桜があっという間にすっかり散って葉桜になっていました。
今日は朝から暑くて、最高気温が26.6℃もありました。
帰ってきていた子供達一家と復活祭の御ミサに行きました。
今日のお説教はとりわけ心に響きました。
信仰は一朝一夕に出来上がるものではないということ。
イエスの弟子でさえそうだったと。
信仰を作り上げるのは人生そのものであり、罪を犯したりいろいろしながら出来上がっていくものだと言われました。
数日前(4月14日)、「到知」のメールマガジンに同じようなことが書かれてありました。
東京の桜は満開の時を過ぎ、
ひらひらと舞い散る花びらに、
春の風情を感じる頃となりました。
今日は熊本地震から1年目を迎えました。
今もなお避難所で過ごされている方、
また、懐かしいふる里を離れて暮らされている方など、
改めて一日も早い復興を、心よりお祈り申し上げます。
今月お届けの『致知』5月号・特集【その時 どう動く】に、
円覚寺管長・横田南嶺氏と
相田みつを美術館館長・相田一人氏が登場され、
「相田みつをの残した言葉」と題して、
様々な言葉と、相田みつをが言葉に込めた思いを
語っていただきました。
なかでも50歳くらいの男性が、
今から21年前の阪神・淡路大震災の時、
突然尋常でない揺れに襲われ、
家が崩れ始め、パニック状態で体が全然動かなくなり
生きるか死ぬかのギリギリの状況のなか、
「そのとき どう動く」
という相田みつを日めくりカレンダーの言葉が目に飛び込み、
とにかく家を出ようと全員が外に出たら、
目の前で自宅が全壊した。
という話や、
東日本大震災の前年に、
730余年の歴史ある名刹・円覚寺の管長に就任された
横田管長が被災地に行かれ、
「坐禅をして自分を鍛えていけばいいと思っていたが
どれだけ坐禅をしたかなんてことは全く通用せず、
『どうもがいても だめなときがある
ただ手を合わせる以外には
方法がないときがある
ほんとうの眼がひらくのは
そのときだ』
という相田みつを先生の詩のとおりなんです」
と、身を以て体験されたお話を紹介されています。
「その時 どう動く」
私たちも心したい言葉です。
そして困難を乗り越え、新たな一歩を踏み出されている方々に
『致知』の誌面を通じ、心の糧となる言葉に出合っていただければ
この上もございません。
致知出版社 小笠原節子
「坐禅をして自分を鍛えていけばいいと思っていたが
どれだけ坐禅をしたかなんてことは全く通用せず、
『どうもがいても だめなときがある
ただ手を合わせる以外には
方法がないときがある
ほんとうの眼がひらくのは
そのときだ』
私も「自分の信仰」が全く役に立たず情けない思いをし涙したことが何度もありますが、
この2つの話は神様から私への御復活のメッセージだと感じました。
腑に落ちて、何だか安心しました。
今年の卵はかわいい。
テープを貼っているそうです。
帰り道
頂いて帰った卵
その後、パスタを食べに行きました。
皆でシェアをして食べました。
美味しかった~
庭のサツキもほぼ満開。
クンシランも次々に咲き始めました。
ご近所ウオッチング。
ライラックもいつの間にこんなに蕾が出来て、咲き始めていたのには本当にびっくり
一気に春が加速したようです。
どこの桜はわかりませんが用水路を流れていました。
子供達も自分たちの居場所に帰り、また日常(退屈に感じることもありますが平和な日常)が戻ってきました。
何だかほっとします。
母のことがありますが、それでも自分のペースで、自分の好きなことが出来ます。
感謝
母は最近、特にしんどい日が多くなり心配しています。
アガスティアの葉を開いて、何となく覚悟はしていますが、実際その時が来るとどうなるか。
母の体のしんどさが取れるように毎日祈っています。
体のしんどさのせいか最近特に抑うつ状態のような気がします。
母の死生観は・・・死んだら無。
死にたくはないけれど、人の世話になるくらいなら死んだ方がマシだとどよんどよんしています。
とても重いエネルギーを感じます。
一緒に重苦しくならないようにと思っていますが、かなり強力です。