ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

グルグル回る ③

2012-06-07 18:32:57 | 本を読んで
環境問題も同じ問題に陥っていると福岡先生は言う。

二酸化炭素は本来は生物から生物にパスされるもので、

そのパスを受け取れるのは植物だけ。

呼吸や化石燃料を燃やすことで出される二酸化炭素の量は

産業革命後じわじわと上がってきて、

それはものを燃やしすぎたからではなかろうかということで、

それが次の生物にパスされずに滞っているのが今の状態。

唯一の受け取り手である植物は減っている。

グルグル回すシステムが回らなくなっている。

これがこのまま滞ったら、なにかとんでもないことが起こるのは確か。

それが温暖化なのか寒冷化なのか、

もっと他のことなのかなんともいえない・・・と彼は言っている。


こういうこともやっているその時は、良かれと思ってやっている。

何も地球をとんでもない状態にしようなんて企んで、

石油を掘って使ってたわけじゃない。

人間の都合のみを考えてやって来たわたしたちなんだ。

それをダメだった、と責めること、否定することは出来ないと思う。

する人はいるだろうけど。

こうしたら他の植物や地球環境がどうなるか、という視点そのものがなかった。

持てなかった。ないものはない。しょうがなかった。

考え付かなかった。未熟だった。人類の流れの成り行きでそういう状態だった。

それを否定するのは、中学生の数学が出来ない幼児に、

なんでもっと考えなかったのかと責めるようなもんだ。

中学生に“なれば”出来る。

地球の時空という流れのなかで、

今はこういう状態に在るということなんだろうと思う。

グルグル回りながら、

私たち地球の人類は幼児から年長組になれるんだろうか。

グルグル回る ②

2012-06-07 16:32:27 | 本を読んで
内田樹さんの経済の話の続きなんだけど、

彼が提案しているのは贈与経済の復権。

「交換から贈与へ」というもの。

サッカーやラグビーというボールゲームに例えてわかりやすく言っている。

贈与経済の担い手になりうる人っていうので、

いつも「今パスをもらったら、次にどうパスしようか」を考えている。

自分がもらったら遅滞なく次に渡す相手にあざやかなパスを送ることだけを

日々考えているような人こそがそう。

ボールを贈る先は次に選択肢が一番多い人。

受け取ったボールを退蔵する人や、

いつも同じコースにしかパスを出さない人には、

パスは回ってこない。

凄いなぁと思った。この着想。


グルグル回る

2012-06-07 15:24:43 | 本を読んで
「せいめいのはなし」の中で内田樹さんの話はとても面白い。

私みたいな経済音痴にもわかりやすい話で。

経済といっても経済だけのことじゃないと思うので面白く感じるんだろう。

経済システムが死にかかっているのは、グルグル回る運動がなくなっている・・

回っている(もの)の方に価値があると思いこんで、

回すこと、それ自体が経済活動の目的なんだという根本を忘れてしまったから。

受け取ったものはどんどん次にパスしましょうということ。

・・こういったことが書かれてあった。

福岡伸一さんの言葉でもあったけど、

原子はグルグル回っている。ある時は私の身体の一部、

ある時はてんとう虫の分子、ミミズ、海の藻屑、鍾乳洞の一部、

それを回しているシステムこそが生命活動。

循環というシステムだろう。

それが経済に関しては人口の1%が富の40%を独占しているという。

貯め込んで回さない。

これも今の人間の意識の状態から考えると、

なるべくしてなっている姿なんだろうと思う。

動的平衡という状態にかろうじてなっている。

いつ、このバランスが崩れてもおかしくない状態なんだろう。

天秤が物凄く揺れている状態なんじゃないかな・・

今までに繋がるこれからの時空で、

この状態から別の動的平衡の姿になる時が来る。

やっぱりそれは必然。なるべくしてなるんだろう。





いけないんじゃないか・・

2012-06-07 13:15:12 | ひとの幸福
何かをやってない、何かをわからない、何かが出来ていない・・

こういう状況の時に、

ひとから「わからない?」「出来てない?」「やってない?」
 
・・というような表現を聞くと、

瞬時に自動的に、

「わからないのはいけないんじゃないか」

「出来ないのはいけないんじゃないか」

「~してないのは悪いんじゃないか」

・・となる場合がこの世には結構ある。


わからないことはわからない。

わかることだけわかる。

出来てないことは出来てない。

出来たことは出来てる。

やってないことはやってない。

やったことだけやった。

・・だけのことなんだけど、無意識のうちに、

「わからないのはダメ」

「出来ないのはよくない」

「やらなくちゃダメ」

・・・こんなのを持ってる。

それのせいだろうと思うけど、自分を自分で否定する。

「こんな自分じゃいけないんじゃないか・・」って。


自分一人で自分を否定するように成って来たわけじゃない。

学校は特にそういうのを植えつけるんだろうな。

わからない子供はいい点を貰えない。

出来ない子供はいい点を貰えない。

やらない子供はいい点を貰えない。

それで親に怒られた。

わからないのはダメだ、と思ってしまうようになるのは当然。

努力してもわからないことはあるよ。

努力しても出来ないことはあるよ。

努力する気が起こらないときもあるよ。


シツケられて

2012-06-07 11:46:02 | ひとの幸福
パッと感じたことに、

(こう感じるのは良くないんじゃないか)

・・こんな思いを持つことが以前はよくあった。

例えば、他人の行為を見て嫌な感じを受けたとき、

嫌だな で終わらず、

(こう感じるのは、良くないんじゃないか)という思いがうまれた。

これが仏教なんかでもいう トラワレ で、

そして、そういう思いの出る元は、

(人の事を悪く思うのは良くないこと)という キメツケ が、

自分のうちにあったからで、

トラワレ と キメツケ はセットなんだなと思ったよ。

そういうふうに不自由な気持ちにしょっちゅう成るように成るように、

この社会で育ってきたのだな と思う。

勿論 親や周りの大人は、トラワレるようになるようにと、

やってきたんじゃなくて、

子供の幸福を願って「シツケ」て来たんだろうとは思うけど。