まったり

2023年03月04日 20時20分50秒 | 介護

 今日はちょっと睡眠不足気味で眠かったです。

今日こそは早く寝ようと思っていますが、どうなることやら。

そう言えば、春は元々眠くなりやすいのですね。

「春眠暁を覚えず」と言う位ですから。

 

 

 

 

 今朝の果物

 

 

 

 母が「目刺しが食べたい」と言いましたので大急ぎでお買い物に行きました。

(立ち上がって転んだらと思うとハラハラドキドキ

「固いけど大丈夫なの」と聞きましたら、「一日1本ずつ食べたらいい」と言いました。

スーパーで目刺しの前でしばし佇み考えました。

隣にはししゃも。

母はししゃもが好きなので、ししゃもと間違えたのではないかと思いました。

考えた末、両方買って帰りました~

昨日母が食べたかったような気がしたおはぎも。

 

 

 今日はそよそよと風が吹いていて風が少し肌に冷たい気がしましたが、陽射しの下では暖か~い。

母はベッド脇に座り、私は母の部屋の窓辺に腰かけて、2人して焼き芋を半分こして食べました。

暖かいので、ここでしばし久々の読書。

母は新聞を読んでいました。

まったりとお昼前の1時間ほどをこうして過ごしました。

 

 

 午後からは看護師さんが来て下さいました。

夕方はヘルパーさん。

寡黙な男性ヘルパーさんが「一日便が出ていないですね。ギリシャヨーグルトを食べておられるのですか 私もまねて食べるようにしています。」と言われました。

「はい。最近は小岩井ですが、母にはギリシャヨーグルトがいいようです。]

後で、「あれ なぜわかったのかな」と思いました。

ごみ袋に空きパックを入れていたからかな、朝食時にヨーグルトのパックを出していたからかなと思いましたが、考えたら「介護ノート」に書いていたのでした。

彼は必ず前回まで遡ってノートを読まれますので。

今日は我が家のお野菜を袋いっぱい持って帰って頂きました。

看護師さんにも差し上げたのですが、結構、収穫出来ますので、食べ切れません。

かたくなってしまわないうちに食べて頂くことにしています。

 

 

 

 

 今日の母の調子はいまいちでしたが、少しまったりと過ごすことが出来ました。

夕方からは揺れが激しいです。

朝から咳も。

お熱はありません。

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】

 

人生百年時代をどう生きるか

 

花はいろいろあって、
成功という花もあれば、失敗という花もある。
失敗して落ち込むのではなく、
その失敗から学んで自分の糧にしていけば、
それも一つの立派な花だと思います

━━━━━━━━━━
境野勝悟(東洋思想家)
『致知』2023年4月号特集
「人生の四季をどう生きるか」より
━━━━━━━━━━

共に昭和7年生まれ、
卒寿を迎えられた
五木寛之先生と、
境野勝悟先生。

五木先生の作品を
デビュー時から愛読してきたという
境野先生の要望で、
お二人の貴重な初対談が実現しました。

「70歳からは人生の黄金期」
「縁ある人を喜ばせたい」

等々、共に90年の年輪を重ねてきた
お二人の言葉、
そして悟りにも通じる心境は圧巻。

まさしく人生百年時代を
生きる知恵と勇気に満ちています。

貴重なお写真とともに
こちらから一部記事を紹介しています

     ↓ ↓ ↓

【対談/「人生百年時代をどう生きるか」】
 ◇記事はこちらから

━━━━━━━━━━

 

 

 

 

★致知出版社の「ご縁メール」 

 

≪心で見る心を養う≫


〝いけばなの根源〟である
華道の家元・池坊。


最新号では、45世を継がれた
池坊専永さんにご登場いただきました。

560年にわたる伝統の「技」と「心」を、
伝え続ける池坊さんに、
華道一筋の人生で掴まれたものを
心を込めて語っていただきました。


取材の様子はこちら
─────────────────


これまでの話とも重なりますが、
いけばなは売ることも買うこともできませんし、
後世へ残すこともできません。

それでも560年間連綿と続いてきたのは
〝人間の道〟だから。

その道を今後も伝承していくためには、
やはり師の心を学び、掴むことです。


──その〝心〟とは何か、どのようにお考えですか。


心とは何か……それは言葉では表しがたく、
また1日や2日で掴めるものでもありません。

10年20年と師の傍に仕え、また花を見続ける中で
だんだんと各々の心の内に悟りのように
見つかるものなのでしょう。

いけばなは単なる知識、技術の勉強ではなく、
師の言葉や所作から師の生き方そのものを学ぶものです。


先生を通してその先生が辿ってきた道、
さらにその先生の先生……
と先祖から流れてきた〝生きる道〟を
学ぶことに意味があります。

これはどんなに技術が進歩したとしても
機械や他の動物には不可能な、
人間だけに与えられた道なのです。


──その道を受け継ぐために
  大切なことは何でしょうか?


辛抱、忍耐です。私の場合は特に、
明日への希望を抱き続けることで、
いけばなの心とは何かを自問自答してきました。

伝統とはただ形を受け継ぐだけではなく、
その中に流れる心を生かしてこそ輝きを放つと信じて、
ひたすら耐え忍んできたのです。

 

 

 

 

 

 

昨日、忘れていました

 

★バラ十字会メールマガジン(毎週金曜日配信)


バラ十字会日本本部AMORC


【字のない葉書】文芸作品を神秘学的に読み解く37


【ぜひお友達にもこのメルマガを教えてあげてください】⇒

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1025801&c=3304&d=ed84

こんにちは。バラ十字会の本庄です。


━…………………━

下記の公式ブログでお読みくださると、今回話題になる本に関連する写真や著者の肖像画を見ることができます(下記のリンクをクリックしてください)。

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1025802&c=3304&d=ed84

━…………………━


今日は桃の節句ですね。東京には一昨日、春一番が吹きました。

昨日も夜に強い風が続き、春の嵐という言葉がぴったりです。


そちらはいかがでしょうか。



札幌で当会のインストラクターを務めている私の友人から、向田邦子さんの小説についての文章が届きましたので、ご紹介します。

▽ ▽ ▽

『字のない葉書』

向田邦子著



文芸作品を神秘学的に読み解く37

森和久



終戦の年、「私」の下の妹が小学校1年生の時、東京にも空襲があり、上の妹に続き、下の妹も疎開することになりました。


父は自分宛の宛名だけを書いた葉書の束を下の妹に持たせ、元気な日はマルを書いて、毎日一枚ずつ出すようにと言いつけました。下の妹はまだ字が書けなかったのです。


最初に届いた葉書こそ赤く大きなマルが書いてありましたが、次の日からマルは小さくなっていき、遂にはバツになり、まもなく葉書さえ届かなくなりました。



そんな下の妹を不憫に思ったのでしょう、三月目に母が迎えに行きました。


病を患った下の妹が夜遅く帰ってきた日、

「茶の間に座っていた父は、はだしで表へ飛び出した。防火用水桶の前で、やせた妹の肩を抱き、声を上げて泣いた。私は父が、大人の男が声を立てて泣くのを初めて見た。」



読者は感激し、感動すらすることでしょう。


この作品は、短編ながら、2部構成になっており、上に述べた部分は、後半部分の内容です。



前半部には、父の暴君ぶりと「私」との関係性が述べられています


父からの罵声や暴力は日常のことであったとしながら、13歳で一人暮らしをはじめた「私」へのたびたびの手紙は「非の打ち所のない父親」のものだったと紹介し、この手紙の中だけに優しい父がいたと「私」は心情を述べます。


しかしながら、「私」はこの手紙の束をしばらく保存していたが、紛失してしまったといいます。



作者は前半部と後半部でことごとく対比する事柄を列挙します。

神秘学的に言えば、「二元性」に通じるでしょう。


父が「私」に出した手紙と下の妹に託した宛名だけの葉書もそうですし、普段は厳格で横暴な父とその父が泣いたというエピソードもその一つです。



いかに暴君であろうとも人間の心を持っている、人間性を失っていない、ということが分かり、「鬼の目にも涙」ということわざ通りの振る舞いです。


このようなことをテーマにした小説や映画、ドラマなども少なからず目にします。

しかし、ことはそれでいいのでしょうか?

それが最も大切なことなのでしょうか?


そのことがあっても父は反省したわけでも悔い改めたわけでもありません。



まず、「字のない葉書」という出来事から30年という時が経っていることを踏まえてみる必要があります。


前半の終盤には「私」への手紙についてこうあります、

「しばらく保存していたのだが、いつとはなしにどこかへいってしまった。父は六十四歳でなくなったから、この手紙のあと、かれこれ三十年付き合ったことになるが、優しい父の姿を見せたのは、この手紙の中だけである。」



それに対して「字のない葉書」については、作品の最後でこう述べられています、

「あれから三十一年。父はなくなり、妹も当時の父に近い年になった。だが、あの字のないはがきは、だれがどこにしまったのかそれともなくなったのか、私は一度も見ていない。」


この文章があるためにこの作品は一筋縄ではいかないものとなっています。

「私」の複雑な心情が読み取れます。



「私」への手紙をしばらく保存していたのは、きっと大切に思っていたからでしょう。


しかし、本文に「この手紙もなつかしいが、最も心に残るものをといわれれば、父があて名を書き、妹が「文面」を書いた、あのはがき」とあるように「字のない葉書」がより心に残っているわけです。



ところが「私は一度も見ていない」のです。これからも目にすることはないのでしょう。


もう一度、本文最後を見てみましょう、

「~だが、あの字のないはがきは、だれがどこにしまったのかそれともなくなったのか、私は一度も見ていない。」となっています。


自分が受け取った手紙も30年以上経てば無くしてしまっているわけですが、下の妹の葉書は〈だが〉という逆説の接続詞を使い述べられています。


「だから」とか「そのため」といった順接の表現が当たり前なはずですが、「私」にとっては「葉書」の方は大切に保管されていて当たり前なのです。



さらに行間を読んでみると、「私」は父を受け入れているのでしょう。

おそらく父の中に「私」は自分を見いだしていたのだと思います。


父の性質が自分の中に受け継がれているので、父を肯定することで、自己肯定しているのではないでしょうか。


ですから、唯一「非の打ち所のない父親」として自分と向き合ってくれた手紙よりも、唯一父親として、人間として〈優しさ〉ゆえに泣いた証である葉書が消失してしまっているのは納得できないし、そもそも「私」ではなく下の妹に対しての行いというのも得心できていないのでしょう。


なんと言ってもあれから一度も見ていないのですから。



この「私」の性質の二面性を入れ込むことにより、作品としてより深みを増す効果にもなっています。


つまり、人間の情緒や言動はつじつまが合っていそうで、合わないのが当たり前なのかも知れません。

完璧な人間などいないのですから。

△ △ △


再び本庄です。



この文章をきっかけに、『字のないはがき』を再読してみました。

話題になっていたこの「だが、」には、とても複雑な思いが込められいるように感じました。


それは、うまく説明できないのですが、永遠であるものとそうでないものの対比というような思いです。

これもまた二元性でしょうか。


いえ、私の思い違いかも知れません。



下記は森さんの前回の文章です。


記事:『鮨』-岡本かの子(著)

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1025803&c=3304&d=ed84



では、今日はこのあたりで。

また、お付き合いください(^^)/~


◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇

■編集後記

板橋で、河津桜が満開です

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1025804&c=3304&d=ed84

◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇


コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする