今日の最高気温は11℃で、昨日よりはかなり気温が低かったのですが、強風の為余計に寒く感じられました。
今日、倉敷の街を歩いたら寒かったでしょうし、フルーツサンドをお庭で食べたりは出来なかったと思います。
今朝の果物
午前中は2時間ほどカウンセリング学び、午後から整体経由ゆうちょへ。
ゆうちょから帰ろうとしたところ、母から電話があり、「もう家に着いた」とこのことで、慌てました。
ここのショートはいつも早目ですが、道が混んでいなかったのか更に早くてびっくり
「2分で帰るから」と言い、慌てて帰りました。
母の調子は好調でした。
帰って、バナナをサンドしたレーズンパンとコーヒー、味ごのみを食べました。
その後、往診でも好調。
頭痛は「今日は痛くない、気候かな」と。
でも、背中は赤くなっていて、痒がっていましたのでお薬が出ました。
頭痛は様子を見ることになりました。
夕食も完食。
お味噌汁もちゃんと飲んでくれました。
でも、その後、元気が良過ぎた反動で、しんどくなってきましたので急いでベッドに連れて行きました。
しばらく痒がっていましたが、今日は早めに寝ました。
体重は又1kg近く増えて37.1kgになっていました
今日は父の命日。
あれから何年経ったのだろうと思い、お葬式の時に配ったカードを見ると2002年。
(いつも手帳に挟んでいます)
母が言っていた通り21年。
享年84歳。
「足守の川に映れる夕月にマリア灯籠かたぶきにけり」
父はずっと俳句をしていましたが、この短歌をなぜか選びました。
臨終洗礼で、霊名は孫が付けた「ペトロ・フランチェスコ」
つい先日のようでもあるのに、父のいない年月をもう21年間も過ごしたなんて。
いつも動き回っていた父が動きつつもすぐに横になるようになり、おかしいなと思ってかかりつけのドクターにレントゲンを撮ってほしいと願いしましたが、夏に撮ったからとか、うつ病だからとか言われてなかなか撮ってくれませんでした。
再度お願いしたところ、即、総合病院を紹介されて、父は自分の車で病院へ。
そして、その車で家に帰ってくることはありませんでした。
すでにガンが肺全体に広がって白くなっていました。
2週間くらいだったでしょうか。
あっと言う間でした。
当時ホスピスに勤務していたのにもう動かすことも出来ず、ホスピスの恩恵を受けさせてあげることが出来ませんでした。
動揺していた私に院長が「これがお父さんの寿命だ」と言われた言葉。
妙に納得出来ました。
親戚が次々と来ては帰った日、娘の高校卒業式のだった日。
その朝、母は準備の為に家に帰りました。
私は病室で昏睡状態の父と2人きりの時間を過ごしました。
今までのことをずっと父に話し、心から感謝していることを伝えました。
そして、「出来ることならもう1度だけ目を開けて」
夜の10時過ぎ、私達家族だけになった30分間がありました。
その時、父は「愛しているよ。ありがとう」と皆が声をかける中、意識を回復し「うんうん」と頷いて息を引き取りました。
父は私の願いに応えてくれたのです。
四季が巡る度いろいろな思い出が込み上げて泣いていました。
もう泣くことはないと思っていましたが、やはり思い出すとうるうるするものですね。
天国でも人のお世話を忙しくしているかな。
今夜は日の入り後の西の空で「金星」と「木星」が大接近するとニュースで言いましたので、写真を撮りに2階に上がりました。
「月1個分が間に挟まる程度の大接近」だそうです。
窓を開けると目の前に「金星」と「木星」がこんなにも近くなっていてびっくりしました。
19時03分の写真です。
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