今日も最終的にはしんどい一日になりました。
ブログも書けないと思ったりしたほどでしたので、相当参ったのかな。
昨年の今日は母が退院した日でした。
昨年は度々意識不明になって救急車で運ばれたりしました。
又、暮れには喘息発作でサルタノールも効かず、救急隊員の後からのお話では熱も出ていて危うい状態だったみたいです。
結果、その後誤嚥性肺炎にもなり3か月の入院になったのでした。
それを考えましたら、ドクターも言われていましたがよく持ち直したものだと思います。
今日の母は一日不調でしたので、このまま死んでしまうのではないかと思えました。
でも、夕方、急に何だか憑き物が落ちたみたいにぱっちり目を開けて、きょろきょろ。
それまで何も欲しくないと言っていましたが、ミロとウエハースと柿を食べました。
でも、その後昼食後と同じで何度も咳き込んで戻してしまいました。
それでも、お昼よりは元気を回復していました。
そして、今度はベッドの上で、ミロをこぼしてしまいました
今回は昨日よりも更にひどくて、シーツやパジャマだけではなく、掛布団や枕まで。
もちろん、防水シートやマットも。
「こぼさないように」と言っても致しかたないです。
母はパーキンソン病ですから。
でも、連日なので何だか疲れてしまいました。
母は黙ったまま。
重くてなかなか動かせません。
でも、これが在宅なのですよね
明日がショートへ行く日でなかったら持たなかったかもしれません。。。
今朝、母は5時15分に目を覚ましました。
お薬を飲ませて、あれこれしているうちに又眠ってしまいましたので歩きに出ました。
これは同じ時刻の2枚の写真ですが、オートとプログラムでしたかでこんなに違うのですね。
今日は1時間以上歩いたと思います。
何も考えないでひたすら歩きました。
夕方も少し歩きましたので1万歩を超えました。
7時(朝の)近くになってあの親子さんをお見掛けしました。
今日は暖かい朝で、8℃もありました。
一日曇っていて、一時
小雨も降りましたが、最高気温は17.6℃。
ヘルパーさんが「子供は半袖で遊んでいますよ。何だか生暖かくて気持ちが悪いような・・・」と言われていました。
我が家の
バラ
そして、今朝の果物
母と一緒に「趣味の園芸」を観ました。
ちょうど「カムカムエブリバディ」のロバート・ローズウッド役の村雨さんが出ていました。
流石庭師と言いますか、 この2段の寄せ植えを滝が流れている風景として作られたようです。
アップでないので全然わからないと思いますが
昨夜、お洗濯をした後で、又こぼしたのを今朝、お洗濯しました。
今日は乾きが悪かったですが、それでも、洗濯しさえすれば、それも昔と違って洗濯機がしてくれますし、何よりも何もしなくても陽の光や風が乾かしてくれますので何だか何故かこればかりはいつも特別ありがたいなあと思います。
母はお食事はしました。
朝は最近又復活して食べるようになったサーターアンダギー(ぽろぽろこぼれる位のやわらかさなので光江さんに頂いた本場のものとは相当違うと思います。ホテル食パンも復活)とコーヒー(今朝はぽこぽこ音をさせているコーヒーの香りに殊の外癒されました)とフルーツ。
お昼はご飯とエビフライと朝、食べなかったスクランブルエッグとサラダとサーターアンダギーとはちみつ生姜湯。
それ以外はしんどそうに寝ていました。
バイタルは問題ないのですが、どうしてこんなにしんどくなるのか。。。
午後3時~4時半位までは何度も咳いて戻したりしました。
夕方、大丈夫そうでしたので、数周公園を歩きに出ました。
4時50分頃には早くもイルミネーション点灯。
母は7時半に元気回復。
元気になるとやはりベッドにいても動きます。
昨日のことを母にちゃんと謝っていませんでしたので、謝って何分も経たないうちに又、こぼしたわけです
人間、したことではなく、しなくてはならないと思うことで疲れるとはよく言ったものでその通りですね。
はぁ。。。
私は謝っても母は謝ったりはしません。
母が謝ることではないですが。
やはり実の親子だから、わだかまりなく過ごせるのかな~と思ったりします。
友人達のお姑さんの話を聞くとそうはいかないようです。
ブログを書くとだいぶ気分が変わってきました。
すっきりした感じです。
明日はお洗濯をして(2~3回かかるかも)、火曜日はダンスの先生から「行けたら行きましょう、行けなかったらうちの主人が行きますから心配御無用」ということで、美星町矢掛屋
にお泊りしてきます。
行けるかな。
いい気分転換になればいいですが。
★致知一日一言 【今日の言葉】
正しい価値観に沿った
生き方を求めることが
時代の闇を突破していく
一つの「道」
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中西輝政(京都大学名誉教授)
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★エドガー・ケイシー
今日(12月12日)の珠玉のリーディングをお届けします。
毎日、毎時を、そして、どのような人に対しても、いつかその日の行為を振り返った時に、それを恥じることなくあなたの造り主に示すことができるような生き方をしなさい。
Rather, live each day, each hour, each association, in such a way and manner that thou canst EVER look upon the activities of that day and feel not ashamed to present them to thy Maker!
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