今日はもう何だか一日病院に居た気がします。
(そんなことはないのですが・・・)
血圧が又、高くなりました。
しかも、カメラが行方不明なのでスマホで撮った写真しかありません。
スマホで「あすけん」に食べたものを解析してもらうために撮影したものです。
きちんと分析してもらうためにはコツが要りますが、それでも変な食材が出たりします。
「プリンアラモード」と最初は表示されました
上の今日の果物の写真は、どちらもアウト。
それぞれの食材をまとめてかたまりにし、そのたたまり同士を離して撮影しないとダメなようです。
こちらは昨日とあまりかわらない朝食。
卵焼きが埋もれていますので、あとから追加入力が必要です。
血圧はこの後、いまいち不調なのに少し濃いコーヒーを飲んだことがきっかけ
ふらふらしてしんどいなと思って測ると170を超えていました。
落ち着くお薬を飲んでみても160。
この時点で行ける時にいつもの内科に行った方がいいということで、行きました。
時間外でもクリニックにいた方が安心と言うことでクリニックへ。
やはりここは落ち着くのか診察時間前には146。
以前、母の緊急入院の時に母が吸引の為に拘束された時の状況を見ていて血圧が上がって病院から帰れなくなったことがありました。
この時は200を超えていました。
救急外来で診て頂いたら「一時的だと思うから、早く病院から出た方がいい」と言われました。
でも、ふらふら。
このクリニックに母の状況説明の為に電話をした時、看護師さんが「こっちへおいで。血圧くらい測ってあげるから。待っているからね」
その看護師さんが受診前にもう1回血圧を測りに来て下さいました。
「前もこんなことがあったよね」
その時はこの看護師さんの言葉に救われました。
結局は寄らないで家に帰ったのですが、ありがたかったです。
その時の血圧は136でした。
今日の診察は元院長、今は理事長。
1年前にものすごく頭痛がした時も院長先生が見て下さり、CTも撮りましたがひどい肩こりと判明。
今回もひどく凝っていましたし、理事長先生曰く「介護、お疲れさまでしたね。疲れが出たんだと思うよ。まだしないといけないこともあるでしょ」
念の為、高血圧の時に心臓がどのくらい持ちこたえているかという検査をしました。
CTは必要ないと言われましたが、私が「ふらつく」と行ったので念の為に撮って下さいました。
もうこの際調べて頂きました。
そこへ担当の女医さんが通られ、「明日、ゆっくり来たらいいよ」(ひどく混んでいましたから)
まだ研修医のドクターもいらっしゃるからでしょう。
今日のところは血圧が160以上になったら飲む頓服を1錠出して下さいました。
そして、朝晩、血圧を測るように言われました。
夜にはもう119に下がっていました。
ご近所の介護をされていた方が、1~2か月後に症状が出る人も入れば半年後の人もいると言われて、「本当に~」と思っていましたがそういうこともあるのかもしれません。
13年間も介護してきたのですから、今はまだ焦らないようにします。
ところで、今朝、久し振りにお婿ちゃんから電話がありました。
「1週間忙しかったから連絡出来なくてごめんね。どう 元気」
この一週間引っ越しで忙しいのはわかっていましたので、新しい場所はどうかと聞いたら、良いところも悪いところもあるけど、「一番良いことはうちの奥さんが世界で一番美人で優しいこと。知ってた」
出た~
毎度のことながら。
本当に国民性とは言え、すごい
大切にしてもらって娘は幸せ者だといつもつくづく思います。
昨日、ミサに行ったそうですが、娘と二人で興奮して話したことはがカテドラル(司教座聖堂)でのミサがすごかったということ。
こんなすごいミサは初めてだったと婿も言うし、娘も「すごくない」
「教会のことで何をそんなに興奮しているの」と聞くと
「何かご利益ありそうじゃん」
「日本でもカテドラル(司教座聖堂)って少ないじゃない。
岡山の近くがと広島しかない。
高松は合併されたこと知ってた」云々。
と、いつの間に熱心なクリスチャンになったのかと思いました
ミサに神父様が3人いらしたそうで、お婿ちゃんの話では侍者も何人も。
このカテドラル併設の小学校にこれから孫達は通うそうです。
へぇ~、そんなところがあるのかと思いましたが、考えたら日本ではよく幼稚園が併設されていますが、そんな感じ
残念なことはここは英語のみだということで、折角イタリア語を系統立てて習っていたのを忘れてしまうのではとお婿ちゃんはちょっとがっかり。
お婿ちゃんのあと、娘と話し、その後、長女、下の男の子が顔を見せて、その後は孫娘が家の中を案内してくれました。
私が行ったら泊まるお部屋はこの子のお部屋だそうです。
あらら。。。
孫娘は私とは日本語で話しますが、弟とは英語で話していました。
家の中はぼろだと言っていましたが、真っ白で綺麗でした。
バスも付いていますし、珍しくトイレも分かれていましたし、第2駐車場までありました。
私が一番「わぉ~~~」と感激したのはバルコニーから外を見ると、お婿ちゃんがちょっと牛窓みたいと言っていましたが、海こそ見えませんが大きな木々がいっぱい。
自然の中に家があるという感じ。
まさにrich in nature。
こんなこところに住みたいと思うような場所でした。
家は3LDKかな
庭が広くて、お婿ちゃんが芝を刈っていました。
プールも置いてありました。
車も今度は必需品なので買ったそうですが、日本車がとても人気だそうで、日本で乗っていたのと同じのを中古で買ったようですが、「超~、高かった」そうです。
とにかく何もかもが高いそうで、貯金がなくなったと言っていましたが、「やもりと生活する経験が出来るのだから代えがたいじゃない」と私
多くの小鳥の声がし、夜にはこうもり。
まるで自然公園の中みたい。
明日から学校だそうです。
制服も体操服も靴も見せてくれました。
「1年しか使わないのにもったいないけどね」と娘。
いやいや、お金には代えられない体験が出来るんだから。
若いっていいなあと思いましたが、何歳になってもそれは同じですね。
自分が制限を付けなければ何でも出来る。
・・・と朝、出掛ける前には書いていましたが、不調だと気弱になります
でも、体調には波があるものですし、又、抜け出せる日が来るでしょう。
★致知一日一言【今日の言葉】2025.01.27
運のよい人、悪い人の違い
運は動より生ず
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冨安徳久
(葬儀業界の革命児として
注目を浴びるティアの創業者)
○月刊『致知』2025年2月号【最新号】
連載「私の座右銘」より
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●「高校を出て入社した山口県の葬儀会社で、
3年目に担当した葬儀の法話で聞いた言葉です。
誰の言葉かは不明ですが、
運とは、行動する人に生じるもの。
運が悪いと言う人は
自分の行動が足りていないだけだ。
若い私は、何事も行動を起こすことで
未来が開けるのだと受け止めました」
(本文より)
★[ECCJ] 今日(1月27日)の珠玉のリーディング
エドガー・ケイシー
知識や理解とは、あなたがいま手に持っているものを使うことです。
Knowledge, understanding, is using, then, that thou hast in hand.
(262-89)