今日は眠り姫

2024年01月13日 21時00分15秒 | 介護

 今日は晴れて気温も高めだった上に風が強く吹いていましたので、お洗濯物が午前中には乾いてしまいました。

これって、本当に嬉しくてありがたいです

 

 

 

 

 今朝の果物

ことりさんに頂いた大きな「紅まどんな」。

母も私も半分ずつ頂きました。

皮が薄いので母のジュースに入れても残渣なし。

明日も頂きます

こちらも頂いたお大根で、昨日はおでん、今日は又、お煮しめを作りました。

お大根がと~ってもやわらかく美味しいので、ミキサーに掛けないでそのまま食べさせました。

「このお大根、美味しいねぇ」と母。

今日の母は午前中も少し寝たのですが、昼食中から「30分ほど寝る」と言ってベッドへ。

いなり寿司もぎょうざも中途半端に残しました。

ベッドに入った後、しばらく起きていましたが、いつしか本気で寝始めました。

 

クリスマス、お正月に生けたお花がまだ綺麗です。

 

この寝具合が半端ない。

17時半にヘルパーさんが来て下さった時も、どんなに声を掛けてもおしめや着替えをさせても全く起きない

従って、今日はお薬も飲めない状態です。

こんなに寝入ったのは久々です。

バイタルもよく、スースーと寝ています。

昼夜逆転して真夜中に起きなければいいけれど・・・と思いますが、いやいや、お薬を飲まさないといけないので起きてほしいです。

大抵は寝ていても起こしてお薬を飲ませることが出来ます。

しっかり覚醒してくれ、その後、再び寝ます。

が、今日は15時のお薬から、全く目覚める気配がないです。

深く寝入っているという感じです。

元気な寝息なので心配はしていませんが~

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.1.13

 

為せば成る

 

為せば成る、
為さねば成らぬ何事も、
成らぬは人の為さぬなりけり
━━━━━━━━━━━━━━
上杉鷹山(第9代米沢藩主)
○月刊『致知』2024年2月号
連載「巻頭の言葉」【最新号】より
━━━━━━━━━━━━━━

●上杉鷹山(1751~1822)、
第9代米沢藩主。
17歳で養子先の藩主に就任、
破産寸前の藩財政を立て直し、
江戸時代屈指の健全財政を確立した江戸時代の名君です。

 

 

 

 

 

★致知出版社の「ご縁メール」 

 

≪台湾人にとっての「最高の褒め言葉」≫


最新号では、「明治人の気概に学ぶ」をテーマに、
主に北里柴三郎と福澤諭吉に焦点をあてて、
彼らが目指したものについて迫っていただきました。

我が国の文明開化に大きな影響を与え、
日本人の精神形成に寄与した福澤諭吉。

高い志をもって医学の道に進み、
細菌学の分野で多大な功績を上げた北里柴三郎。

ナビゲーターには、
「博多の歴女」白駒妃登美さんと、
作家の山崎光夫さんに務めていただきました。

本日は、諭吉の言葉にまつわるくだりと、
台湾について触れているお話をご紹介します。

 

取材の様子はこちら
─────────────────


【白駒】
それから、これは『学問のすゝめ』に出てくるのですが、
諭吉は次の言葉を残しています。


「顔色容貌(がんしょくようぼう)の活発愉快なるは、
 人の徳義の一箇条にして、
 人間交際において最も大切なるものなり」


諭吉は学問だけでなく、
心身の健康や明朗な性格を重視していて、
それが人間関係を築く上でとても大切だと述べています。

高い理想を掲げながら、
同時に現実的でもあるんですよね。

諭吉の人生は極貧だった幼少期に始まり、
きっと様々な苦しい出来事があったと思います。

ですが、不思議と悲愴感(ひそうかん)がありません。

本人が不幸だと思っていなければ不幸ではないと、
どこか超然としたところがあって、
内側から湧き上がるエネルギーのようなものによって、
多くの難題を乗り越えていったのだと思います。


そう考えると、この一文もまた諭吉の実感であり、
意味が深いなと感じます。

 

今回の特集テーマは「立志立国」だそうですが、
それを聞いて思い出したのが柴三郎とも
関係が深かった後藤新平のことでした。

後藤は医師として公衆衛生に造詣(ぞうけい)が深く、
台湾の都市設計を担って台湾の近代化を支えた人物です。

その台湾の日本統治時代に生まれた
お年寄りがまだお元気でいらして、
その方々にお会いすると、


「台湾にはリップンチェンシン(日本精神)
 という言葉があるんだよ」


というお話をされます。

そして「あなたにはリップンチェンシンがあるね」と言えば、
それは最高の褒め言葉だと言うんです。

勤勉で誠実で親切で、
責任感があって自分の仕事に誇りを持っている。

さらに自分のことだけでなくみんなのこと、
次の世代のことまで考えられる、
それをリップンチェンシンと呼ぶそうです。


後藤や諭吉、柴三郎といった
明治の人々が目指した理想の姿が、
まさにそこにあるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

★バラ十字会メールマガジン(毎週金曜日配信・・・昨日、アップし忘れました)

 

神秘学とは? 宗教ではない人生へのアプローチ

 


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文章を以下に転載していますが、話題に関連する興味深い写真、歴史的に重要な絵画が掲載されていますので、下記のリンクをクリックして、公式ブログでお読みください。

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こんにちは、バラ十字会の本庄です。


今回が、2024年最初のメルマガ配信になります。

どうぞ今年も、よろしくお付き合いください。



私たちの働いている事務所は、板橋区の仲宿というところにあります。

江戸時代の人が日本橋を出て中山道(木曾街道)で京都に向かったとすれば、最初に通る宿場町です。


板橋に事務所を構えたのは2010年で、それまでは新宿でした。

新宿区では、当時、区内で事業を行っている人たちをウェブサイトで紹介してくれるというサービスがありました。



このサービスに申し込んだところ、区の職員の方々が、ヒアリングに訪れてくれました。


そのときに聴かれたのは、あなたがたが通信講座で扱っている神秘学(mysticism:神秘主義)とは一体何ですか、宗教とはどのように違うのですかということでした。


このブログをお読みくださっている方々の中にも、「神秘学」とは一体何なのだろう、宗教とはどのように違うのだろうという興味をお持ちの方も多いのではないかと思います。


◆神秘学とは

これから詳しくお伝えしていきますが、まずは、神秘学(mysticism:神秘主義)とは何かを手短にご説明します。


ある条件が整ったとき、人は言葉では表すことのできない忘我の状態を体験するということが古くから世界中で知られています。

この場合の「忘我」とは、夢中になって我を忘れることではなく、自分と外部の世界を隔てる壁が、心理的に消失することです。

そして、言葉では表すことができないということとは矛盾しているのですが、この体験は「神秘体験」と呼ばれています。


神秘体験をどのようにして得るのか、より良く生きるために、神秘体験をどのように活用したら良いかという知識が神秘学と呼ばれます。



また神秘体験は、「絶対者」、「神」などと呼ばれる究極の実在と、内面的に合一することだと解釈されることがあります(やはり、言葉では表すことができないということとは矛盾しているのですが…)。


ですから、絶対者であるブラフマンと自己と見なすことのできるアートマンの合一(梵我一如)を目指していた、古代インドのヴェーダの宗教は神秘学の一種だと考えることができます。



それ以外でも、さまざまな宗教の秘伝的な内容には、神秘学としての性質があります。

ユダヤ教の秘伝的部分はカバラ、イスラム教の秘伝的部分としてはスーフィズムが有名です。

キリスト教の秘伝的部分には特別な名前はなく、その一部がキリスト教神秘学と呼ばれています。


つまり、多くの宗教の中核の一部は神秘学であるということができますが、これからご説明するように、バラ十字会の神秘学のように、宗教ではない神秘学もあります。


◆代表的な神秘家

神秘学を研究し実践する人は、「神秘家」(mystic)と呼ばれます。

古代ギリシャの哲学者タレスは「万物は神々に満ちている」という言葉を残したとされています。

ピュタゴラスはタレスから学び、タレスの導きでエジプトを訪れ、エジプトの古代神秘学を学んだことが知られています。

この2人は当時のギリシャの代表的な神秘家です。


参考記事:『イシスとオシリス、セトの謀略 - 古代エジプト神話と密儀の関係について』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1095964&c=3304&d=ed84



また、古代ギリシャの哲学者プラトンが神秘家だということは、彼の書いた『国家』という対話篇の「洞窟の比喩」によく表れています。


参考記事:『「洞窟の比喩」とプラトンのイデア論をわかりやく解説 - 実在の探求と哲学者』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1095965&c=3304&d=ed84



新プラトン主義は、プラトンの影響を受けてその約700年後に成立した考え方で、古代のキリスト教に大きな影響を与えました。

「一者」(絶対なるもの、ト・ヘン)からの段階的な「流出」(emanation)によって世界は構成されており、人間は「観照」(theoria)によって「一者」に帰ることができるとするものです。

プロティノス(205?-270)は、新プラトン主義(Neoplatonism)の代表的な哲学者であり、極めて有名な神秘家です。


参考記事:『フィロンとプロティノスと宇宙を構成する数』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1095966&c=3304&d=ed84



キリスト教の代表的な神秘家には、マイスター・エックハルト(1260?-1328)、ヤーコプ・ベーメ(1575-1624)などがいます。


◆神秘学と神智学の違い

「神智学」(theosophy)という言葉は、ギリシャ語の「神」(theos)と「知恵」(sophia)の組み合わせからできています。

神智学とは広い意味では、「一者」(神)との合一を目指す思想と実践のことですので、神秘学とほぼ同等のことを意味しています。

しかし狭い意味としては、1875年にヘレナ・P・ブラヴァツキーがニューヨークで創設した「神智学協会」の考え方と実践を指しています。



神智学協会に属していた神秘家としては、ルドルフ・シュタイナー、クリシュナムルティなどが有名です。


参考記事:『シュタイナーと神秘学』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1095967&c=3304&d=ed84


◆古代の神秘学

神秘学とは何かを、2500年ほどさかのぼって、歴史的にご説明したいと思います。


今、私の左側にある棚には、『神秘哲学』という題の本があります。30ヵ国語に堪能だったという、ギリシャ、イスラム、東洋哲学の大家の井筒俊彦さんの本です。


「神秘学」、「神秘主義」、「神秘哲学」という言葉は、いずれも「ミスティシズム」(mysticism)という英語の日本語訳として使われていますので、同じものだと考えてください。


・ギリシャ哲学と神秘学

この本で説明されていることのひとつは、ソクラテス、プラトン、アリストテレスといったギリシャの哲学者たちが研究し、当時の人たちに教えていたのが、まさに神秘学だったということです。


この3人はといえば、ヨーロッパの哲学の源流を作ったとされる人たちですから、神秘学というのは、何も特別なことではなく、西洋ではもともと哲学といえば、神秘学だったということになります。


・神秘学を理解するためのキーワードとしての〈宇宙〉(Cosmos)

では、神秘学とは何を意味しているのかを、より詳しく見ていきましょう。

このことを理解するためのキーワードは「宇宙」(コスモス:Cosmos)です。

これは、先ほどの3人の哲学者の大先輩にあたるピュタゴラス(ピタゴラス)の作った言葉です。


参考記事:『コスモスとピュタゴラス-ささやかな実習』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1095968&c=3304&d=ed84



現代に生きる人たちが「宇宙」という言葉によって思い浮かべるのは、無数に多くの銀河や星雲や星々が浮かんでいる空間、人工衛星が回り、国際宇宙ステーションが飛行している空間のようなものではないでしょうか。


しかし、ピュタゴラスが「宇宙」という言葉で意味しているのは、このような無味乾燥な宇宙とはややニュアンスが異なります。

ですから、現代人が思い浮かべる宇宙と区別するために、ここでは〈宇宙〉と表すことにしましょう。


〈宇宙〉は、ピュタゴラスにとって、秩序、健全性、美しさという性質を合わせ持っている規則正しい全体のことでした。



少しわかりにくいかもしれません。具体的に説明します。


・〈宇宙〉と自然界と人間の規則正しさ

夜空に見られる星は、天球上で場所を変えることなく、いつも同じように美しく輝いています。

一方惑星はといえば、一見複雑な動きをしていますが、長いこと観測をしていると、そこには規則正しさがあることがわかってきます


太陽と月の動きも同じです。

たとえば、日食は特定の周期で起こることが古代から知られていました。


大地には規則正しく四季が訪れ、私たちに作物の恵みをもたらしてくれます。

昼と夜の長さにも、植物の花の形、葉の付き方にも、動物や人間の身体にも、その営みにも、すべてに規則正しさ(秩序)が表れており、すべてが関係して一体になっています。



この全体をピュタゴラスは〈宇宙〉と呼びました。

〈宇宙〉は、天上の星々を表すマクロコズム(大宇宙)、人間を表すミクロコズム(小宇宙)、自然界を表すメソコズム(中宇宙)の3つに分類されますが、いずれにも見事な規則正しさが表れています。



付記:子供の心理的な発達が、人類の歴史における心理的な発達を繰り返していることが発達心理学では知られていますが、現代哲学者のケン・ウィルバー(1949-)はそれが、コスモス(Kosmos)の進化の表れであるとしています。


・ピュタゴラスの哲学

ピュタゴラスはまた、〈宇宙〉とは一弦琴(弦が一本の琴)のようなものだと考えていました。

この琴が奏でる最も低い音が物質の世界であり、最も高い音が絶対精神(神)であると考えていました。

つまり、物質の世界も、精神の世界も、絶対的なものも、〈宇宙〉というひとつの全体の別の表れだと考えていたのです。


数学、道徳、音楽はピュタゴラスが特に力を注いだ分野ですが、数学とは〈宇宙〉の規則正しさ(秩序)を研究する学問であり、道徳は〈宇宙〉の規則正しさを人の行いに反映させることにあたり、音楽は、〈宇宙〉の規則正しさを地上で表現するための方法でした。



哲学(philosophia:フィロソフィア)という言葉を作ったのもピュタゴラスです。

この言葉はギリシャ語の「フィロ」(愛する)と「ソフィア」(知識)からなります。

哲学者とはもともとは、〈宇宙〉の持つ規則正しい性質を研究して、そこから得られた知識を愛する人のことを指していました。


国はよく治められて、〈宇宙〉のように規則正しく、美しく、健全な状態にされなければならないとピュタゴラスは考えていました。

ですから政治家は、必ず哲学者でなければならなかったのです。


◆実在体験(神秘体験)と神秘学

話を戻します。

先ほどの本のまえがきに井筒俊彦さんは、神秘学の根本にあるのは「形而上学的思惟の根源に伏在する一種の実在体験」だと書いています。


難しい表現ですね。

わかりやすく説明すると、次のようなことです。


古代からよく知られていたことなのですが、音楽に深く入り込んだり、特定の方法で集中や呼吸を行ったり、収穫祭などの儀式に参加し感謝の思いが特に高まったときに、人は日常とは異なる、忘我の意識状態を体験することがあります。



最初にご説明したように、この体験が神秘体験と呼ばれています。


琴の弦が、特定の関係にある他の弦と同調するように、人も、ある条件のもとでは〈宇宙〉と同調することができ、そのときに神秘体験が起こるとピュタゴラスは考えていました。

そして、バラ十字会で学んでいる人の多くも、私も、このピュタゴラスの意見に賛成しています。



神秘体験には、ちょっと気の利いた思いつきが「天から降ってきた」ように感じられるものから、体験した人の人生観を完全に変えてしまうものまで、さまざまな程度のものがあります。
しかし、どのような程度のものであっても、神秘体験を得た人には、何らかの効用や進歩がもたらされます。


たとえば、長いこと悩んでいた問題を解決する方法がわかったり、ある芸術作品のモチーフを思いついたり、人を思いやる気持ちが深まったり、エゴと恐れを手放して、人生に積極的に向き合う力が得られたりするなどです。



神秘学で行うことは、大まかにいえば、神秘体験を得るための条件や方法について学び、実際に神秘体験を得るための練習を重ねて、神秘体験から得た成果を、自分と周囲の人のために役立てることです。


◆神秘学と宗教の違い

では、神秘学と宗教はどのように違うのでしょうか。


神秘学と宗教には、似ているところもあります。どちらも、人生の謎を解き明かすことや、よりよく生きることを目的としているからです。


そして神秘学は、バラ十字会がご紹介しているような宗教でない神秘学と、宗教神秘学の2つに大きく分けることができます。



そしてこの2つの違いは、次のように説明することができます(あらかじめお断りしておきますが、別の考え方もあります)。


先ほどから話題になっている〈宇宙〉の規則正しさ(秩序)ですが、その原因だと考えられるものには、歴史上、さまざまな名前がつけられてきました。


絶対精神、普遍的精神、YHVH、創造主、アラー、梵天、神などです。


・〈宇宙〉の法則(理法)か、人格神か?

そして、宗教神秘学と、宗教でない神秘学の主な違いは、この絶対精神のことを、人格であると考えるか法則であると考えるかということです。



ちょっとわかりにくいと思いますので、ご説明させてください。


たとえば、ギリシャの宗教の最高神はゼウス(ギリシャ語の「神」)ですが、当時の人はゼウスのことを、右手には雷を起こす武器を持った、ひげをたくわえた、筋肉が隆々とした男性として思い浮かべたことでしょう。



現代では、このような素朴な神の姿を思い浮かべる人は少ないことと思いますが、それでも、一神教を信仰する方々の多くは、神のことを威厳と慈愛にあふれた人に似た存在だと思い浮かべるようです


それに対して、宗教でない神秘学では、絶対精神(ここでは神と呼ぶことにしましょう。)のことを人格であるとは考えません。神とはそもそも知ることのできない性質のものであり、ただ、〈宇宙〉のさまざまな法則(Law)の原因であると考えています。



反対にいえば、〈宇宙〉のさまざまな法則こそが、神の表われであると考えています。

法則といえば、物質の世界を支配している物理の法則のことをまず思い浮かべる方が多いことでしょうが、それ以外にも、カルマの法則、三角形の法則(弁証法の法則)など、いろいろな法則があります。


また、〈宇宙〉の法則と言うよりは、「〈宇宙〉のことわり」とか、「〈宇宙〉の摂理」とか、「〈宇宙〉の性質」と呼んだほうがふさわしいようなものもあります。


・〈宇宙〉の性質としての愛

その代表的なものが「愛」です。


多くの宗教では、人格を持つ神が、人間や他の生きものを愛していると考えます。


一方で、宗教でない神秘学では、愛は〈宇宙〉の性質である、もしくは、〈宇宙〉は愛で満ちていると考えます。



このことは、ちょっとした差のように思えるかもしれませんが、なかなかどうして、そうでもない場合があります。


・神秘学と普遍的宗教

もし、神のことを、ある神話に登場する何か人の姿をしたような存在であると考えるならば、その神は、たとえばA教を信仰している人を愛し、B教を信仰している人は嫌うというようなことが、容易に想像されるのではないでしょうか。


一方で、絶対精神(神)が〈宇宙〉の法則として表れていると考えるならば、歴史的な経緯から人が作ったさまざまな宗教をもとにして、神が、ある人と別の人を差別するなどということは、考えにくいのではないでしょうか。



マハトマ・ガンジー(1869-1948)は、次の言葉を残しています。


「神は宗教を持たない。」



彼はヒンドゥー教徒ですが、その考えは、宗教でない神秘学に近いことがわかります。



誤解のないように付け加えておきますが、バラ十字会も私も、宗教を批判しているわけではありません。


宗教は人類の歴史の中で、無数に多くの人の道徳心を支える大切な役割を果たしてきました。


しかし、大部分の宗教が、それが発祥した時代の制約を受けています。



たとえば先ほどの例で言えば、ギリシャ・ローマ時代の多くの人は、現代人と異なり、〈宇宙〉のさまざまな法則の原因というような抽象的な概念について考えることができませんでした。


しかしそれ以降、人類の精神はずっと進歩を続けてきました。

特に20世紀には自然科学が大きな進歩を遂げました。



現代の宗教は、これらの進歩に沿うように、根本から変化することを迫られていますし、さまざまな宗教で、そのような試みがすでに始まっているとのことです。



では、今日はこの辺で。


最後までお読みくださり、ありがとうございました。

また、お付き合いください。


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■ 編集後記

スイセンが咲いています

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1095969&c=3304&d=ed84

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2 コメント

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Unknown (shoko870)
2024-01-14 10:10:46
明治には後世に名を残す功績を挙げられた方が本当に多いですね。
ワタクシの母校、大阪市立大学(現大阪公立大学)は、明治に活躍した五代友厚が中心となって建学した大阪商業講習所をルーツにしており、先生方が折りにふれ五代友厚にゆかりのある大学であることを口にされていましたが、社会貢献となる事業を次々立ち上げされたところをワタクシ自信も誇りに思うところも有りました。
今度、お札の顔になる渋沢栄一も、東の渋沢、西の五代と称された方で、「論語と算盤」という、商売と道徳は両立するという考え方を普及された事業家で、見習いたいなと思っています。
50代に入り、つかれぎみですが、明治の方々とは比べようもないですが、小さくとも社会をよくするチャレンジしたいです。
返信する
shoko870さんへ (ピエリナ)
2024-01-14 20:32:54
こんばんは、shoko870さん(^^)/

それは御自慢でいらっしゃいますね。
素晴らしいです。

明治時代は確かにそうですね。
気概、気骨がある人が多かったですね。
五代友厚も渋沢栄一もNHKのドラマで知るまでは恥ずかしながらさほど知りませんでした。

私も何らかの社会貢献をしたいと常々思っています。
ご一緒にがんばりましょう

コメントをありがとうございました。
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