことだけど)

四の五の言うな

2012-06-10 13:05:39 | 実例体験観察
さっきまで書いてた事例、風邪っぽい子がソファーで・・・で、

そんな様子を見たら、四の五の言わず(こういう表現は若い人は使わないだろうなぁ)

何グダグダ考えてんだっ!風邪っぽいなら、こんなトコでグズグズしてんじゃねーよ。

さっさと寝るのがあたりめーだろってんだ!

・・みたいなことなんだろうなぁ。

「人の意志は尊重するのがいい」そんなものがあるばっかりに、

グダグダとなる羽目になる。

人の意志は尊重すること、それに反することはしたらいけません。

そんな教育やらシツケやら受けて、

こちらの言動を見て、そのルールに反したと判断した相手に、

叱られたり、責められたり、して来たんじゃないかと思う。

そういう現象を自分以外でも見てきたんだろう。

それで、(そうか、人の意志は尊重しなくちゃいけないんだな。

そうしないといやな目に(怒られたり)遭うんだな。

いやな目には遭いたくないから気をつけよう・・・)

まぁ、こんな感じだったんだろう・・

・・じゃなかったらそんなふうになるわけがない。

これも一つの動的平衡の姿なんだろうと思う。

結果として、

人の意志を尊重したい、じゃなく、

人の意志は尊重しなくてはいけない、

という思考になる。

また、四の五の言ってしまった。

捉え違い ③ 「~したいんなら、すれば。」

2012-06-10 12:18:54 | 実例体験観察
前回、前々回との続きだけど、

「あなたがそうしたいんなら、そうすれば。」

こんなふうな思考をしたことが何度もある。

なんだか、冷たい感じ。


「人の意志は尊重するのが良い」・・

今思えば、そんな考えが浴槽の垢みたいに、

私の頭のどこかにこびり付いていた。


「あなたの意志を尊重したい」という“気持ち”じゃなかった。

~したい は “気持ち”だ。

~するのがいい は“考え”だ。

彼に恋して、彼に 気持ち を打ち明けようとは言うが、

彼に 考え を打ち明けようとは言わない。


「人の意志は尊重するのがいい」

・・まるで心も何もなく、何かのお題目を唱えているみたいだ。

だけど、その当時はそんな“考え”が、

自分に潜んでいたとは気が付いていなかった。


そのひとの意志を尊重したい気持ちだったら、

「あなたがそうしたいんだったら、“そうすれば”」なんていう、

こんな言葉は出て来ないような気がする。


この言葉は、「意志は尊重しなくちゃならないから、

反対はしないけど、失敗したって知らないからね・・・」

こんな冷た~いニュアンスが感じられる。


素直な気持ちで人と付き合いたいと思っていても、

知らないうちに、気持ちじゃない“考え”で行為しちゃって、

自分も相手も不愉快になる。

捉え違い?② 心のカラクリ

2012-06-10 11:49:47 | 実例体験観察
前回の続き・・

「娘の「うーん・・」と発した言葉を聞いて、

私が(布団に行きたくないんだな)と判断した、わけで。

実際、娘のその(うーん・・)という音がそういう意志を示していたのか、

わからない のに、

自分の中でそうだ、となっていた  ということだろう。


後で聞いたんだけど、実際のその時の彼女の意志は、

「布団で寝たくない」ではなく、

「そこまで歩いて行くのがだるい、眠気も襲って来るし、

ここでそのまま寝てしまいたい、でもこんな所で寝ちゃいけない、

あー、うーん・・」

・・そんな感じだったという。


そういう事実(その時点では知らなかったけど)に対し、

「布団に行きたくないなら、そうすればいい」とパッと思ったわけだ。


「本人の意志を尊重するのが良い」という判断・考えが、

自分の潜在意識に在ったからだ。

それがあったので、本人がそう言う(布団に行きたくない)んなら・・と、

(言ってないのに)

娘を突き放すような・・・自分だった。


「うーん・・・」という音を「ノー」という意志表示と解釈したことと、
 
「本人の意志を尊重するのが良い」

・・そういう考えを知らぬ間にしていたこと、

その二つの間違いに気が付いたので、

あの時、元々あった愛は自動的に発せられた、という現象だったのだと思う。

捉え違いと潜在意識に在った考えに囚われていることが、

(愛)の発露を邪魔した。

こういうカラクリだ と思った。

・・続く・・

捉え違い?ううん・・・はノー?

2012-06-10 11:17:23 | 実例体験観察
結構前のことなんだけど、私にとっては凄くいい経験だった。

風邪気味の娘がソファで横になっていて、

私が「布団で寝なさい」と言った時、

娘は目を瞑ったまま「うーん・・」と発した。


それを見た私は、どうだったかというと、

うーん・・という声はノーという意志表示かと思い、

(娘は布団に行きたくないのだな)と受け取った。

次の瞬間、(行きたくないなら行かなければいいか・・)というのが浮かんだ。

だけど、次の瞬間、(布団に行きたくないんじゃなくて、

娘は「うーん・・」という音を発しただけだ)が浮かんだ。


その次の瞬間、「やりたくないなら、やらなければいい」

という考え方を今までずーっとしていたな と気が付いた。


その次の瞬間、風邪っぽい娘は

今ここで、どうしたらいいのか、というのが浮かんだ。

その思いが浮かんだ後、風邪気味なのにソファに寝転んでいるより、

布団で横になるのがいいなと思って、

その後、何度も声かけた。

何度目かに娘は私に手を預け、

引っ張ってほしいような身振りをした。

手を引いて、娘を起こした。

そして娘は一人で歩いて布団の敷いてある部屋に行った。

私は よかった^^ と思った。  以上終わり。

(この間、一分は経っていないと思う)


娘の「うーん・・」という口から出る音を、

「行きたくない・ノー」という意志かと受け取って、それがキッカケで、

自分の意識の奥にあった考えに気が付いた。

続く・・