ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

アース能力・・内田樹さんの言葉

2012-06-08 18:13:17 | 本を読んで
対談の中の内田樹さんの言葉が面白い。

うん、そうそうと同感してしまう。

原因は何かと問うより、とりあえず既に起こってしまったことは

しょうがないと放置して、

この後、どうなるかと問う方がいいんじゃないか。

もうパスは来ているのだから、誰から来たのかなんかどうでもよくて、

どこに次のパスを送るかに集中した方がいい。

とか、


毒を出す、というプロセスそのものが生命体にとっては

重要なのであって、毒の中身とか種類なんかどうだっていいんです。

生命体があるレベルから次のレベルに脱皮するときは

必ず毒が出る。その毒はきちんと受け止めてあげる。

受容する人がいないと毒は出ない。

毒だから右から左へ流さないとダメ。

受け入れてそのまま出す能力が必要。

流れると出す方も気分いいから毒を吐ききることが出来る。

毒を受け止める側はそれを右から左に流す、

これが「アース能力」


うまいこと言うなぁ。

あっ、アース能力と命名した人は内田さんじゃなくて、

名越康文さんという人だそう。


歯を治す人

2012-06-08 17:23:17 | ひとの幸福
昔インドに行った時に「あれは歯を治す人だ」と聞いた。

その人は舗装されてない道端にしゃがみ込んで、

小さな箱を一つ傍において、

通り行く人を眺めていた・・記憶がある。

「(歯を治してくれる人)は白い服着て、

綺麗な機械がたくさん置いてある部屋にいる」

そういうのが私の中(潜在意識)にあった、とその瞬間気が付いた。


「歯医者はそういう所にいる・・」

・・云々なんてのは、意識して思っているもんじゃない。

無意識状態の意識だ。


でも、自分のそれが絶対正しい!

となっているわけじゃないから、

目から鱗!で済む。



グルグル回る ⑥

2012-06-08 16:11:36 | 本を読んで
福岡伸一先生の言葉「パスの関係性が主体を規定する」

これはなかなか便利な言葉だ。

生物学で細胞の動きがそういうもの。

細胞に限らず自然はそうなっている。

生態系はそうなっている。

自然は鮮やかな動的平衡の姿をしている。

津波は人間にとっては悪魔のようだが、

海の一つの姿であり、

地層という地球の動きと動的平衡状態になっている姿だ。

ひとの思考はどうだろう。

例えばこんなパス・・・自分の例で、

「なんでここに一番に来ないんだっ!(怒)」というパスが飛んで来た。

「しょうがないでしょっ!私には私の都合があるんだからっ!(怒)」

これはパスを受け取るというより、

来たパスを受け取らず、叩き返したという感じ。

パスの関係性・・・そのパスは自分への攻撃(そういう解釈をした)

主体を規定・・・その関係性は(反撃した姿)として規定した。

この状態は動的非平衡状態なのか?

パスを受け取ってない状態は平衡状態とはいえないのか・・・

なるべくして、なってはいるけど。


「脳の状態の大半は動的な非平衡状態で、

ある一瞬だけ平衡状態が起こる。

しかもそれは時間の流れのほんの一瞬であって、

あっ、渦が今きれいに見えましたね、そうだね、

あっ、もう消えてる、というほどに瞬間的なものなんですね。」

・・という文章が福岡ハカセにある。

水の流れである渦は当たり前だけど止まってない。

瞬間を切り取って見たら、動的平衡状態、動的非平衡状態、動的平衡状態、動的非平衡状態・・・

ということなんだろうか???




しみ

2012-06-08 13:24:38 | 実例体験観察
実は私の顔には直径1.5センチくらいの茶色のシミがある。

実は・・というほどのこともないか・・

ある日いきなり現れたわけではないと思うけど、

化粧に関心がなかったので、

自分の顔にそんなシミがあるのを知らなかった。

シミは在ったのに、その存在に気が付かなかった。

ある日気が付いた。

シミが在る!


美しい肌でいたい、というような願いがなかった、ともいえる。

そんなのがあれば当然気が付く筈。

それまで日焼け止めクリームも塗ったこともなく、

顔をしみじみと眺めることもなく・・

美しいものは見たいと思うので、

美しいと思ってたら眺めたかもしれないけど・・・。


毎日点検してたら、

シミがほんの小さな時に気が付いたかもしれない。

また、点検するような人は日焼けしないようにとか、

いろいろ注意を怠らないだろうけど・・・


ま、シミが在っても、それを知らなかったら、

無いのと同じで、日焼け止めクリームも塗らない、ということになる。


在っても、その存在を知らなかったら、

無いのと同じ。

シミ以外どんなことでもそう。

グルグル回る ⑤

2012-06-08 12:45:53 | 本を読んで
「細胞が何になるかは、あらかじめ内部的に決められてはいない。

その前後左右上下の細胞との関係性によって初めて何になるか決まるわけです。」

・・・福岡先生の話。

ひとがどんな人間になるかは、その前後左右上下の人間との関係性によって、

初めてどんな人間になるか決まってくるのです。

・・・・真似して書いてみた。

これはそうだろうと思う。

両親、祖父母、兄弟、友人、知人、同僚、隣人、本、情報・・・

そんなふうなたくさんの他人とのその時その時や、

それ以前やそれ以後を想像したりの関係性で、

その時その時のその人が現われる。

あらかじめ決められていないのです。

本当にその通り。

グルグル回る ④

2012-06-08 10:36:01 | 本を読んで
「せいめいのはなし」の中の福岡伸一先生の話。

ボールゲームの中で、パスを受け取ってそのパスを瞬時にどこに的確に届けられるか、

これは(パスの関係性)が主体を規定するということ。

生物学で細胞の様子はその通りだという。

細胞が増える時に、あなたが筋肉の細胞になるなら、

私は神経の細胞になりましょう。

じゃあ、私は骨の細胞になりましょう・・・

みたいな、何の細胞になるかをそれぞれに情報をパスしあいながら決めていく。

つまり関係性が主体を規定する。

・・・というもの。

前に「動的平衡2」のところで書いたかもしれないけど、(確認してない)

「雨なら雨で」とか「それならそれで」という思考は、

この(パスの関係性)と似てる。

降って来た雨を(パス)と考えると、

洗濯しようとしていたがやめるとか、

出かける用事を明日に延ばすとか、

履いて行く靴を替えるとか、

・・こういうのも(パスの関係性)が主体を規定する、と言える。

主体である人の状態がパスの関係性でそういう状態になる。

パスを受け取ってそのパスをどこへ渡すか、を手早く決めている。

頑固な場合、「なんでこんな時に雨なんか降ってくるんだっ!」

(なんでこんなパスが来たんだっ!)とか、

(こんなパスは受け取れないっ!)とか思って、

来たパスをどこにもパスせず、

ボールを持ったままうろうろしてる状態なのかもしれない。

これはこれで(パスの関係性)が主体を規定している、と言える。

主体である人の状態がパスの関係性でそういう状態になる。

グルグル回さない姿だ。

ボールゲームが上手な人はどんなパスだろうと受け取って、

的確なところへ瞬時にパスするんだろう。