ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

エセ?手作り

2012-06-18 20:10:33 | 日々の暮らし・思い出
今年は梅の実が結構採れたよ。

傍にある夏みかんもかなり採れて、これは近頃めったに食べられない酸っぱい夏みかんなので、

オレンジピールを作ったりする。義父はこれをみかんの佃煮と言う。

言われてみるとその通りだ。

今年初めてその果汁でポン酢醤油を作ってみたら、

結構いけた。

四国の馬路村のポン酢醤油が好きでそれを買っていたんだけど、

近くの店にないし、結構高いので、そうだ!夏みかんがあるじゃないか!と思って、

やってみたのが成功した。

そのビンに貼ってある成分を見て、同じようなもので家に在るものを、

適当に入れて作ったら似たような味になったよ。

私の舌で同じようと感じただけで、もっとグルメな人が味見したら、

全然違う!と言われるだろうけど。

適当に入れる時、一応なにをどれだけ入れたとメモしておいたので、

そのレシピで3瓶作った。なかなか重宝してる。

そうそう、梅の実は今年、普通の梅漬けと、ほの甘い梅漬けと、

らっきょう漬け用の漬け汁に漬けたのと、甘味噌漬けと梅酒と梅ジュースとを作った。

梅漬けと梅ジュース以外は近くの友人に聞いたレシピ。

初めて挑戦したのもあるから凄く楽しみ♪


湯上りに去年古シーツで作った白のワンピースを今日着た。

これを着るとすっかり夏だ。

前から持ってた湯上り服がそうとう疲れて来たので、

何か適当な布が無いかなぁと探した時に、

亡くなった義母の時代に使っていただろう木綿100%のブロードシーツがあった。

大きな一枚の布なので、よし、これでやってみようと思って作った奴。

一部黄ばんでいたので、紅茶かインスタントコーヒーで染めればいいやと思った。

結果的に今は染めてないで使ってる。白の服もなかなかいい。

洋裁はちゃんと習ったことはないんだけど、

(洋裁教室に多分2、3回通って、つまらなくてやめた)

出来上がっている物を見て、そうなるように作るとなんとか出来る。

製図は自分で着ているワンピースを新聞紙の上に広げて、

これよりこの位大きくしよ、と切ってゆく。

売るわけじゃないから、着れればいいや位の気持ちで作っても、

それなりに形になる。そのプロセスが楽しい。

完成品があると、それを見ながら、そうなるようにと考えて、

適当に縫う。ミシンは苦手なので手縫い。何度も洗うものだから、

ほとんど返し縫いで縫ったり、袋縫いしたりする。


ポン酢もワンピースも、そうなるようにと、作る。

そうだ、これは真似だ。

そういえば小さな頃私はとてもままごと遊びが好きだった。

中学の時、演劇部に入ってたのも真似事が好きだったからなんだろ。

ままごとの語源は真似事らしいから。

黙殺??③

2012-06-18 16:15:32 | 新聞を読んで
その朝日新聞の記事の中に「責任の所在はあいまいなままだ」

「避難国民に一刻も早く情報を伝えるという責任感は文科省にも保安院にも希薄だった」

というのがある。

本当に大雑把な独りよがりの観察だなぁとつい思ってしまうし、

責任をハッキリさせてそいつをとっちめたい、というようなニュアンスを感じる。

国民がどうなってもいい、被爆してもかまわない、

そういう意識が顕在化していた、なんて言えないんじゃないか。

みんなそんなに非情じゃない。

あの地震があったあの頃、いろんな場のたくさんの人たちが

そんなふうに悪人だったとはとても思えない。

人間というものをそんなに見くびってもらうのは困る。

そういう記事を書く人たちには、

人間はそういう邪悪なものだという大前提があるんじゃないのかなぁ・・・

黙殺?②

2012-06-18 15:33:51 | 新聞を読んで
福岡先生の「「平衡が揺れているということは本当はそこに秩序がないということ。

なにかしら生命現象に因果関係を求めるのは、幻想なのかもしれない。

なにかがなにかの原因であるということは、

止めたときにドミノ倒しのように見えているだけで実はそうじゃない。

後から振り返っていくと、この現象が起きたからここが原因だ、

と見えてきますが、そのプロセスを巻き戻していくだけだから、

同じ現象が起きたら同じことがまた起きるとは限らない」

・・という発言があるけれど、

意識というものは人が創ったものではないし、生命であり、

生命現象だと思うので、

今回の報道が云っているのも、ここが原因だと見たい、

そういう意志が働いているように見える。

ひとは見たいものを選択して見ている。無意識に。

見たいものを見ている、という記述もどこかにあったし、そうなんだと思う。

「動的平衡」か「せいめいのはなし」どっちだか忘れたけど。


『動的平衡』は「意識の問題」と「記憶の問題」とも、

福岡先生は云っているけど、わかる気がする。

「後から振り返っていくと、この現象が起きたからここが原因だ、

と見えてきますが、そのプロセスを巻き戻していくだけだから、

同じ現象が起きたら同じことがまた起きるとは限らない」

・・・全くその通りと思う。

全ての一致で、事はその時その場で起こった。

この現象で、もしアメリカ側の誰かが、

「このデータを送ったけど、

日本政府はどうして公表しないのですか」と菅首相に電話して、

公表を勧め、「危険地域に避難する事は避けた方がいいと思いますよ」

とでも言っていたら違う現象がそれに続いたかもしれない。

(実際どんなことがあったのか知らないので、勝手に書いてるけど)

アメリカ側がそれをしなかったのは、

そこまでするのは僭越だと思ったとか、思わなかったか・・

データだけただ、送ればいいと思ったか、

送れと指示した人がその位わかるだろうと思って、そこまで指示しなかったのか、

これも勝手な妄想だけど・・・

そのアメリカ側からの電子メールを受け取った外務省の誰かが、

文部科学省や原発保安院にそれを送信する時に、

危険区域に避難することは避けた方がいいのではないか、というような

コメントをつけていたら、違った現象が起こったかもしれないし、

外務省の誰かも他のことに頭を占められていて、

そういう発想が浮かばなかったのかもしれないし、

そういう発想が浮かんだけれども、無意識のうちに、

それは越権行為になるからというのが働き、やめたのかもしれないし。

これみんな今、考え付いた私の勝手な推測なんだけど、

実際にはこういった無数の意識の可能性がある。

その瞬間瞬間で無数の選択肢の中から無意識にそれを選んでいる、のだけれど、

ひとは無数という全体を見られないから、

部分である自分のその時の意識で何かをしている。

仕方がない。起こったことは済んだこと。

けれど、その意識プロセスを明らかにするのは意味あることと思う。

あぁ、自分はこういう意識の状態になって、こういうことをしたんだな、という自覚は、

必ずその後の時点で役立つ。

人をより自由なものにする。

どの時点での現象と意識なのかを観察出来ない状態で、

過去の現象の止まった形を見て、自分流にその“原因”を探り、

それを事実かのように、無自覚に判断し、

それを非難否定する魔女狩りは、

人をすくませるし、生きる事を窮屈にし、不自由にする。

そう思う。

黙殺???

2012-06-18 11:57:34 | 新聞を読んで
今朝の朝日新聞の一面、

「米測定 避難に生かさず」

「福島原発事故 政府、線量図放置」

2面に「命守る情報 黙殺」と大きな活字が並んでいる。

アメリカのエネルギー省が去年の3月17日から19日、

米軍機で空から放射能測定(モニタリング)を行なって詳細な汚染地図を作成したが、

その情報を受けたのに、日本政府は公表せず、

住民の避難に活用しなかった、との批判記事。

あぁ、又、メディアは正義の味方をやってるなぁ、と思う。

正義の味方には悪役が必要。

そして悪役を創りだす。


新聞を読むと、その情報を3月18日に外務省から受け取った文科省の次長は、

「すぐに公表すれば良かったと今は思うが、

当時は提供されたデータを住民避難にいかすという発想がなかった。

安全委などにも伝えるべきだった」と話したという。

とても正直な話しだと思う。

その時点でそのようで在ったというのはわかる気がする。


「黙殺」と言えるからには、

このデータを公表した方がいいと、その時点で思っていたが、

公表しないことにしよう、という意志があったということだ。

「黙殺」の意味はそれを無視したということだ。

無視とは在ることを知って、見ない振りをすることだ。

無視するとは意志を表わす言葉だ。

そういう意志がこの次長に在ったと、朝日新聞はわかったのだろうか。

そういうことだとわかっていたのだろうか。

いつ、それがわかったのだろうか。次長がそう発言したのだろうか。

実は黙殺したのです。国民の事なんか何も考えちゃいなかったんですと

彼は言ったんだろうか。朝日新聞の記者は多分自分の書いた原稿について、

そこのところが無自覚だったのではないかと思う。

この人は公表しないことにしようと意志したのではないと思われる。

これは私の推測だけれど、この発言の文脈からは、

正直に話していると感じる。

あの当時、それどころではなかった・・・

原子力・安全保安院の人も原発制御で必死だった、という記事もあったように、

この次長も他のことで頭がいっぱいだったのだと思う。

なんでそうしなかった、なんていうのは

その事故の全体が見えるようになった後の時点での発想だし、

現象は意識の流れで起こるということを知らないことからの発想だと思う。

それをこの記事にした朝日新聞は「黙殺」と大きな活字で世の中に発信した。

それはそれでその時点では仕方の無いことではあるけれど。

自分が黙殺と書いたその意味を知らなかった、

ただ未熟だということなんだから。

けれど、思ってしまう・・・

この報道でまた誰が悪かったのか、

そんなふうな続きがありそう。

中世の魔女狩りに似たような感じ・・・





在るだけじゃ何も起こらない ③

2012-06-18 11:06:26 | ひとの幸福
子供が犬を苛めていた、という現象の一番最初の基はどういうものだろうか?

愛、それなんじゃないか。

この現象だけに限らず、全ての現象が今の時点でその姿になったプロセスの一番最初の基は、

愛、それなんじゃないだろうか、という仮説。

今の時点で今の姿になっている(姿・現象は止まってないから、こんな表現している)、

それをどんどん遡って行くと(愛)に突き当たるし、

その途中途中のどの時点でも、(愛したい、愛されたい)が在る。

その(愛したい、愛されたい)が生む(不安)が在る。