今日は昨日よりも更に暑くて最高気温が35.2℃、最低気温が26.2℃もありました。
9月いっぱいは30℃を超えるようですが、週の後半からは少し気温が下がるようです。
今朝の果物
今日の朝顔は紫色が全く咲きませんでした。
こういう日もあるのですね。
昨日の黄色のバラがこんなになりました
昨年、ニラを鉢に植え替えましたが、こぼれ種があちらこちらに。
🍋レモンの木に新しい枝が2本、増えていました。
ご近所のお花
今日から、又、母がショートに行きました。
調子がいまいちで、食欲もいまいち。
何とか一口でも多く食べてもらいたいと思ってしまいます。
もうそのようには考えないようにドクターにもスタッフにも言われるのですが。
やはり、誤嚥の心配と消化にもかなりのエネルギーがいるからのようです。
でも、なかなか家族としては
幸い、母は「もう要らない」と意思表示をしてくれますが、「もう一口だけね」と私
今朝は何かの話で「私の愛情、伝わっているよね」と聞いても母は黙ったまま。
なぜかしつこく2~3回尋ねると「わかってる」と母
それならいいわと思った次第で・・・
昨日に続いて今日もショートには行きたくはない気分だったのでしょうが、ヘルパーさんが「バイタルはすごくいいですよ」
最近はどうも口の中に違和感を感じるようです。
母が無事に行った後は疲れて、掃除洗濯等最低限のことをした後は一日ソファのお守り。
Netflixで映画を観ました。
つねさんにもらった富士山のお土産の「柿の種」を食べたりしつつ。
この「柿の種」はピーナッツの代わりがチョコです。
お風呂も良い香りに包まれてゆっくり入りました。
今朝も母に話したのですが、母の世話を義務や責任とは思っておらず、母にしてもらったことを返しているだけですので何か特別なことをしている感はなく、又、それが出来る環境にあるわけです。
母とのこの時間は確かに一人で大変なことも多いのですが(特に自分も調子が悪い時)、かけがえのない貴重な時間で、私自身もかなり癒されたと思っています。
昨日でしたか、私も疲れてしまい、ちょっと忍耐に欠けてイライラした気持ちが出てきました。
そうなると、食べ物を母の口へ運ぶ速さも速くなってしまいます。
自分で気が付きますので、「これではいけない」と反省して、ゆっくり向き合うように注意しました。
振り返れば、母が元気な頃は介護をするという考えは全然ありませんでした。
全く深く考えていなかったと言いますか。
何かが起こるたびに決断をしなくてはならず、その度に徐々に自分でも覚悟が決まって行ったという感じだと思います。
基準は母の想いと「もし私が母の立場なら」というこの2点だったと思います。
最初の頃は誰もが心配し、私一人では介護は無理と言われてきました。
子供達にも言われましたっけ。
私も全く自信はありませんでした。
施設へ入るかどうかの分かれ目という時もありました。
徐々に徐々に、その都度その都度、流れの中で決意が固まっていったように思います。
友人の中には「この介護は最後の試練で、これを乗り越えたらきっといいことがある」という人もいます。
でも、私の中ではこれは自ら選んだ道です。
誰かに強要されたわけではなく、自分が選びました。
介護をするのが当然だし、自然な流れでした。
ですから、試練とは違うかなと思います。
褒められることでもないのです。
これから先、どのようなことが待っているのかわかりませんが、最後まで母の想いを叶えてあげられたらと願っています。
母の人徳
良いカルマ
と言われる方もいますが、そうかも。
母に言いました。
「良かったねぇ。出戻りの一人娘で」
出戻ったわけではありませんが、人生、いろいろあります。
こんなはずではなかったということも。
一人娘でなかったら、母も淋しくなかったでしょうに・・・と思ったことも度々ありますが、こればかりはわかりませんね。
どの道を選んでも苦労はあるでしょう。
愛を込めて歩くのみです。
新しいスマホカバーが届きました。
これにミラーを付けます。
(同時に買うのを忘れていました)
ショルダーは余分かなと思いましたが、両手が使えるので便利でした。
今回は初めて小銭入れ付きにしてみました。
前回のシンプルなものとは違いますが、カードだけ入れてスマホを持つ場合が増えましたので、念の為少しのお金とお薬を入れようと思っています。
今はもうなるべく現金を使わなくなりましたので、これだけでお買い物に行けそうです。
夕焼けが綺麗な季節になってきました。
秋の夕焼けは鎌を研げと確か言いましたね。
明日も晴れるから稲刈りの準備のことかなと思いますが違うかも。
太陽がかなり南に沈むようになってきました。
道路から真っすぐに見えていた夕陽が今は見えません。
9月は孫の誕生日が多くて、昨日も「前回と同じものを」と頼んでいましたが、何か足りないなあとは思いましたが後で見るとパイナップルがない
一昨日は母の調子がいまいちでしたので、自分で選ばず電話でお任せしました。
27日に同じ家にもう1回送るので、今度は忘れないようにしなくては~。
その頃には又、果物の種類も変わっていることを期待して
宝石箱をひっくり返したようなボックスを送るのが希望
★致知一日一言 【今日の言葉】2023.0917
栗山英樹氏が語る運を味方につける法
いまの努力の仕方で
神様や天に認められるか、
応援してもらえるか。
周囲のために、
できることはすべてやり尽くさないと、
勝利の女神は振り向いてくれません。
━━━━━━━━━━━━━━
栗山英樹(侍ジャパントップチーム前監督)
○月刊『致知』2023年10月号
特集「出逢いの人間学」【最新号】より
━━━━━━━━━━━━━━
エレガントなケースですね!
色々な小物もご自宅介護だと、よりいっそう
バディの役割だったりしますね
力の源は、マンパワー以外にも沢山
日常に散りばめられているご様子に感じます!お花や果物等、彩りが沢山ですし。
勉強になります、ありがとうございます!
祖父がよく言っていました。懐かしいです。
父が乳牛を20頭以上飼っていました。祖父が土手に朝早く(3時や4時)飼料用の
草刈りに行くのが習慣でした。だからつい草刈りの事と・・・・・・。
そっか稲刈りの事だったのかも?
私など近くに娘3人いますが、親の介護はどうしてか次女の私が・・・・・・。
(姉は一切手伝いなし。当てにしなかったので腹も立ちませんでした)
一人でも3人でも一緒ですよ。却って一人の方が良いかも。
父から母と介護できたのは、今でも宝物のような思いです。
(もし私だったら)この置き換える事はすべてに通じますね。友人関係でも
常にその事を思います。
お母様もあなたの愛情をしっかり感じていらっしゃると思います。
私も毎日ピエリナさんの朝顔を見て一日を元気に
スタートしようと思っているのです。
連日、お母さんへの想いをさらりと記事に・・・
私の両親は介護の必要なく世を去りましたが
いざ、自分の身に置き換えてみると・・・
なかなかできないことだと思います。
自分の場合は介護、介助「の行為はできても気持
ちの籠ったものになるのかどうか・・・
これは多くの人たちにも共通するものかもしれませんね。
>でも、私の中ではこれは自ら選んだ道です。
>誰かに強要されたわけではなく、自分が選びました。
>介護をするのが当然だし、自然な流れでした。
>ですから、試練とは違うかなと思います。
>褒められることでもないのです。
このピエリナさんの言葉に感動しながら今日一日
が始まりました。
このスマホケースの小銭入れは小さいのでちょっと開けにくいです。
スマホと同じ大きさのものもありましたが、カード入れがなかったり、なかなか帯に短したすきに長しです
そうですね。
結構細々としたものやちょっとしたことで助かったりするものですね。
力の源になるものもあれこれ利用しています。
今日はちょっと海を見に行ったり、夜はアロマキャンドルを焚いてお風呂に入ろうと思っています。
今は大きなことは出来ませんからすべてがちょこちょこです
風さん、コメントをありがとうございました
おじいさまと乳牛の思い出、素敵で懐かしい思い出ですね。
確かに稲刈りだけではないですね。
ネットで調べてみたところ「秋の夕焼け鎌を研げ」は翌日はお天気が良くなるので農作業全般の為に鎌を研いで備えておきなさいということのようです。
このことわざ、春も夏もそれぞれありますよね。
気象上の教訓なのですね。
兄弟姉妹が多いからと言って全員が介護に携わるわけではなく、返って全員が手を放す場合もあるみたいですね。
otomechanさん、よくがんばられましたね。
私もotomechanさんと同じで今の時間を宝物のように感じています。
父の時も短い期間でしたが、付き添い、家族全員で看取りました。
ご友人関係でもそうなのですね。
私もそうかも。
以前、私が自分を責めていた時、臨床心理士の友人に、「もし逆の立場だったら同じことを言う?」と聞かれたたことがありました。
要するに友人に言わないことを自分にも言うなっていうことです。
これを基準に自分にかける言葉を考えるといいと言われました。
otomechanさん、コメントをありがとうございました
あまり今年は綺麗に咲いてくれていない朝顔ですが、そのように言って下さってありがとうございます
朝顔も葉っぱの陰で喜んでいると思います
誰でもその時その時、自分にも相手にも最善を選んでいると私は思っていますので、fumiel-shimaさんもそうだと思います。
子育てと一緒で、介護によって私も育ててもらったと思っていますし、これからもそうでしょう。
子育て、介護の機会がなく「大切な部分が欠落した」と悩んでいた友人がいましたが(そんなことは全然ないのですが)、それに代わるものや機会が必ずあるものです。
やはり、「みんな違って、みんないい」ですね。
私達皆が同じ経験をする必要はないですから。
いつも優しいコメントをありがとうございます
水仙さん、私は知っていますよ。
水仙さんは最高の介護と親孝行をなさいましたよ。
お母様はお幸せでした。
私はそう確信しています。
私の母はこの年代にしては珍しく職業婦人として定年まで働きました。
理由はいろいろあったので結果的にそうなってしまったようではありますが。
私は一人っ子のっ鍵っ子でしたし、子供なりに気を遣っていたようで、母は私に喘息や蕎麦アレルギーがあったことも知りません
「そんなものはなかった」と言い張っています(爆笑)。
子供の頃は鍵を失くしたり、淋しかったりしましたし、大きな病気に罹った時には母を恨んだこともありましたが、今はこの介護の時間によってすべてが癒されて、母と二人でのんびりといい時を過ごせていると思います。
母には苦しい老後となりましたので、その点は本当にかわいそうだと思っていますが、母も自由な老後を楽しんではいるようです。
水仙さんは最高の親孝行をなさいましたよ