私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!
2019・9・9、天地の公道
[人間には、時がなければ生きられず]
『花のいのちは短くて、苦しきことのみ多かりき』を、ご存知でしょうか?『放浪記の作家、林芙美子』の実体験から生まれた短歌は有名です。まさに、その歌の通りの人生を生きた方です。
御神尊様は、『苦労多き人生には、時間に対する反逆』をあげられています。『時間を信仰に使う』とは、『許された時をいかに使うかを信仰は、教えている』からです。
『人間には、生まれた時、生きている時、死ぬ時、』あるいは、『起きる時、起きている時、寝る時、寝ている時』さらに、『見る時、聴く時、いう時、思う時、』『働く時、休む時、』『あらゆる時という時間』があります。
『生命に終わる時』はあっても、『時間に終わりはありません』
その間の『生活を刻む時』『道を学び、合掌の時間を歩む』私たちには、『与えられた時間を、いかに活かすか』無駄な時間の浪費はゆるされていません。
とにかく、『憎み、咎め、囚われている』時はありません。あるのは、ひたすら『喜びと笑顔を目指して』一目散、駆け抜けるのみ。
2019・9・8、信仰と人生、
[信仰に親切がなくては、その信仰は成立しない]
『信仰は、眼や耳だけを傾けても、身につける』ことはできません。『そこで、耳にし眼にしたこと』を、『親切という人を思いやる実践実行によって、人生に意義がうまれてくる』のです。
『親切とは』いまさら言うまでもなく、ことばとしては立派に認知されています。では改めて思い返してみましょう。
まずは親しみを込め、丁寧で暖かい心であること。人に対しては人情厚く、睦みあい、愛情をもって、心からいたわることです。
このように、『親切と信仰とは、表裏一体』です。『できないからやらない世界』から、やりますで、とにかくできるところまで、努力してみようですね。
『その時、その場』『その時、その日』『人様のために、親切心を、有効に使う』ことによって、『実は、信仰力も高まり』『精神上の悩みも、肉体的苦痛も癒されていく』のです。
『信仰心という情を、親切という形に現す』ことをしらず、『心の囚われにながれる』ことは、もったいないですね。『幸せの道は、時間を周囲の人間関係に心を砕く』のと、『信仰心の軌道はおなじ』です。