私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!
2019・8・28、天地の公道
[過去を整理すること]
今日一日生きられたということは、どんなに尊いことか知れない。
『今日の仕事を喜び』『今日の食事を嬉しく思い』『今日を生きたことをありがたく思う』『明日のことはだれもしらない』分からぬことをわかろうとするのは、おろかなことです。
『分かることだけに、全力をかける』べきです。『今日のこと、今のこと生き抜く』こと。それが、思い煩わいのない、日暮らしに生きる道です。
自然界では、生長を続けています。
『明るい暖かいところは、生長も豊かに』『暗いジメジメしたところでは、生長がおくれます』
『人間の運命も、すべてが心の動き』の通り、良くもなり、悪くも、なっていくものです。明るい心が、健康を家庭を明朗にし、周りを楽しく仕事を順調にします。
『神は人を生かしている』安心して働き、安心して眠れ。神は人を見殺しにはしません。とにかく、[過去は整理し明日を思い煩わず、今日(いま)に生きよう。]
2019・8・27、天地の公道、
[神は愛そのもの、愛は神そのもの]
[神は宇宙を貫く大生命にして、[愛そのもの]汝らの生命これに依って存す](御聖経6)には、このようにあります。
日々生きて行くため仕事をし、家族を養い、『自分自身の力でやっている』と、思う部分があります。しかし考えてみると、『何かに生かされている』のであって、『自分の力で生きている』と思うのは間違っています。
私たちを生かす大きな力、『宇宙の大生命の働き』によって生かされています。『これを信じるところにこの道の神観』があります。
この働きを知り、感じようと祈ることにより、我が身を『生かさずにいられない力』を、次第に受け、『自分自身の苦境を、自らの手で助ける』ことができるようになります。
幸せとは『生きて生かされる毎日を、ありがたく感謝する』ことであり、『感謝できる』ことです。
そこには、祈りと合掌の生活があるわけで、当然喜びが湧き起こってくるのです。
とにかく見渡せば、恵みの中に生かされている私。
その私を見出すことが合掌への第一歩、幸せへの門出でもあります。
2019・8・17、青年と人生
[三融の道]
青年期に道を学べば、羅針盤のように、人生の道を誤りなく、歩むことができるでしょう。
けさは、『三融の道』です。三つの溶け合う道ですね。この道を見につければ怖いものなしです。
❶(神と)とけ込むこと。
まずは、『神とは何か?』が、誤解される時代にあります。それぞれが勝手に神観念を唱えて、宗派によっては、擬人化されて、あたかも人の姿をしているような、表現と形をみることがあります。
『神とは』この天地自然を生成発展させる存在であって、その働きをとうして、存在を実感することができます。
だから、世間で言う神罰などはありません。ただひたすら、私たちに生命を活かし、『無条件で無差別の愛を注ぐ存在』です。
❷(人と)とけ込むこと。
『神の愛を受け取り、その無差別、無条件の愛を知る者』は、人に好き嫌いをつくりません。人と交わることが、神ととけ込むことだからです。私の最大の欠点は、かって人を差別したことです。そこに苦しみの原点がありました。
❸(今日と)とけ込むこと。
❶と❷を活かすには、『今がカギ』
それを身につけ、我が家の『今の生き方、今の生活に』『三融の道を実践』すれば、
すべてはあきらかです。喜びも悲しみも、そこから生まれてくるからです。『今、この場、で立て直ししましょう。』
2019・8・16、青年と人生
[青年の四宝]
私の青年期は、御神尊様にご縁をいただき、少年時代の暗黒の闇から、希望の光に導かれる、時代の始まりでした。
その希望の光に導かれ、日夜、時間を惜しんでは、友人宅を訪問、御神尊様を熱く語る毎日でした。そして、初めての道座で、30人が集まってくれました。その時の燃えたぎる熱き思いは、77才の今日も盛んです。
その当時、青年の生きるよすがとして、四つの宝をいただきました。
❶努力とは。何かを成し遂げるための精神力。
❷精進とは。精神と心を込めて、目的達成のため、ひたすら集中すること。
❸習慣とは。第ニの天性なり。習慣とは努力と精進のこと。
❹向上とは。現在に満足せず、理想と希望、実現のため努力すること。
つまり、四つの宝は、バラバラにみえるけど、それぞれが影響しあって、目標、希望が実現できるのです。私も、このような思いを胸に抱き、歩いた人生です。頭に白いものをおく年令になっても、胸を開いてみれば、『御神尊様の手足になる』と書いてあります。