意識の成り立ちについていろいろ探って来た。
ひとまとめにしたものが今朝、意識に現われた・・感じなので、
ちょっと書いてみようと思う。
目に見える現象が在る→それをどう捉えているか(解釈・観測・見る)→
→何かを言いたくなるor何かをしたくなる→
→それをするか、しないかを選択(自由意志の存在がここにある)→
→するorしないという行為行動に移る。
・・・こういう図式。
例えばこんな例(作り話)・・で、書いてみるね。
子供が離婚問題で暗い顔をしている現象が在る→それを問題事だと捉える→
→するとそれを解決してやりたくなり、
こうすればいいという考えを話したくなる→
→それを話そうとする(こうすればいい、という考えは正しいと無意識のうちにしてるので、
その話をしないという選択肢の存在には気付かない)→
→話すという行動をする→
→子供は・・・・・?どういうふうになるか?親の言うとおりになるか??
・・・わからない。
その現象をどう見るかは人や場合でいろいろ。
困った事と捉える場合もあれば、
よくある事と捉える場合や、あんな人と別れた方がいいと思っていれば、
やっとその事を考えるようになったか、と捉える場合もあるかもしれない。
(その現象の何に関心が向くか、関心を持つことが現象化するという量子力学の観測者効果かと思う)
そういった捉えの次に、
それを受けて(その思いに繋がる・・)、
人や場合によって又、いろいろな思いが浮かぶ。
(何か言いたくなったり、したくなったりする)
その次に行為や行動が起こる。
可能性としては、それをすることもしないこともどちらも出来るのだけど、
言いたくなった思いが「正しい」になっていると、
(これは仏教で云うキメツケという状態かと思う)
それを言わずには居れない状態になる。
それをしないでは居られない状態になる。
(これは仏教で云うトラワレの状態だろう。)
そのような意識の状態に在ることに自覚が無い状態。
これからの解放は意識観察と真理探究かなと今のところ思ってる。
ところが、何かを言いたくなったな、と自覚すると、
それを言うか、言わないかの選択肢を選べる状態になる。
これを言ったら、(こうしたら)その後どういう展開になるのか、
それまでの経験によって、ある程度推測することができる。
言うことで、自分も相手も経験したいと思わないような展開になりそうだと推測したら、
その経験をしないようにとの意志が働き、
したくなったけれども、それを自分の意志で止めるという選択肢を選べる。
ベンジャミン・リベットさんが伝えたかった、
“自由意志”の問題がここにある、と思う。
どういう展開になったら、互いによりよい状態になるかを、
推測し、よりよい状態を実現できることが多くなる。
これを段々無意識のうちに出来るようになるのかと思う。
ひとまとめにしたものが今朝、意識に現われた・・感じなので、
ちょっと書いてみようと思う。
目に見える現象が在る→それをどう捉えているか(解釈・観測・見る)→
→何かを言いたくなるor何かをしたくなる→
→それをするか、しないかを選択(自由意志の存在がここにある)→
→するorしないという行為行動に移る。
・・・こういう図式。
例えばこんな例(作り話)・・で、書いてみるね。
子供が離婚問題で暗い顔をしている現象が在る→それを問題事だと捉える→
→するとそれを解決してやりたくなり、
こうすればいいという考えを話したくなる→
→それを話そうとする(こうすればいい、という考えは正しいと無意識のうちにしてるので、
その話をしないという選択肢の存在には気付かない)→
→話すという行動をする→
→子供は・・・・・?どういうふうになるか?親の言うとおりになるか??
・・・わからない。
その現象をどう見るかは人や場合でいろいろ。
困った事と捉える場合もあれば、
よくある事と捉える場合や、あんな人と別れた方がいいと思っていれば、
やっとその事を考えるようになったか、と捉える場合もあるかもしれない。
(その現象の何に関心が向くか、関心を持つことが現象化するという量子力学の観測者効果かと思う)
そういった捉えの次に、
それを受けて(その思いに繋がる・・)、
人や場合によって又、いろいろな思いが浮かぶ。
(何か言いたくなったり、したくなったりする)
その次に行為や行動が起こる。
可能性としては、それをすることもしないこともどちらも出来るのだけど、
言いたくなった思いが「正しい」になっていると、
(これは仏教で云うキメツケという状態かと思う)
それを言わずには居れない状態になる。
それをしないでは居られない状態になる。
(これは仏教で云うトラワレの状態だろう。)
そのような意識の状態に在ることに自覚が無い状態。
これからの解放は意識観察と真理探究かなと今のところ思ってる。
ところが、何かを言いたくなったな、と自覚すると、
それを言うか、言わないかの選択肢を選べる状態になる。
これを言ったら、(こうしたら)その後どういう展開になるのか、
それまでの経験によって、ある程度推測することができる。
言うことで、自分も相手も経験したいと思わないような展開になりそうだと推測したら、
その経験をしないようにとの意志が働き、
したくなったけれども、それを自分の意志で止めるという選択肢を選べる。
ベンジャミン・リベットさんが伝えたかった、
“自由意志”の問題がここにある、と思う。
どういう展開になったら、互いによりよい状態になるかを、
推測し、よりよい状態を実現できることが多くなる。
これを段々無意識のうちに出来るようになるのかと思う。