渦巻き

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垂井~関ケ原合戦の陣跡

2024-11-24 17:42:49 | ハイキング-岐阜県
11月3日



JR 東海道本線  垂井駅

岐阜県不破郡垂井町




秀吉旗下の天才軍師、竹中半兵衛重治





垂井宿は中山道の宿駅であると同時に美濃路の起点でもあり、交通の要所でした


南宮大社の石鳥居




長浜屋は江戸時代の旅籠屋

現在は垂井宿の休憩所として土日祝日に開店しています




小林家住宅主屋

木造平屋一部二階建、切妻造桟瓦葺



本龍寺

本龍寺の山門や書院の玄関は脇本陣から移築したものといわれています




    


西の見附


鎌倉中期頃から戦国期にわたって垂井周辺を治めていた豪族 長屋氏




垂井駅から 1.9km   
垂井の泉

岐阜県の名水50選に選ばれた湧水




平塚為広の居城である垂井城跡





池田輝政
関ヶ原の戦いでは 東軍に属し
福島正則らとともに岐阜城を攻め落とした





足利持氏の子 春王 、安王 の 墓




  池田輝政陣跡から  1.1km    

垂井一里塚
浅野幸長陣跡
関ケ原の戦いでは父長政と共に東軍に参加した


一里塚の隣には弘法さんをまつった茶所があります



一里塚から 1.5km

朝倉山真禅院  天台宗の古刹


三重塔
国の重要文化財


鐘楼





観音堂


本地堂


護摩堂


薬師堂



釈迦堂


十三堂






吉川広家 陣跡







吉川広家陣跡から  0.8km  

南宮大社 



関ケ原の合戦で全社殿を焼失しますが、将軍徳川家光によって再建されました

























南宮大社から  1.3km 

垂井駅に戻ってきました

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