私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!
2019・12・16、心と運命
[心乱れて運定まらず]
人間の運命ほど、天気のように不安定なものはありません。
最近は気象庁の発表する台風予報は、生命の安全を優先して、避難の的確な情報を発表しています。
しかし人間の運命には、それがありません。『心の気象庁』があればとてもありがたいのです。
運命的現象には、必ず『まさか』ということばのフレーズがついてきます。
それは、人間心が『見ては乱れ聞いて混乱し、考えては絶望する』様に、定まりなき様相をみせるからです。
その揺れ動くさまが、感情に支配されているからです。やがてその日の運命は、心のままに現れるからやっかいです。
そのようにならないために、『ありがとうの心』で、『合掌心を鍛錬し、磨く必要』があります。
つまり、いかなる事情があろうと、慌てずさわがず冷静に自分自身の心をを見つめ、何が足りて何が足らないのか。
そこが腑に落ちれば、笑顔がうまれます。とたんに幸せ観に満たされてくるから、ふしぎです。
2019・12・10、天地の公道
[天地は生きている]
『天地は生きている』といえば、『そりゃ当たり前』といわれそう。
実に平凡なことばです。しかし、人間は仕方のないもので、人生の流れの中で、『いつのまにか、当たり前の中』にドップリつかってしまうことです。そして、感動を徐々に喪うことになります。
そのいい例が、『突然の病気で倒れること』これを、『まさか!』といいます。『健康で生かされている自覚』がなくなり、何ごともなく日々流れていくことに、慣れてしまった結果がこれです。
流されて、『当たり前の生活』に、『無感動の生活』に、『自覚を促す』のが、『悩みや、病気のブレーキの働き』です。
『真理は平凡なところにあり』です。朝がくれば、『その目覚めに感謝する人』がいます。『ああー今日も仕事か』嫌々ながら起き出す人もいます。
『天地は動いています』動くとは『生きている』ことです。『呼吸を真っ先にしているのが、天であり、地です』私たちは、『呼吸を寸時も止める』ことができません。
ならば、『幸せの根源は、天地の働きに感謝できる』かどうかにかかっています。御神尊様は起き抜けに、朝は東に向かいポンポンと、合掌の手を響かせていたものです。
具体的にいえば、『縦の生命は先祖から、横の生命は、家族、他人様から』『縦糸、横糸が繋がって、仲良く』できています。それを『天地の計らいによる幸せ』と言えましょう。やります!
2019・12・9、人生と運命
[幸せを希うより、幸せの種を蒔くことが大事である]
神ならぬ身、人生間違いを起こしたことのない人はいないでしょう。それをあえて、判断を誤ったことは無いと、自信をもって主張するとすれば、頑固一徹といわれても仕方ありません。
ほとんどの人は、心の奥で過去の失敗を、悔いながら日々を送っています。また、新しい失敗、間違いを抱えて、途方に暮れているかもしれません。
だからこそ、『人間関係の好き嫌いの対象』の人にも、同じような心の荷物を抱えていると、考えるところに『理解の道』があります。そしてそれは、『天地自然の愛の道』でもあります。
そのように、『自分が苦しむように、人も苦しんでいます』
それが本当に『理解できる人』になったとき、霧が晴れるように歩むべき道が示されます。『理解のそのひとつひとつが、幸せの種まき』です。
『周りの人の姿は、自分の心の反映』です。『人が悪くみえるか、よく見えるか』もしよく見えれば、『自分の心に理解の修行』を積んだからです。それこそ、『心の畑に種まく人』です。
『好き嫌いや、対立の心を去り』相手の気持ちになれば争いもありません。『争いの邪気を刈り取り、幸せの種を蒔く人』になることです。やります!
2019・12・8、運命の実相
[不幸は敵にあらず]
世間では、『運命といえば、諦めの代名詞』のように使われています。
よくよく『運命の意味を考えてみる』と、運命とは生命の運行ことで、『過去から現在へ』そして、『現在から未来』への人生の流れを見て、『自分自身の運命を知る』ことができます。
『なぜ不幸になったのか?』と、過去の原因を探り、『どうすれば幸せになれるか?』と、自分自身の心の歩みを、見つめられる、客観性を持ちたいものです。
『自分の歩いている運命を開拓する』知恵を身につけなければなりません。
これこそが、『人生の一大事であり』それ以外は『運命の認識に比べれば、小さな』ことです。
[運命は天気天候に似たり]と教えにあります。天地自然が日々流れているように、何事も結論を出すのは、はやすぎます。
今不幸だから、明日も不幸とはかぎりません。
今幸せだから、明日も幸せとはかぎりません。
『運命が流動しているように見えて、実は人間自身が不安定』なのです。運命を字解きてみるとー『厭世観』『楽天観』『改善観に分ける』ことができます。
運命の前に立つとき、『常に改善の精神』を持ち、『目の前の事情を敵視する』のではなく、『自分自身の考えを、変えていく、柔らかさ』でのぞみたいものです。
2019・12・7、天地の慈悲
[喜びは、汝自身の生命なり]
『天地の道の終着駅』は、『喜びと笑顔駅』になります。
御神尊様のお話の着地点は、必ず『喜びと笑顔』でした。
『なんでだろう。口癖かなぁ?』などと、不遜なことを思いました。こうも言われました。もし、『喜びと笑顔』という言葉が使えないとしたら『両手両足をもがれた』ようなものだと。
それほど、『喜びと笑顔は、天地公道の中心』であり、『核心である』といわれました。
人間は飲んで食べて、それだけで生きているわけではありません。
今のあなたは、幸せでしょうか?それとも、事情や、病苦の渦の中でしょうか?
そこには当然、対立や衝突が生じます。おたがいの、より深く『繋がりたい理解したいと願う』『愛を求めての発露』でしょう。
私もようやく、『いかなる事情に遭遇するとも、喜びと笑顔を失わず』に向かい、その『一点に努力を傾けられる』日常になりつつあります。
同じやるなら、『心から喜んでやること』
とにかく事にのぞむにあたり、『先ずその内容より、呼吸を整えて、喜びをもって取り組む』ことです。
これこそ『命の食事、心の栄養、』『生命と生活の充実』につながります。
2019・12・6、人生と人間力
[進んで負えば、重荷また重からず]
私ごとながら、ライン日記を始めて1070日あまり、78歳の誕生日を迎える事になりました。
この日の2日後、『日本はアメリカに真珠湾攻撃、太平洋戦争』の火ぶたが切られ、奈落の底に落ちていくことになります。
さておいて、
『何事も気持ちの持ち方』といっても、なかなか分かったようにして、わからないものです。
だからこそ御神尊様は、レンガを背負ってみせました。それは、どんな事情に遭遇しても『精神力の限界、人間力の限界にも構わず、自らの生命をかけて進んで負う』ということを、自らの背中と行動で、言葉を超えて範をしめされました。
『何事にも、自分から進んで、主体的に取り組む』ことの大切を教えられました。そしてその精神力、人間力は、『観念だけではうまれません』
その『人間力は誰かのため』『夫のため、妻のため、親のため、子供のため、家族のため、人のため』への思いこそ、救いの世界に繋がる道です。
その思いは、『喜びとなり、喜んで背負う力へとなる』のです。
『どんな重荷も決して重く』ありません。『背負う過程、時間は実に辛いと感じる』ものですが、『人間の生命力には、この忍耐でスイッチがはいる』のです。
『重荷を背負いながら、笑顔の人』がいますが、このようなことからきています。しかも、『忍耐は、これからの人生を支えてくれる』ものです。やはり、『苦労は買ってでもせよ』ですね。やります!
2019・12・3、運命と人生
[話は、夫婦を繋ぐ鎖なり]
人間関係を、滑らかに運ぶためには、『お互いがよく話し合う』ことですが、そこに感情が入り込み、利害が挟まれて、ややこしい方向にいきやすいものです。
その冷静さを保つのは、心の手を合わせ、親のことや家族への思いを考えていれば、相手の思いを受け入れるゆとりがうまれるものです。
『人間には、考え方の違い』があります。それは、『環境の違いからもくる』もの。それを『いつのまにか忘れて、とがめて』しまいます。
そして、『自分の気持ちを押し付け、相手を思い通り』にしようとします。すると、相手も同じ思いですから、『反感を呼ぶ』だけです。
日常の生活が、『運命製造に直結』していますが、同じことを繰り返すのは『学習能力のない人』です。
とにかく、『話す者の身になって聞き』『聞く者の身になって話すだけ』ただこれだけです。
『話は夫婦、親子、人の心と心を繋ぐ鎖』です。
2019・11・30、天地の慈悲
[愛の一念]
宗教に関係することばに、障り(さわり)祟り(たたり)ということばがあります。
御神尊様は若い頃、そのようなことを研究された時代がありました。人間は弱い者、そのような事柄には、囚われてしまうものです。そして、結論は人間の心の弱さによる、迷信と断じられました。
昔はよく母親が子供の病気を助けるために、神社にウシの刻参り、(深夜零時ごろ)をして、その母の愛の一念が、神に通じておかげをいただくことがあったと、聞いています。
母の愛の一念で助かったとするのが『自力』神の導きもあって、助かったとするのは『他力』のこと。
御神尊様は20年間、天地を師匠として、『神と人間は、同等の力を持っていることを発見した』といわれました。つまり、『母の愛の自力、と神の他力の愛』の妙合。『自他力一如』こそが、『天地の道の真髄』です。そこにも『為せば成るの、愛の一念、人間力が発揮』されています。
2019・11・29、天地の技
[切り替えの妙]
『運命というもの』は、『その時その場での、気持ちのおりどころ』によってきまります。『時と所』によって、『今日はしあわせ、明日は不幸となる』ものではありません。
ほとんどの人が、『自分の感情性格に負けて』『言うてはならず、してはならず、思うてはならない』ことをしょうとすれば、『心のブレーキ』がかかって来ます。これがとても苦しいのです。『これを苦と言います』
刃物も使わなければ、錆びて役に立たなくなります。癇癪も出さなければ、切れ味も悪く、パッと反応出来なくなるものです。
『その処理の呼吸』は、祈りの時間、合掌の時に養われるものです。この時に、『自己を省みる瞬間の積み重ね』から、『切り替えの妙味』を体得するものです。やります!
2019・11・28、人間関係と運命
[相手に、こちらの笑顔を移すことが、できなければ、
本当の喜びとは言えない]
お金も物も、幸せの一部ではあります。しかし、『幸福の本体は、家族や人と笑顔で日暮らし』できれば最高です。
夫婦親子の間では、様々の不平不満や、対立が生じることがあります。その時に、『私が悪かったと、謝らなければ』と、思いながらも、ズルズルと、日を過ごして辛い思いをします。
考えてみれば、『夫婦親子の仲で、謝る』というのも、他人行儀にすぎるかも。『用事を作り、自分から話しかけて、心の交流を復活する』こともありましょう。
『声をかけることが』『ものを言うことが』『そのまま詫びることになる』ものです。詫びずに引っかかったままでいると、生活の歯車が狂います。『笑顔も飛んでしまう』ものです。
どんな事情が生じても、グズグズせずに、すぐに元の生活にもどることを忘れないことです。笑顔は伝染するものです。やります!