ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

ひとまとめ

2012-06-21 20:04:23 | ひとの幸福
意識の成り立ちについていろいろ探って来た。

ひとまとめにしたものが今朝、意識に現われた・・感じなので、

ちょっと書いてみようと思う。


目に見える現象が在る→それをどう捉えているか(解釈・観測・見る)→

→何かを言いたくなるor何かをしたくなる→

→それをするか、しないかを選択(自由意志の存在がここにある)→

→するorしないという行為行動に移る。


・・・こういう図式。


例えばこんな例(作り話)・・で、書いてみるね。


子供が離婚問題で暗い顔をしている現象が在る→それを問題事だと捉える→

→するとそれを解決してやりたくなり、

こうすればいいという考えを話したくなる→

→それを話そうとする(こうすればいい、という考えは正しいと無意識のうちにしてるので、

その話をしないという選択肢の存在には気付かない)→

→話すという行動をする→

→子供は・・・・・?どういうふうになるか?親の言うとおりになるか??

・・・わからない。


その現象をどう見るかは人や場合でいろいろ。

困った事と捉える場合もあれば、

よくある事と捉える場合や、あんな人と別れた方がいいと思っていれば、

やっとその事を考えるようになったか、と捉える場合もあるかもしれない。

(その現象の何に関心が向くか、関心を持つことが現象化するという量子力学の観測者効果かと思う)

そういった捉えの次に、

それを受けて(その思いに繋がる・・)、

人や場合によって又、いろいろな思いが浮かぶ。

(何か言いたくなったり、したくなったりする)

その次に行為や行動が起こる。

可能性としては、それをすることもしないこともどちらも出来るのだけど、

言いたくなった思いが「正しい」になっていると、

(これは仏教で云うキメツケという状態かと思う)

それを言わずには居れない状態になる。

それをしないでは居られない状態になる。

(これは仏教で云うトラワレの状態だろう。)

そのような意識の状態に在ることに自覚が無い状態。

これからの解放は意識観察と真理探究かなと今のところ思ってる。


ところが、何かを言いたくなったな、と自覚すると、

それを言うか、言わないかの選択肢を選べる状態になる。

これを言ったら、(こうしたら)その後どういう展開になるのか、

それまでの経験によって、ある程度推測することができる。

言うことで、自分も相手も経験したいと思わないような展開になりそうだと推測したら、

その経験をしないようにとの意志が働き、

したくなったけれども、それを自分の意志で止めるという選択肢を選べる。

ベンジャミン・リベットさんが伝えたかった、

“自由意志”の問題がここにある、と思う。

どういう展開になったら、互いによりよい状態になるかを、

推測し、よりよい状態を実現できることが多くなる。


これを段々無意識のうちに出来るようになるのかと思う。

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玉つづり・・・・・脱線 ②

2012-06-21 17:49:02 | 本を読んで
福岡先生・・・脳の状態の大半は、動的な非平衡状態で、

ある一瞬だけ平衡状態が起こる。

しかもそれは時間の流れのほんの一瞬であって、

「あ、渦が今きれいに見えましたね」「そうだね」「あ、もう消えてる」

というほどに瞬間的なものですよね」

養老先生・・・「そうなんです。平衡状態がポンとそこに成立している。

瞬間的に成立してるだけだから、証明ができない」・・・養老先生。

「きれいな渦だ」という認識が平衡状態で、

まだ渦になってない水の流れの時はなんとも思ってないわけで、

非平衡状態というわけか。

きれいな渦を見て、(あ、渦だ)という意識に“なった”ことが、

意識の平衡状態・・なのか。

意識の平衡状態ってどういう瞬間のことを云うのかなぁ?という疑問は、

ここのところずっとあって・・・

顕在意識に浮上する意識が平衡状態ということだろうか・・・

・・・・こんなの読んでひとはどう思うんだろう?

何をめんどくさいこと云ってるんだろ もあるかもしれないなぁ。

自分でもめんどくさいとも思うけど、

面白いことはだいたい面倒くさい。

簡単に出来たら面白くない。んでついしてしまう。
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玉つづりの移植・・・でも・・・脱線

2012-06-21 17:13:05 | 日々の暮らし・思い出
多肉植物の玉つづりというのを植え替えた時に、

葉っぱがポロポロ落ちて、それを捨てるのも忍びなく、箱にそのまま入れていた。

それから、もうふた月は経っている。

葉っぱから芽や根が出ることは知っていて、それで鉢を幾つも作ってきたけど、

これ以上鉢が増えてもなぁ・・とその時は思って、放って置いた。

義父がそれをゴミと思って捨てたかも、と今朝、夫から聞いた時には、

それでも構わないと思っていた。

さっき庭に出たついでに見たら、箱の中身はそのままあった。

既に枯れているのもたくさんあったので、

ゴミと間違えてもおかしくない。

芽や根が出て生きているのも勿論たくさんある。

この時(鉢に植えようかな)こういう思いが浮かんだ。

なんでこの思いがこの時浮かんだのか、振り返って観てみると・・・


パソコンに向かって、今朝方浮かんだ考えを書こうというのはあったんだけど、

書きたいことの全体はだいたい整理出来ていて、

あとはそれを表現するだけ・・みたいな意識状況だったのも、

玉つづりに関心が行った一つだったよう。

浮かんだ考えがどう展開するかわからない時は、

早くパソコンに向かって、書きたい、書くことで、展開を見たい・・

というような誘惑にかられて、どうしてもそれを優先してしまう。

けど、いろいろな都合でそれ以外の事をやることを優先することもあるので、

そういう時は浮かんだ考えをすぐにメモって置いたりしてる。

ひとは一日に6万個の思考が頭に浮かぶという事を読んだことがあるけど、

どうやってその6万個という数字が出てきたのかはわからないにしても、

16時間起きていたとして、意識不明という状態は一瞬もないのだから、

6万個というのもそうかなぁと思う。

計算すると1秒に6個思考が浮かぶということ。

座禅とかすると、次々に浮かぶからそれを数えたのか・・

脳を調べて、発生した電気信号の数なんだろうか・・?

自分の意識観察でも、その位の数はあるのかなぁ位の思いはあるので、

すぐにメモっておかないと、

次から次へと思いは流れているから、見失ってしまう。

川に浮かべた笹舟があっという間に去っていくのと同じだ。


こうして、頭に浮かぶ事を次々書いてしまっているけど、

これもそうだ。でも、1秒に6個は観察できないね。

こうして脱線している。意識が流れて行くのがよくわかる。

こういうのを書きたかったんじゃなかった。最初にタイトルを書いた時は。

そう、どうして(鉢に植えようかな)という展開になったか・・

・・それを書いていたんだった。

続く・・・

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季節外れのセーター

2012-06-21 16:55:28 | 日々の暮らし・思い出
とうとう娘のセーターを編み終えた!

きちんとアイロンをかけ、丁寧に畳み、それを今日送ると、

娘にメールしたら、秋冬までこちらに置いて、

プレゼントとしてその時に送ってという返事が来た。

えーっ!?となったよ。

早く見てもらいたい があったからね~。

でも娘の住むアパートはこれからいろんな工事があるらしく、

部屋が落ち着かないというのも聞いてるし、

ここよりずっと狭いので、ここに秋まで置いておくのが、

ベストな選択なのだと納得。

ウールだから、虫に喰われないようにしまわないといけない。

この家は古いせいか、気にいってたセーターが虫に食われて散々な事になったことがある。

いや、家が古いせいじゃなくて、

洗わないでしまったのでそうなったのかもしれない。

でも東京でセーターが虫にやられたことなんかなかったなぁ・・

やっぱり古い家だからか・・・

つい、一つの原因を探してしまう・・・
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