ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

本質 と 現状

2013-07-19 10:16:35 | ひとの幸福
ここでいろんなこと書いてるけど、

人間の本質、本来の姿というものがどんなものかは、

今の世ではっきりとはなってないかもしれなけど、

真理を表す人間の姿というものはあると思う。

その姿と現状の姿とは違う。

だからといって、現状の姿がいけないということじゃない。

人間のいろんな思い・・・蔑み、嫉妬、怒り、自己憐憫、憎しみ、優越感、劣等感、

悪意、冷笑、冷酷、イライラ、不満、不安、不平・・

ひとのせいにする思い、自分だけ得しようという思い、・・・

そういった姿は現状にある。

在るものはどんなものでも、誰が何と言おうと在る。

否定したってなくならない。

存在するものの否定は百害あって一利なし。

人のせいにしちゃいけないと、ひとのせいにするその思考を、

否定する思考はひとを苦しめる。

それは人のせいにしたくない、という意志のことじゃないよ。

ひとのせいにしたくなる、ひとのせいにする、そんな思いは現状に在る。


在るものは在る、在っていい、・・・というそういう境地と、

そこから発する行為が、真理を表す姿になる道なのかと。


青い本の「現状そのままで・・」という言葉が云っているのは、

「現状そのままで・・」という境地を云っていると思う。

在るものを在るがままに受け入れる境地を言っているのかと思う。

そういう境地に行く為の方法が青い本にはたくさん表現されている。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ビール飲んだ

2013-07-19 09:40:41 | 日々の暮らし・思い出
昨夜ビールをゆっくり夫と飲んだ。

真面目な夫とはどんちゃん騒ぎにはどうしてもならないけど、

二人で語らいながら二時間を過ごした。

普段は食事に10分もかからない早食いの私なんだけど、

気がついたら二時間経っていたよ。

私はビールを飲みたかったんじゃなくて、こうした時間を過ごしたかったんだなぁ、

と思った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ビールを冷やした

2013-07-18 17:03:43 | 日々の暮らし・思い出
久しぶりにビールを冷やしている。

このところ飲んでなかった。

飲みたい!になった。暑いし、ドンちゃん騒ぎもしたい!?

でもここではドンちゃんする相手がいない。

こういうとき、あ~ぁ・・と思う。

つまりは気分転換したいわけだ。

関係ないけど、今日の「あまちゃん」

キョンキョンの台詞、今日の、よかった。

「嫌なことがあるとみんなお母さんのせいにして来たからやって来られた」

ひとのせいにしたい・・とかいうタイトルで書いたことがあるけど、

そういうことも一面ある。大いにあるし、いけないことなんかじゃない。

ひとのせいにすると気が楽になる。

でも、それを引き受けられない自分だとわかっているからだ。

ということはそれは自分が引き受けるもの、って自分の奥深くがわかっているから。

夏ばっぱは「あんたらは難しいね~ ナンタラカンタラ・・私はシンプルだ。

海があるから潜って・・」とか言ってた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

義父の爪切り

2013-07-18 16:43:10 | 日々の暮らし・思い出
義父の足の親指の爪は小さくなっている。小指の爪くらいの大きさしかない。

靴下に血が結構付いていた。

聞くと、爪を切ったらいっぱい血が出たので穿いてる靴下で拭いたんやと。

もう血は止まっていたけど、それを拭いたりバンドエイドを貼ったりしてるときに、

「ダメ!こんなに切っちゃ!」と私は言っていた。

自分でもびっくりした。

義父に対してこんな言葉遣いをしたのは初めてのことだった。

そう言った後から涙が出てきた。

下を向いていたから義父には見えなかったと思う。

そのとき、(こんな思いになって、こんなふうに涙が出てくるのか~)が浮かんだ。

小さな子供に母親が心配なあまり泣きながら注意しているみたいと思った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

聾唖のひと と 外人

2013-07-18 16:33:15 | 言葉
手話を勉強してる知人が友人から聞いたという話。

聾唖の人は聾唖でない人より空気が読めない傾向があるという。

それはIQなんかにはまったく関係なくて、もちろん差別的発言でもない。

そのような事実が在るということのよう。

でも聞いたとき個人差はあるんじゃないだろうかと思った。

その話では、聾唖の人と話しているとき(手話でだと思う)、

西洋人と話しているように感じることがあるらしい。

論理的に納得するまで食い下がる傾向があるという。

理屈っぽいという。

行間を読めないともいうニュアンスもあるのかもしれない。

私は人と話しているとき、ううん・・それはぁ・・

・・なんて感じですぐに返答できないこともよくある。

自分の心に在るものを言葉という制約されたもので表現することが難しいと感じることがある。

そういう感じのことを手話通訳するときに訳者はどう表現するのだろう・・・

なかなか難しいと思う。省かれることもあるかもしれない。

起承転結がはっきりしている言葉だけが伝わるのかもしれないと思う。

手話もどんどん進歩しているらしいとも聞く。

手話の世界を知らないでいい加減には言えないけど、

外人と話しているみたい、という感想を聞いてそんなことを考えた。

ギシギシとかヒリヒリとかムンムンとか、そういった擬音語や擬態語なんかはどうやって

手話で言うのかわからないけど、なかなか難しいんじゃないかと思う。

言葉が人間を創るって、私は思っていて、

日本人が日本人的気質なのは日本語を聞き話すという体験で、

そうなるのではないかという仮説を持っているんだけど、

手話という言語は西洋人的気質になるのかもしれないなぁ、なんて思った。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

畑の帽子

2013-07-18 07:49:15 | 日々の暮らし・思い出
今被っている畑用の帽子はとても気に入っている。

日差しをかなり遮るし、首もぐるりと隠れてそれほど暑くない。

ウォーキングの時も最近はそれを使っている。

替え用にもう一つ買った。

買ってから、そうだ、コレ自分でも作れるかもって思った。

(そういうものは買うもの)っていうのがあったんだなぁと思う。

早速作ってみた。似たようなのが出来た。

でも買ったのはUVカット99%って表示があったけど、

この生地はそれがどのくらいなのか・・わからない。

でも、まぁいいや。

今、畑はキュウリ、ナス、ミニトマト、インゲン、サニーレタス、にらが採れている。

今年は今のところサル被害もなく、順調。

ゴーヤはまだまだ小さいけど、もうじき採れるかも。

昨日の午後それほど日差しが強くなかったので、

ウォーキング、スロージョギングで畑に行き、収穫してきた。

畑は本当に気持ちがいい。

ミニトマトあいこは採っても家までたどり着かず、

私がその場でみんな食べてしまう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

欠点だらけ

2013-07-17 16:03:12 | ひとの幸福
私たちはみんな欠点だらけだ。

完全な人も広い世の中にいるかもしれないけど。

「いつでも何処でも誰とでも仲良し」という言葉があったけど、

コレは本当に深いし難しい。

いつでもというのは瞬間瞬間だし、

何処でもはまさしく何処でもだし、

どんなに欠点だらけの自分でも、どんなに罪深いことをした人でも、

どんなに嫌味な人とでも、どんなに偉そうな人とでも、

どんなに性格悪い(この言葉最近よくテレビで聞くから使ってみた)人とでも、

すぐ誤解曲解してしまう自分や人とも、

気分が悪くならない(不愉快にならない)で過ごせる自分になりたい。

生きている間にそんなこと無理だとは思うけど、

結果的には無理だろうけど、死の時へたどり着くまではあきらめないで、決めないで、

できるだけそういう人に“なって”いきたいというのはある。

死ぬときにやっぱり無理だったけど、出来るだけはやったな、と思って死にたいよ。

自分にも人にもこんな欠点があるからダメだ、としないで、

欠点もそのまま在るがまま受け入れられるように。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ひとのせいにしてた自分

2013-07-17 15:01:17 | 実例体験観察
「この事をどうしてる?」という疑問形で彼女が言うので、

ついそれに対し、コレコレこんな・・と話したらすぐに、

「そんなことしてるの!?私はコレコレこういうふうにしてる」と言う。

あんたのより、私のやり方の方が絶対いいわぁんという感じ。

それを言いたかったから、導入部として私に、

「この事をどうしてる?」と言ったのかとも感じちゃったよ。

この時私は又ひとを否定して優越感に浸りたいんか~と思って・・・

癪な感じしてた。

どういう方法で彼女にそういう事をやめさせるか・・みたいな考えが湧いて来た昨日の自分だった。

それを始めると、彼女のそういう感じ悪さばかりが頭を占めて来た。


そのことで自分の気分が悪くなっている、という自分に起こっている信号の方に

留意できなかった自分だった。

彼女のせいで私はこんな嫌な気分になっている・・

・・というふうに自分がなっていたのだった。

自分の気分の悪さを人のせいにする被害者になっていた。

出て来る思いを書くよ、今、これから。

何故私はそういう彼女の在りようを嫌だ、感じ悪いと思ったのか???

彼女がそういう言動をしたから・・じゃない。

うん、それはキッカケに過ぎない。

「私はこんなふうにしてる」という自分の言葉を否定されたとなっていた。

彼女が自分の方が正しいというオーラを撒いているのが嫌だった。

なんで嫌だったのか?

「やり方なんていうのはこの方法だけが正しいなんて、ことはない。

自分のやり方だって一つの方法だ」を持っていたからだ。

そしてそういう自分の考えを正しいとして持っていた。

正しさに対して正しさで向かった、プラス同士だったから反発した自分だったのかと思う。

また、こういうのもあった。

優越感に浸りたい、勝気、そういったものを彼女より多く持ってない私の方が

彼女よりましなのに、彼女は偉そうにしてる・・・

そんな彼女をぎゃふん(本当にそんな言葉を吐く人はいないような気もするけ
ど)と言わせたい。・・・

・・・そういう非常に偉そうな傲慢な自分だったからだ。

人の優越感にカチンとなるのは、自分も同じものを持っているからだ。

こういうことは以前に考えて書いたこともあるような気がするけど、

こういう実際の場面でこういう自分の優越感がこんなふうに作用するのを

きちんと観察できたと思ったよ。

そうか!そういう自分だったからだったのかと納得した。

ここのところ、ユイちゃんシリーズで被害者的心情について考えてきたせいでか、

昨日友人である彼女に久しぶりに会い、

会話したことがキッカケでこういう自分を発見できたんだと思う。

こういうことを公開するのはすごく恥ずかしいけど、

でもよかった。

どんな思いもそれがそうなったプロセスを観察してみると、

「自己に発し自己に還る」だと、実践、観察、検査してみて一層思うよ。

思考上の被害者なんてやはりいない。

彼女はその時その時の気持ちをそのまんま出す人で、

気さくで明るい。

今度彼女に会ったとき、また優越感に浸りたい彼女を、

(自分でも勝気と言っているし、そういう気性で在ることは確か)

見聞きした時に自分がどんな反応をするのか・・・

以前と同じに又嫌な気分になったら、まだまだ失敗経験が足りないということだろうな。

さてさて・・楽しみ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドラマを活用して考えてる・・

2013-07-16 09:21:51 | テレビを見て
「どんだけ不幸かしんないけど・・・」というあまちゃんの言葉は

ユイちゃんの意識が本物の被害者じゃない・・というようなことを表していると思った。

ユイちゃんはその言葉に対して、ひとのせいにしてると言いたいんでしょ!みたいに言った。

ということはユイちゃん自身がそういうことを心の奥ではわかっているからかと思う。

自分の中にそれが露ほどもなかったら、そんな言葉は出てこない。

また、あまちゃんはユイちゃんがひとのせいにしてる・・とは言わなかったけど、

それを感じたのでなければ、「どんだけ不幸かしんないけど・・」の言葉は吐けないと思う。


けどけど、ユイちゃんはこうなった自分をただそのまま受け入れてほしかった・・・

そんなこと頭ではわかってるよ!言わないでよ!・・


ひとのせいにしてることを周りが否定することなく、そのまま受け入れてくれたら、

人は自分がひとのせいにしてることに気が付く。

知識という頭の中だけでなく、心が気づく。

それは知識が知恵になる時だ。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ユイちゃん あまちゃん

2013-07-16 09:04:16 | テレビを見て
今朝の展開ではあまちゃんも自分の言った言葉に後悔してた。

昨日はそんなふうなところまで心が行ってなかったんだろうな。

後悔しないわけはないわな・・・

お互いが相手を傷つけたと思ってる。

本当にこういうことは多いよね~

釈迦くらいでもない限り真正面からぶつかったら互いを傷つける。

でもそれを避けてたら(表現しなかったら)その心の位置からは抜け出せない。

実践することがなかったら前へ進めないのはどんなこともそうなんだろうな。

この世は、精神的世界でもあるけど、物質的世界でもあるというのは

どんなに素敵なことかと思うよ。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人の為に と 犠牲的心情

2013-07-15 11:34:50 | 言葉
ユイちゃんママは犠牲的心情で良妻賢母をやっていたのかもしれない・・

というようなことを書いたけど、

日本語の文字から見ると、「人の為」って「偽物」の「偽」だし、

「人為的」の「人為」だ。

自分がそれをやりたいと自覚納得してやるところの、

後で副作用が起こらない心情は人為的ではなく、自然的なんじゃないか。

その事をやりたくてやるという選択肢を自分で選んでいる状態。

それはそうしない事もできるという選択肢もあるとわかっていなければ選べない。

それに対し犠牲的心情は人為的と言えるんじゃないか。

どうしてもその思考は不自然になるんじゃないか。

そして、その心情はそうしないという選択肢など頭にない状態。

今朝のユイちゃんの言葉がそうだったね。

「父や兄を放っておいて行けると思うのっ!」

そういうユイちゃんをもちろん批判なんかしてないよ。

そうなるのもよくわかるから。

そしてそれはユイちゃんの優しさだから。

でもでもでもでも・・・犠牲的心情は終局において「かさぶた」で書いた、永遠の幸福には繋がらない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ユイちゃん あまちゃん 

2013-07-15 10:25:44 | ひとの幸福
今朝の連どら「あまちゃん」とうとうユイあき対面シーン。

どういう展開になるかと興味津々。

これがよかった。あまちゃんのこの言葉「どんなに不幸かしんないけど、

思い出にケチつけることないべ~」だったかな、正確な表現じゃないかも。

「どんなに不幸かしんなけど・・」この台詞あの時代のユダヤ人には言えない。

それを言えるということをあまちゃんはわかってる。

言った後に後悔してるふうはなかった。

それに「お母さんは帰ってこないよ」と不幸中?のユイちゃんに言った。

そうしたらユイちゃんは「帰って来るっ!」と。

ちょっと切ないね~。

ユイちゃんママのその後の展開に興味津々な私だよ。

最後の方の場面でユイちゃんはあきちゃんを傷付けちゃったと言って泣いてた。

可愛いなぁ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ユイちゃんとユイちゃんママ

2013-07-14 14:49:17 | テレビを見て
犠牲心で良妻賢母をやったことを後悔し・・・

コレ、連ドラ「あまちゃん」のユイちゃんママのことで昨日だか書いた文章。

ドラマの中でユイちゃんが自分の母親を観ていて、

今の暮らしを我慢してやっているだけだ、演技してるだけ、

というようなことを言い切っていたシーンがあった。

そう思って見るとそうとしか見えないということはある。

ユイちゃんのその時の、「才能ある人がこんな田舎に、

ずぶっと浸かっているなんて有り得ない・・」という価値観から母親を観ると、

犠牲的精神で日々を送っていたふうにしか見えない。

でも、もしかして他の暮らしをしないということを、

自分で完全に納得して、今の暮らしを自らそうしたくて選んでいると自覚していたら、

犠牲ではない。

ユイちゃんのような見方、価値観から見ると、どうしてもそう見えない。

当の本人しかわからない心の内のこと。

そういう自覚納得の上だったら、破綻は来ない。

ユイちゃんママが破綻したのかそうではないのか今のところわからないけど。

自分の本心を抑え付けて、そうするのがいい・みたいな価値観で生きていると、

必ず副作用を生じるのは、今までいっぱい書いてきたけど、

こういうのもそうかと思う。

犠牲心 と そう見えてもそうでないもの は本人しかわからないことではあるけれど、

副作用があるかないかで他者からもわかる場合はあるかと思う。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

かさぶた  ③

2013-07-14 12:56:57 | ひとの幸福
「かさぶた」で書いたけど、

「・・諸事を考え行なうに当たり、その思い為すこと(瘡蓋無理剥がし)が、

果たして(結果として・・だと思うけど)

終局において自己を含めた・・・永遠の幸福・繁栄に資するものであるか、

どうかを検討し、一次的(・・・)の目前の結果にとらわれないように、

心して居ります。」

誰が心して居るのか、そりゃコレを書いた本人だろう。


永遠の幸福!・・・永遠だよ!!

ちっとやそっとじゃこんな台詞言えないよ。

今ここの行為(思い為すこと)が永遠の幸福となる助けになるものか?

永遠の幸福に役立つものになるかどうか?

かさぶたで考える・・・

かさぶたを取る行為をしている時、傍に小さな子供が居るとする。

子供はそれを観ている。単に観ている。

小さな子供の脳波は前も書いたけど、大人の脳波と違って、

なんでも鵜呑みにするという意識の働きになるという。

なので、批評も非難もない。ただ観ている。

脳波がそうなっている結果、子供はそれを真似するようになる。

大人が何度も何度もそういう行為を見せていると、

子供にその時はかさぶたが出来てないけど、

「こういうことになると(かさぶたが出来ると)こうやって取るんだな・・・」

というプログラムがインストールされ、

かさぶたが出来た時に無意識にそうしてしまう。

・・ということが考えられないか???


永遠の幸福に役立つかさぶたにまつわる人の在りようとは・・・???

かさぶたを自然に感じられないというのはある。

ぼこっと出てるものは消滅させたい・・

気になるものは気にならなくしたい、というのは人の本能のようなものだ。

それは当然だ。我当然。

だからといって(取りたい→取る)にならないのは、

周りの誰もが、かさぶたを取ったりしない、

それもごく自然に。

自然に自発的自由意志を働かせているので。

謂わば、「我当然 執抹殺」の執抹殺だ。

かさぶたを取らずにはいられないという執は軽く抹殺してる。


・・と、まぁこんなふうに思うんだけど・・

かさぶたにまつわる人の在りようなんか、人生の些事ではあるけど、

一事が万事とも言うしね~





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ユイちゃん と ユイちゃんママ

2013-07-13 11:04:47 | テレビを見て
ミス北鉄のユイちゃんは今日も荒んだ目つきをしてたなぁ。

上手いなぁ、あの表情。橋本愛ちゃん。

昨日だか一昨日だかに書いたユイちゃんの荒みや私の僻み心は、

偽物の被害者。

本物の被害者(アウシュビッツに送られたユダヤ人など)と

偽物の被害者の違いは何処にあるのか???

それは現象を見聞きしたときの捉えが事実に則しているものか、そうでないか、なのかなと思った。

ユイちゃんは母の失踪という現象を自分への被害と捉えた。

ユイちゃんの母親が何故失踪したのか、なんにも今のところわかっていない。

全て想像の世界である。

ユイちゃんは母を自分勝手な人間だと思ったのかもしれない。

自分を母の自分勝手の被害者だと決めたのだろう。

もしかして、母の方は・・

母である自分が自分の本当にやりたいことをしないで、

犠牲心で良妻賢母をやったことを後悔し、娘にはそんな経験をしてほしくないと、

本当にしたいことをやれと見本を示したのかもしれない。

でも、ユイちゃんにはそこまで読み取れないだろうな・・

母は何者かに誘拐され、殴られ、記憶喪失になったのかもしれない・・

(韓国ドラマのようだね~)

勝手に想像して勝手に思ってるよ、わたし。

実際はどうなのか・・NHKの人とクドカンさんのみぞ知るか・・

まぁ、(母が居なくなったこと)という現象を、

どう捉えるのかは基本的に各人の自由。

それをいいキッカケにするか悪いキッカケにするのかは、

ユイちゃんの人生の場合、ユイちゃんが決める。


迫害されたユダヤ人は・・ナチスのひとたちの言動、行為を自分たちへの被害と捉えた。

その捉えは事実に則している、と言えるんじゃないか。

現象に対する捉えと事実はこうで在るという事が合致しているんじゃないか。


本物の被害者か偽物の被害者か、その違いを、

被害者と感じている本人の“気分”は知っているんじゃないか。

悲しみ、ストレートな怒りと、僻んで荒む自己陶酔、微妙な偉そう感とは違う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする