ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

情報という記憶

2012-06-11 19:29:53 | 本を読んで
脳の電気信号(情報)はすーっと現われて、

すーっと消えていく。それでないと脳の役目を果たせない。


何年も前の出来事を恨みがましく憶えていて、

それを何かというと出して来る、という例がある。

綾小路きみまろの話で、

昔あなた言ったじゃない、私と結婚してくれなかったら死んじゃうって・・・

それなのに・・・ぶつくさぶつくさ・・

話としてはすごく面白くて笑っちゃうし、

こんなんなら可愛いけど、

あの時あなたがこうしたから、それで私は酷い目に遭った・・云々と、

事あるごとに引っ張り出してくるなんていうのは、たまらないね~

こういうのもその時の情報を消さずにいるということかも。

それとか、こういう例はどうだろう。

私がしょっちゅう書いてる潜在意識のプログラム。

いつの間にか持っている奴。

(こういう時はこうするもの)(こうするのがいい)

(こうするべき)(こうしないのがいい)・・・

そういう情報を退蔵(隠して所持すこと)している現象かもしれない。

情報はどんどん流さないと、次の情報が入って来られない。

大昔の情報を絶対正しいとして退蔵してる。

大昔のその時、そうしたことが、

いい現象やよくない現象を齎したきっかけになった、

ということはあるかもしれない。

けれど、状況、そうなったプロセスは同じなんて在り得ない。

情報はどんどん更新されてこそ情報なのかもしれない。

退蔵すること、それはやっぱり生命の在りようとしては、無理がある。

流れてない。美しくない。

けれど、退蔵してる自覚がないもんだから、

そのままを続けてる。

自覚がすべてか・・・
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アダムとイブ

2012-06-11 18:19:13 | ひとの幸福
アダムとイブの話だが、詳しくは知らないけど、

禁断の木の実を食べたら、葉っぱで生殖器の辺りを隠すようになり、

楽園を追われたというエピソード。

禁断の木の実とは善悪の知識の木の実らしい。

知恵の木の実というのも聞いたことがある。

それまでは、裸でいることが自然の姿であり、

恥ずかしいという感情は持たなかったのだと思う。

それが禁断の木の実を食べたことで、

恥ずかしいという感情が生まれた。それでイチジクの葉で身体を隠した。

自然の姿、在るがままでいたアダムとイブは、

善悪を知る木の実を食べた事で、

それは恥ずかしい事という判断を持った。

恥ずかしく思うということは

他者がこう思うだろうという不安だ。

そこに他者がいなかったら、

恥ずかしいという感情は生まれないだろうから。

風呂場で一人裸でいても恥ずかしくはないからね~。

自分ではない他者の発見と言ってもいいかもしれない。

絶対の世界から相対の世界へと人間が住む世界を変えた、

ということを表わすエピソードなんじゃないかしらん。

この「世界」って意識世界のこと。

教会で説明してる原罪云々とまるで違うけど、

原罪なんて、いんちきな解釈と思う。


他があるから自がある。

恥があるから、恥が無いがある。

高い所があるから、低い所がある。

大きなものがあるから、小さなものがある。

美しいものがあるから美しくないものがある。

良いものがあるから悪いものがある。

地球上にあるものはみなそう。

そうではないものが無ければそれは存在しえない。

人の意識というものは、相対的に物事を捉える。

そうなっている。

地球上の女が全員美女だったら、それは既に美女とは言わない、ただの女。

醜いもの無しに美しいものは存在し得ない。

アダムとイブはやはり知恵の実を食べたんだ。

知恵がなんで原罪なんだよ~。

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イヤな感じ・・

2012-06-11 17:21:31 | ひとの幸福
持っている知識や、出身校をひけらかす(見せびらかす)・・

そういうのを鼻にかける、

というようなのは優越感があるというんだろう。

その知識を持っていること、その学校を卒業したこと(入学出来たこと)は、

そうじゃない他より“優れている”となっている。

優れているのがいいことで、劣っていることを否定して観ている。


そういう態度を見て、イヤな感じっ!と不愉快になるのはどうしてだろう。

赤ちゃんや小さな子供は、

そういう姿を見ても、イヤな感じは持たないんじゃないか。

その現象自体が“イヤな事”であれば誰にとってもイヤでなければおかしい。

出来ていることを鼻にかける人を、

自分より優位に立っていると観ている。

小さな子供はその知識があること、その学校を出たことを、

優れているとする判断がないので、

あー、そうだけ。それがどうかしたの?だけ。

優越感も劣等感も同じ物差しを持っている。

この劣等感を持つ人が猛勉強してその大学に入学したら、

今度は優越感に浸ることになる。

劣等感の克服というけど、劣等感が見えなくなっただけで、

変わらず持っている。

劣等感と優越感は同じコインの裏表。


その物差しを持ってない人は小さな子供と同じ反応だろう。

自分や他の全てがオンリーワンだと知っている人は、

そのひけらかすと表現される言動を見ても、

心がフラフラ揺れない。 

多分そうなんじゃないかなと思う。
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記憶

2012-06-11 16:23:54 | 本を読んで
「せいめいのはなし」の朝吹真理子さんとの対談で、

情報について福岡先生の面白い話があった。

「生命にとって情報は『消える』ことに意味がある。

すぐ忘れて消えることに意味があって、

いつまでも残っていては『情報』にならない。」

これは私にとって、ぽんと膝を打つような話であった・・!?


記憶を司っている脳。脳細胞の回路に電気が流れてい記憶が再現されている。

細胞は常に再編されているので、

かつて流れていた場所のこの辺りかなという周辺を電気が流れているだけ。

つまり、昔の記憶がそのまま再現されているのではない。

むしろ記憶とは瞬間瞬間で新たに作られているもので、

蓄積されていたものが甦るのではない、と考えた方がいい。

そして電気信号は、流れるとすぐに消えてしまう。

「記憶は嘘をつく」という本にも同じような内容が違う角度から表現されていたと思う。

ある信号がすーっと出現し、またすーっと消えてゆく。

その落差が次の反応や行動を呼び起こすからこそ情報なのであり、

いつも同じ強度だと情報の役目を果たせない。

ずっと同じ匂いを嗅いでいると感じなくなるのと同じだという。

この生命の在り方は、

よく言う「今 ここ」に生きている、という表現が言ってることと同じようだ。

脳には過去も未来も無い。

電気信号が今、今、今、と動いては消えている。

済んだことの原因がどうのこうのは関係ない、

いま、これからどうするかだけだという、この前の内田さんの発言の通り。

あれをしたのは昨日だったか、三日前だったか、わからなくなっても、

そんなことはどうでもいい、

今食べてるご飯が美味しいと感じられればそれでいい。

・・と、最近とみに忘れやすくなってる私は思うのであった。
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ちょっと来て

2012-06-11 14:25:10 | 実例体験観察
職場で自分を呼ばれると、何の用だかわからないのに

「えーっ!何 注意されるんだろう・・」という反応になる。

「えーっ!何を褒められるんだろう^^」という人はあまりいないんじゃないかな。

罰を受けるみたいな反応がよくある。

何の用かもわからないのに不安がよぎる。

(えー・・なんかしたっけかな?)

声を掛けられた、 ただそれだけのことにそんな反応をする。

車で走っていて、後ろからパトカーが来る時もそういう感じになる。


そんな経験ないひとも世の中にはあるかもしれないけど。

以前、職場で順番に名前を呼ばれたときに、

全員がそういう反応だったので、びっくりした。

皆、身に覚えがなくてもそんなふうに怒られた記憶が、

頭にこびりついているんだろうな。

そんなことばかりじゃないはずなんだけど。

こういうのって、潜在意識にそうプログラムされているものがあるんだろう。

無意識の小人たちが言うがままの不自由な存在が人間なんだというのを

どこか大学の先生の・・え~っと、名前・・忘れたけど、

そういう文章を読んだことがある。

私はそれに同感したわけじゃないけど、

人間はそういう面もある、と思う。

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