私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!
2019・8・13、運命の妙法
[言うよりも聞け、これ人生の妙法なり]その❶
女の子の孫は、キティちゃん大好きです。そのキテイちゃんの口がないのは、あなたの言うことを聴く。『きく、聞く、尽くしのため』らしいです?
しかし、聴くのは、本当に修行が入りますね。曹洞宗のお坊さんと仲良くなり、お茶をいただきながら、『どのような説教をされるか』質問すると、ニコニコしながら、『坐禅中心なので、教えを説くのは、得意ではありません』でも、『人の話を聴くのは、だれにもまけません』といわれます。
御神尊様は、❶(言うよりも聞け)これ人生の妙法なり。❷(見るより)も見せよ。これ人生の妙法なり。❸(させるよりもせよ)これ人生の妙法なり。(妙法とは、説明がつかないが、必ずそうなるということ)
つまり、『自ら実践の範を示すこと』『言うばかりは、とても楽です』からね。『良いも、悪いも、受け入れて』こそ、『その心広きところに、家族も、他人も動かされる』のでは、ありませんか。『聴く、きく、で幸せの大道を、開きましょう』
2019・8・10、生活と感情
[汝のものは汝のものなり、故に汝の手の及ばざることなし]
なにごとにも、『性格性質が働き、囚われる時間が、無駄に過ぎていきます』
この道の特徴は『時をおかず、直ちに自らの手で解きほぐし、ほぐれなければ、捨てる道』
私たちは、『対人関係で、感情が発作的、瞬間的に出て、むしろ解決を難しくします。』『感情は、人間関係に刺激されて、発生する』ものです。
しかも、『その感情に、かねて、私情の積み重ねたもの』それが『混同されて不快の念』となり、『生活感情をみだし解決』をながびかせるのです。
『感情の調整には、訓練を要します』『自制、抑制、は、日頃の祈りの力』でもあります。でも、人のものではありません。
『汝のものは汝のものなり』ゆえに、『あなたの、手の及ばざるなし、』です。
私たちは、すべて人に苦しめられる部分よりも、自らの心を、自ら苦しめる部分が多い。といわれるところです。
2019・8・7、修行と人生
[努力は祈りに優りて尊し]
御神尊様の骨身を削る思いで、今日の信仰の道が生まれています。にもかかわらず、心に重荷を持った時、何とかならないものだろうか?と、早く解決して、心身を軽くしたい。自分のことばかり、迷路をさまよい、さらに、苦悩を深くしていたものです。
若い頃は、自分の心の改善よりも、親に対する求め心が強く、お参りする目的は親を変えようとするところにありました。川の流れを逆流しようとしたものです。
しかし、御神尊様は、『❶一度のお参りによって、将来が約束されるものにあらず』『❷一回の祈りによって、将来がやくそくされるものにあらず』『❸ひとつの悟りによって、将来が約束されるものにあらず』
『❹神はただ、将来をとうして、信仰心を失わず』『❺冷めやすき我、忘れやすき我に、鞭打ちつつ、日夜人間らしからんと努力精進する者に対して、その時その場において救いを垂れたもう。』
このお言葉には、胸をつかれるおもいです。努力はまさに祈りの陰に隠れています。『働くことは、これ努力精進の代表なり、』『7転び8起、は努力精進の代表なり』『努力は、神に近し、努力は幸福健康に最もちかし』と結ばれています。やります。!
2019・7・30、天地の公道、
[縁の復帰は幸いの基]
人生には、さまざまな出会いがあり、これを『縁という表現』をします。
『人間関係は縁の巡り合わせ』です。
この巡り合わせこそ、『運命の展開をしめす』ものです。
世の中には、『縁を無視する人』がいますが、それは『不運のはじまり』です。
反対に、『縁を生かして、縁に親しみ』『目の前に現れて来る人』に、『特別の思いと計らいを、感じて大切に思う人』は、『縁に生涯を託すことで、幸せの始まり』かもしれません。
その縁とは、❶人と人の特殊な関係。❷人と人との間がら、続柄。❸人と人とのつながり。(夫婦、親子、兄弟姉妹。親族、)特殊な縁。❹縁は人間生命の基といわれます。
『縁を無視する者、平気で縁をキル人』『切ったことすら理解できない人』ここに知らずに作る運のこわさがあります。
『縁は、切ったつもりでもきれないもの』なぜなら、『人の心深くに神性がやどる』からです。
縁を大切にする人は、神に守られます
縁は、いいかえれば、『和そのもの』『これを生かす夫婦の和、親子の和、人との和』その和の発揮は、縁を生かすことになります。いまこそ、『切れた縁の復帰を急ぐのです』そして、『存分に神にまもられるのです』