ひな祭りの今日は快晴で暖かい一日でした。
岡山ではひと月遅れの4月3日にお祝いすることが多かったのですが、最近では段々と3月3日にお祝いすることが多くなったようです。
今朝の果物
今日で🍓いちごが終わりましたので、又、明日から少し淋しくなるかも。
思い立ってお寿司を作ることにしました。
でも、何も具材がない
そこで、有り合わせの洋風寿司に。
それと白和え。
このお寿司、「さっぱり寿司」とある方が
今日のブログのタイトルにしようかと思いました。
「お雛のさっぱり寿司」とか
そんな話をしながら、「そうだわ。Rちゃんに食べさせてあげよう」と思い、今日の彼女の勤務状況がわかりませんでしたがラインをしました。
仕事の行きでも帰りでも寄ってねと。
しばらくして後、今日はお休みだったので(夜勤明けかな)寝ていたということと、「4時から会議があるからその前に行きます」と返事がきました。
そして、まだ看護師さんがおられる時間でしたので、2時半頃だったでしょうか。
やって来ました。
ご飯を食べて来たというので、「なぜ食べて来たの~」
そして、「会議が終わったら又、来ます」ということで、おやつタイムにしました。
今日は3時半から英語を予約していましたので、少し一緒に参加。
北マケドニアの先生も大歓迎して下さいました。
そして、お話はガールズトークになりました。
Rちゃんは英語が出来ないので(使うことがないから忘れている)、私が通訳して、お話しました。
話はRちゃんのBFのお話へ
Rちゃん、先生からのアドバイスに力をもらったようでした。
「私も英語を習いたい」と言いながら会議へ行きました。
英語が終わったら、次はリハ。
その間、私は外に出てお洗濯物を取り込んだり、草抜きやらお水遣りをしました。
ぽかぽか暖かくて気持ちが良かった~
5時半頃、会議を終えてRちゃんが再び来ました。
「お母さん、英語、すごーい Rは負けた」
仕事や日本語の取得で忙しいとは思うけれども、英語は絶対にお勉強しておくように言いました。
そして、お夕食。
食後のデザート
Rちゃんがセッティングしてくれました。
この時(リハ後から)、母は「1時間寝る」と言って寝ていました。
私達が食べ終わった後、ちょうど母が目を覚ましました。
Rちゃんが「起きますか ご飯、食べますか」と聞いて、母を起こし食卓まで連れて行ってくれてエプロンもかけてくれました。
その手際の良さ。
流石にプロ
Rちゃんは途中、警察が来たりしましたので、早めに帰ることにしました。
Rちゃんのお陰で、とっても楽しいひな祭りになりました。
お婿ちゃんからももちろん「Happy girl's festival」とメッセージが来ました。
母もしっかり「美味しい」と言って食べてくれて、今日もとってもハッピーな一日となりました。
感謝
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「鮎川義介」という人をご存じですか?
己を空(むな)しうすることが、
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鮎川義介(日産コンツェルン創業者)
『致知』2023年4月号特集
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日本のために必死になって働き抜いた
人生を送ったという
鮎川義介の生き方に迫ります。
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【字のない葉書】文芸作品を神秘学的に読み解く37
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こんにちは。バラ十字会の本庄です。
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今日は桃の節句ですね。東京には一昨日、春一番が吹きました。
昨日も夜に強い風が続き、春の嵐という言葉がぴったりです。
そちらはいかがでしょうか。
札幌で当会のインストラクターを務めている私の友人から、向田邦
▽ ▽ ▽
『字のない葉書』
向田邦子著
文芸作品を神秘学的に読み解く37
森和久
終戦の年、「私」の下の妹が小学校1年生の時、東京にも空襲があ
父は自分宛の宛名だけを書いた葉書の束を下の妹に持たせ、元気な
最初に届いた葉書こそ赤く大きなマルが書いてありましたが、次の
そんな下の妹を不憫に思ったのでしょう、三月目に母が迎えに行き
病を患った下の妹が夜遅く帰ってきた日、
「茶の間に座っていた父は、はだしで表へ飛び出した。防火用水桶
読者は感激し、感動すらすることでしょう。
この作品は、短編ながら、2部構成になっており、上に述べた部分
前半部には、父の暴君ぶりと「私」との関係性が述べられています
父からの罵声や暴力は日常のことであったとしながら、13歳で一
しかしながら、「私」はこの手紙の束をしばらく保存していたが、
作者は前半部と後半部でことごとく対比する事柄を列挙します。
神秘学的に言えば、「二元性」に通じるでしょう。
父が「私」に出した手紙と下の妹に託した宛名だけの葉書もそうで
いかに暴君であろうとも人間の心を持っている、人間性を失ってい
このようなことをテーマにした小説や映画、ドラマなども少なから
しかし、ことはそれでいいのでしょうか?
それが最も大切なことなのでしょうか?
そのことがあっても父は反省したわけでも悔い改めたわけでもあり
まず、「字のない葉書」という出来事から30年という時が経って
前半の終盤には「私」への手紙についてこうあります、
「しばらく保存していたのだが、いつとはなしにどこかへいってし
それに対して「字のない葉書」については、作品の最後でこう述べ
「あれから三十一年。父はなくなり、妹も当時の父に近い年になっ
この文章があるためにこの作品は一筋縄ではいかないものとなって
「私」の複雑な心情が読み取れます。
「私」への手紙をしばらく保存していたのは、きっと大切に思って
しかし、本文に「この手紙もなつかしいが、最も心に残るものをと
ところが「私は一度も見ていない」のです。これからも目にするこ
もう一度、本文最後を見てみましょう、
「~だが、あの字のないはがきは、だれがどこにしまったのかそれ
自分が受け取った手紙も30年以上経てば無くしてしまっているわ
「だから」とか「そのため」といった順接の表現が当たり前なはず
さらに行間を読んでみると、「私」は父を受け入れているのでしょ
おそらく父の中に「私」は自分を見いだしていたのだと思います。
父の性質が自分の中に受け継がれているので、父を肯定することで
ですから、唯一「非の打ち所のない父親」として自分と向き合って
なんと言ってもあれから一度も見ていないのですから。
この「私」の性質の二面性を入れ込むことにより、作品としてより
つまり、人間の情緒や言動はつじつまが合っていそうで、合わない
完璧な人間などいないのですから。
△ △ △
再び本庄です。
この文章をきっかけに、『字のないはがき』を再読してみました。
話題になっていたこの「だが、」には、とても複雑な思いが込めら
それは、うまく説明できないのですが、永遠であるものとそうでな
これもまた二元性でしょうか。
いえ、私の思い違いかも知れません。
下記は森さんの前回の文章です。
記事:『鮨』-岡本かの子(著)
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では、今日はこのあたりで。
また、お付き合いください(^^)/~
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■編集後記
板橋で、河津桜が満開です
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