母の容態(入院7日目)&友人と母のこと

2024年08月16日 23時04分00秒 | 友人との時間

 今日も眠くて眠くて何度もうとうとながら書いています。

 

 

朝、4時に目が覚めましたので即、起きて準備し、教会経由スーパー、ポストに寄って、牛窓へ。

6時にはここに到着しました。

  2号線から見た日の出

 

ユリが何輪か咲いていました。

 

今、牛窓ではミンミンゼミ、ツクツクボウシ、ウグイスが鳴き、夜には虫の声。

トンボがたくさん飛んでいて、夏から秋へと移行中という感じでしょうか。

動き回っている鳥がいると思ったらメジロでした。

 

 

6時15分の景色

 

友人が「岡山にまだ居るなら行くわ」と6時半にラインが来ましたがすでに牛窓。

結局、「なかなか会えないし積もる話もあるから行くわ」

「ランチ、どこで食べる

「ロッサ」のいかすみパスタが食べたかったそうですが、満席。

「ホテルリマーニの和食はどう」と写メを送ってくれましたが、かなりの量。

「これ多過ぎない 絶対食べられないわ」と言うと「前は食べたよ」

マジ

こちらは9時半

 

12時前後には着くということでしたので、フルーツもバナナはなしに。

今日の果物

彼女のところから50分かかるようです。

「シャインマスカット大福」を持って来てくれました。

 

結局、2時にパスタのお店「ロッサ」に予約してくれていましたので、それまで食べながらおしゃべり。

娘との電話あたりからゆっくり話ていませんでした。

昨日のドクターの話について話す時やっと感情が解けたのかうるっ。

友人も実のお母さん以外は見送って来ています。

「お義母さんの予後についてドクターから話があった時」、彼女はやはりひとりでは大変で、我が家に寄って帰りました。

忘れていましたが思い出しました。

ふたりとも涙ぐみながら話をしました。

彼女のお義母さんはその後1年2ヵ月胃ろうで生きることになりました。

亡くなる時、意識のないはずのお義母さんの目から涙がひとすじ。。。

意識がないと言っても伝えられないだけで意識はずっとあって、辛く苦しかったのではないかと友人は話していました。

母の今後の話をした後「じゃあ、そのまま病院は変わっても入院だね」と彼女が言った時「いや、自宅へ連れて帰ろうと思っているんよ」と答えました。

点滴などは続くので自宅では難しいと思ったようですが、それは看護師さんが毎日来て下さると思いますし、昔は自宅で亡くなる人が多かったですし、「なんとめでたいご臨終」でも(今みたら2が出ていましたので早速購入しました)それは十分可能です。

母の願いは「家で死にたい」ですからその願いを叶えたい。

友人は「そうか。。。後悔のないようにね」

 2時間弱話したあと、「ロッサ」へ。

 

「ロッサ」

 

イカスミパスタとピザをシェアしました。

こちらはブドウジュースと前菜

 

リコッタチーズもこちらのお店の手作り。

もちもちしていて、いい加減の塩加減で美味しかった

こちらはツナとアンチョビのピザ。

こちらも美味しかったです

もうおなかがいっぱい

 

ロケーション抜群なので、いつも満席です。

2時からの席が空いていました。

私はここへ来るのは3度目くらい

友人は母の日に連れて来てもらっていて、その時、このイカスミを娘さんのお姑さんも含めて3人でシェアをして美味しかったのだそうです。

それで再び、食べたいと思っていたようです。

 

 

次回は「木下商店」に行ってみようと言っていました。

 

今日の瀬戸内市は今年の最高気温の36.7℃だったようです。

お店は時間制で3時半まででした。

 

その後、夜光虫の私はなかなか記帳にいけないので2つの銀行に寄ってもらいました。

小さい街なのでまとまってあるので便利。

4時頃

裏の他の場所にもユリが咲いていました。

 

友人は9月に入ったらイタリアに行きます。

「いいなあ~」を連発する私に、昔と違って手放しでは行けず、又、いろいろと不安心配もあると説明してくれました。

実際、お母さんが施設におられるので、「キャンセル保険」をかけたそうです。

その額何と5万。

この旅行は下の娘さんからのプレゼント。

 

 

 友人が帰った後、病院に電話をしました。

今日は担当の看護師さんが帰られたあとで、「午前中の様子しかわかりませんが」と言われて「特にお変わりなく過ごされています」

良かった

昨日おくつかの写真と共に届けた手紙。

友人が「読めるん」と言いましたが、問題はそこ

大きな字で詠みやすいように綺麗に書かないといけないのでワードで書きました。

今回はコロナだからしんどいね。

(これはひとりでいる時間が長いので余計にそうです)

あと1週間したら解除になるから、そうしたらお家に帰ろう。

それまで、お口の体操(嚥下訓練)をして、少しでも食べたり飲んだり出来るようにがんばるようにと。

そして、多くの人が祈ってくれているのでひとりじゃない。大丈夫だよと書きました。

 

 

 昨日まではもう母も本当にダメかもしれない。。。と思っていました。

でも今日、お昼前に祈っていた時に、根拠のない「大丈夫」という想いが湧いてきました。

それが当るかどうかはわかりませんし、どういう意味かもわかりませんが・・・。

もう少し時間が与えられるのか、「おめでたいご臨終」を迎えられるのか、いずれにしても別れはきます。

母が幸せでいることが今の私の幸せなので、どのような形になっても私も母のためにがんばりますし、母の希望のように自宅でご飯を食べた後で「ごちそうさんでした」と言って旅立たせてあげられたら最高です。

 

 

 

 

 今頃になって目が冴えてきました。

昨夜岡山に戻って一泊しましたが、やはり妙に落ち着きました。

地に足が付いている感じとでも言いますか。

懐かしい我が家。

牛窓は景色が綺麗なのですが、見降ろしているのでもしかして安定感がない

ここに来たら来たで落ち着くのですが。

岡山ほど暑くないので安心して暮らせていますし。

でも、まだ暑くこの家の中に籠っていますので土地に馴染んでいないのかもしれません。

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと269・°*

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.8.16

失敗の経験の意味

最も適切な決断を下す力は修羅場経験、
とりわけ失敗の経験がないと養われない
━━━━━━━━━━━━━━
野中郁次郎(一橋大学名誉教授)
○月刊『致知』2012年8月号
特集「知命と立命」より
━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

 

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ヒューマニズムとバラ十字会の関係


バラ十字会日本本部AMORC


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こんにちは、バラ十字会の本庄です。


━…………………━

文章を以下に転載していますが、ブリューゲルの絵画など、ヒューマニズムをより深く理解するための写真が挿入されていますので、下記のリンクをクリックしてお読みください。

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1140793&c=3304&d=ed84

(ヒューマニズムとは何かを簡単に解説|その精神・意味と歴史上の運動)

━…………………━


今日は関東に台風が近づいています。東京板橋では、雨や風が何度も強くなったり弱まったりしていますが、それほどひどいことにはなっていません。


そちらでは、いかがでしょうか。



◆ ヒューマニズムとは何か、その意味

ヒューマニズム(humanism)は人間を意味する「ヒューマン」(human)と、行動・主義・理論などを表す語尾の「イズム」(-ism)からできている言葉です。

そして主に2つの異なる意味を表すために用いられています。ひとつは「歴史上に実際に起こった運動」であり、もうひとつは「ヒューマニズムの精神」です。


・ 歴史上の運動としてのヒューマニズム

人類の歴史には「ヒューマニズム」と呼ばれる運動が何回か起こっています。

その中でも最も有名なものは、古代ギリシャとローマの文化と芸術を見直そうという14~16世紀のヨーロッパで起こった運動です

この意味のヒューマニズムは人文主義、人間主義、文芸復興などと訳されます。



この運動はカトリック教会の古い学問に対抗して「もっと人間らしい学問と芸術」を取り戻そうとしたものです。



当時のカトリック教会の考えでは人間は原罪を背負って生きている堕落した存在でした。

それに対してヒューマニズムを信奉する人たちの間には、人間の本来の性質は善であるとする傾向がありました。



イタリアの詩人で学者のペトラルカは、古代ローマの詩人のウェルギリウスやホラティウスの写本を集めて研究することによって、理想的な人間はどのようであるかを突き止めようとしました。



下の絵画は、16世紀のブラバント公国(現在のベルギーとオランダ)の画家のピーテル・ブリューゲルが描いた『農民の踊り』です。

(写真:『農民の踊り』ピーテル・ブリューゲル(1568年頃)



それまでの絵画では、聖書の一場面とか、偉人や聖人の肖像ばかりが描かれていたのですが、ブリューゲル家の画家たちは、自然や農村の風景や花や、人々の生活を油絵で描くことを始めました。


参考記事:『四大元素とブリューゲル』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1140794&c=3304&d=ed84



宗教的な題材よりも、実際の人間や自然の姿を描くことを芸術家の使命だと考えたのだと思われます。



17世紀になるとヒューマニズムは科学と結びつくようになります

フランスの哲学者デカルトは、神を認識することができる「恩寵の光」によってではなく、人間は自分に備わっている「自然の光」(自然界の事物を認識する能力)を用いることで、より良い生き方をすることができると考えました。



18世紀になると、人間の認識の能力と理性を重視し尊重する考え方は、哲学だけでなく社会、政治、経済にも広がり、科学的な合理性を極端に重視する「啓蒙思想」と呼ばれる運動が生じます。



たとえば啓蒙思想の哲学者の中には、世界は機械仕掛けのカラクリのように自動的に動いているので、人間の自由意志は幻想であると唱える人も現れました(機械的世界観)。



それに対して18世紀の後半のドイツには機械的世界観に対抗して、「新ヒューマニズム」という古代ギリシャをお手本にして人間らしさを取り戻す運動が起こります。

この運動にはレッシング、ゲーテ、シラーなどが関わっています。



デカルトとゲーテは当時のバラ十字思想と深く関わっていますので、ヒューマニズムの運動とバラ十字会には深い関わりがあることになります。



参考記事:『デカルトの心身二元論とは?他説の例と合せてわかりやすく解説』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1140795&c=3304&d=ed84



参考記事:『ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテと神秘思想、主な作品の紹介、テンプル騎士団』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1140796&c=3304&d=ed84


・ ヒューマニズムの精神

以上のような歴史上のヒューマニズムは大まかに言えば、人間的でない何らかの傾向に対する反動として起こった「人間らしくあろうとする」運動ですが、「人間らしく」の意味は、それぞれでかなり異なっています。



一方で、すべての人間は尊重されるべきだという考え、人類全体が幸せであることを願う精神のことも「ヒューマニズム」と呼ばれます。

この意味の場合には、明確化するために「ヒューマニタリアニズム」(humanitarianism)という別の語が用いられる場合もあります。

この意味でのヒューマニズムは、人道主義と訳されます。「博愛主義」もほとんど同じ意味です。



ですからこの意味でのヒューマニズムを信奉する人は、戦争や残虐行為や、あらゆる貧困に反対します。

人間としてあたりまえの考え方だと思われるでしょうか。



しかし世界のニュースを見ていると皆さんもお感じのことと思いますが、すべての人にこのヒューマニズムの精神が行き渡っているわけではありません。



そしてそれを説明する理論もあります。

スパイラル・ダイナミクスという進化心理学の理論によれば、個人の心理学的な発達段階は、人類の歴史の心理学的な発達をなぞるように進んでいきます。

そして現在の世界には主に次の4~6の段階の人がいて、互いに争っています。


4.(神話的秩序の段階)自分と同じ神話(宗教)を共有している人たちだけが幸せであること願う人たち


5.(科学的達成の段階)人類全体が幸せであることを願う人たち


6.(感受性豊かな自己の段階)すべての生きものが幸せであることを願う人たち



どうでしょうか。

世界や日本の現状に照らして、少しの間、このことについて考えてみていただきたいのです。

かなり納得のいく考え方なのではないでしょうか。



もしこの説が正しいとすれば、ヒューマニズムの精神とは、心理学的な発達段階が5段階以降に達した人たちの特徴にあたることになります。



参考記事:『胎児と子供は、人類の歴史を繰り返す』(後編)

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1140797&c=3304&d=ed84



(イラスト:多様な文化を持つ男性と女性のシルエット、多文化社会の友情)


◆ 地球上のすべての人の幸せを願う精神

さて、駆け足でヒューマニズムの意味を説明してきましたが、ここからは第2の意味、つまりヒューマニズムは、地球上のすべての人の幸せを願う精神を意味するということで話しを進めましょう。

そして、ヒューマニズムを信奉し実践する人がヒューマニストです



発展途上国では餓死する子供たちが今でもたくさんいるにもかかわらず、先進諸国で食べ物が大量に無駄にされていることがおかしいと考える人はヒューマニストです。



世界の紛争地域で、幸せな生活どころか、多くの人の身の安全が確保されていないことに我慢がならないと感じる人はヒューマニストです。



当会のフランス代表が、自身の人気のブログで、この意味のヒューマニズムについて書いています。その記事を翻訳しましたので、ご紹介させていただきたいと思います。

▽ ▽ ▽

◆ 記事『ヒューマニズムについて』

バラ十字会AMORCフランス語圏本部代表セルジュ・ツーサン

(写真:セルジュ・ツーサン)


・ 人間の尊厳を尊重するヒューマニズム

バラ十字会では、人の心の深奥にある崇高さ(スピリチュアリティ)を重視することに加えて、人間の尊厳を尊重すること(ヒューマニズム)を多くの方々に訴え続けています。



2001年に当会が発行したマニフェスト(宣言書)には次のように書かれています。

「ひとりひとりの人は、全人類という身体を構成する、欠かすことのできない細胞にあたると私たちは考えています。」
「この原則に基づいて、生まれた国や住んでいる国家に関係なく、すべての人が同じ権利を持つべきであり、同じ敬意が払われるべきであり、同じ自由を享受するべきであると私たちは考えています」



このようなヒューマニズムは、私たちの会自体に具体的な形で表れています。

当会には、あらゆる人種、あらゆる国籍、あらゆる社会的地位、あらゆる宗教の男女が属しているからです。


・ 私たち人間は誰もがソウルメイト

すべての人は兄弟姉妹です。

私たちすべての血管には、ほぼ同じ血液が流れており、遺伝子の構造も同じであり、人類という同じ生物種に属しています。



すべての人の体はほとんど同じです。

それに加えてバラ十字思想の見地からいうと、私たちは誰もがソウルメイトなのです。


なぜなら、すべての人の魂は同じ源から発しているからです。

より明確に言えば、個々の人に宿っている魂は、「普遍的ソウル」(Universal Soul:宇宙の魂)という樹木から分かれ出た枝にあたります。



この普遍的ソウルは、知性であり意識であり、エネルギーでもあり影響力でもあり、オーバーソウルとか、神とか創造主と呼ばれることもあります。



以上が意味しているのは、人類は本質的には一体であり、宇宙という崇高な源に由来しているということです。


(イラスト:緑の地球を囲んで見つめる人々)


・ 親近感という生物学的な本能

もちろん多くの人は、自分と同じ国、同じ宗教、同じ政治思想、同じ考え方の傾向、同じ文化習慣、同じ美的感覚の人に親近感を覚えます。



すべての人には、同類の人と集まって群れを作る生物学的な本能があるからです。

このような傾向は無理もないことで、それ自体が否定的されるべき事柄ではありません。



しかし、自分と異なった考え方や生き方をしている人を認めなかったり、さらに悪いことに、憎んだりするとしたら、それは異常なことであり、間違っているとさえ言うことができます。

他人に対してそのように振る舞うことは、人間尊重と寛容の精神が欠けていることを明らかに意味します。


・ どの人も憎まないという現実的なスタート地点

イエス・キリストや、過去の他の偉大な人たちは、すべての他人を愛しなさいと命じました。

キリスト教の信者であろうとなかろうと、ヒューマニズムがこの言葉に強く表われているのを否定することはできません。



しかし、この理想にほんとうに沿った生き方をすることは、誰にとっても容易なことではありません。

ですから、無条件で絶対的な愛をすべての人に注ごうと努力して、かえって、独りよがりや偽善に陥ってしまうよりは、どのような人も憎まないというところからスタートする方が良いように思います



一見矛盾しているように聞こえるかも知れませんが、憎しみを一掃するということは、普遍的な愛へと向かう大きな一歩であると考えられます。


(写真:人種文化の異なる世界中の人たちの交流)


・ スピリチュアリティとヒューマニズム

スピリチュアリティ、つまり心の深奥にある崇高さを追求することは、私の人生にとって不可欠なことですが、スピリチュアリティの追求とヒューマニストであることのどちらかを選ばなければならないとしたら、私はヒューマニストであることを選びます。



すべての人にとって、最も優先して学ぶべきことは、自分の近くにいる人を愛すること、もしくは、愛するとまではいかなくても、少なくとも、すべての違いを乗り越えて尊重することではないでしょうか。

このような愛や尊重がなければ、人類が平和と調和に満ちた世界を築くことは決してできないでしょう。



一方で、スピリチュアリティという指針のもとで、人間尊重の精神が発揮されることが真の理想だとも私は考えています。

なぜなら、心の深奥にある崇高さを追求することによって、物質を超越した気高さがヒューマニズムに加えられるからです。

このような気高さは、無神論や、ましては物質主義からは、決して生じることがない要素です。


バラ十字会AMORCフランス本部代表セルジュ・ツーサン



著者セルジュ・トゥーサンについて

1956年8月3日生まれ。ノルマンディー出身。バラ十字会AMORCフランス本部代表。

多数の本と月間2万人の読者がいる人気ブログ(www.blog-rose-croix.fr)の著者であり、環境保護、動物愛護、人間尊重の精神の普及に力を尽している。


△ △ △

上の記事で紹介されていた「普遍的ソウル」について書いたブログ記事があります。

ご興味のある方はこちらもどうぞ。


関連記事:『宇宙の魂について(その1)』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1140798&c=3304&d=ed84



今回も最後までお読みくださり、ありがとうございました。


また、お付き合いください。(^^)/~



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■ 編集後記

ベランダのハイビスカスが咲きました

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1140799&c=3304&d=ed84

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母の容態(入院6日目)&担当医師からの電話、岡山へ

2024年08月15日 23時59分45秒 | 介護

 岡山にいます。

今朝、8時44分に母の担当のドクターからお電話がありました。

コロナは病院の規定では2週間だそうで、又、今回ウイルスの量が多かったのでまだ検査をしても同じだと思うと言われました。

肺炎は良くなって来ているそうですが、飲み込み(嚥下)が悪く、食事もお薬も誤嚥が怖いので飲めない状態で、持って行ったお薬も使用しているのはパッチのみ。

予後が限られてくると言われました。。。

嚥下に関してはリハにも入ってもらっているそうで、嚥下訓練をしていくとは言われました。

胃ろうや首の動脈から栄養を入れる方法もあるが、高齢だし、これは延命になる。

今、コロナに罹って1週間なので、もう1週間は少なくとも入院。

正直、厳しいかと。。。

今は点滴のみ。

点滴にわずかに栄養を入れている状態で、あとは抗生剤、コロナの治療中。

面会はあと1週間後以降。

嚥下訓練の効果がなければ、今後のことをそこで話し合いたいと言われました。

母は起きてはいるそうですが、入れ歯も入っていないし意志の疎通が出来ないと言われました。

「痛い」とかは言うそうですが対話は難しい。

急変の可能性を伺うとやはり誤嚥。

パーキンソン病が悪く、薬も飲めていないので、唾液で誤嚥してしまう可能性もあると言われました。

大体12分位話をさせて頂きましたが、しばらくは覚悟はしていても受け止めるのにショックでした。

誰にも何も話す元気もなく、言えばもっと自分もしんどくなりそうでしたので、ひたすら祈ったりあれこれ巡らせつつじっとしていました。

 しばらくして、TVの設置に1時間早い10時前にいらして、しんどいながら動いたり話をしたりしないといけない状態に。

でも、工事はお昼には終わり快適になりました。

高松の放送が2局、観ることができます。

それからまた、一人で静かに過ごしました。

何か母に出来ることはないか考えました。

お手紙を書いたり写真を持って行こうと思いました。

又、スマホを持っていますから、看護師さんにお願いして、少しでも声を聞かせたり、顔を見せたり出来ないか伺おうと思いました。

 2時40分頃、いつもより少し早めでしたが、病院に電話をし容態を伺いました。

今日の看護師さんは殊の外優しい感じで、「99歳なのに私達もちょっとしかお部屋に入れない」と言われていました。

「でも、簡単な会話が出来るんですよ。痛いと聞くと痛いと言われます」

お薬はやはり飲めていないがパッチだけはしていると言われましたので、そう言えばもっと量の多いパッチがあると聞いたことがあるので、伺うと「そうですね。あ、でも、ドクターがそれに変えてくれています」

手紙や写真を持って行ってもいいか伺うと、喜んで下さいました。

「壁に貼ったり出来るので是非、持って来てあげて下さい。」

「24時間、いつでもこちらは大丈夫です」と言い電話やラインのことを伺うと「スマホを持っておられるのですね。いつでもいいなら出来るかもしれません」と言って下さいました。

看護師さんのお話を伺ったらちょっと元気が出てきました。

 その後、木曜日の夕方に来て下さるヘルパーさんから時間変更のお電話がありました。

母の入院をご存じなかった

午後5時半、まだ少し暑いですが、岡山に戻る準備をし6時出発。

疲れていなければ、又、牛窓にもう少し居ようと思いますので、戻ろうと思っていました。

ここのところずっと緊張しているのか血圧が上がっているのか(肩こりもあり)、後ろ頭が重いです。




 ここから今朝の話です。

昨夜お布団に入って窓の外を見ると流れ星が1つ見えました。

今朝は早く目が覚めました。
10時半頃に寝て3時半。
いくらなんでももう少し寝たいと思ったのですが、目が冴えてしまいました。
お洗濯も済ませ、土鍋風釜で「極うま65分」にご飯を仕掛けてやや明るくなってからお散歩に出かけました。
 
 
今日はちょっと違った道を行ってみようと思って、歩いてると鬱蒼とした森の向こうから、どなたかが犬を連れて歩いて来られるのが見えました。
「おはようございます」とおっしゃったので、私も「おはようございます」と答え答えましたが、よく見るとあら外国の方。
しばし、私たちは立ち話をしました。
彼はこのすぐ上の〇〇色の家に住んでおられるイギリスの方で、今大学で英語を教えておられるそうです。日本人の奥さんと結婚して、子供達とは家では英語だそうですが、それだけではやはり十分ではないので、オーディオブックとか Netflix とか今は色々な方法で英語を学べるという話をなさってました。
朝日がとても綺麗で、「毎朝違うから見飽きませんね」と私と全く同じことをおっしゃったのが何だか不思議。
私が一番最初に行った外国はイギリスで多分25歳の頃。
大学を出てお勤めを始めて3年目の夏だった気がします。
牛窓で初めて出会ったご近所さんもイギリス人。
イギリスにご縁があるのかな。
そんなお話や我が家の孫たちの言語の話などもしながらしばし楽しくお話ししました。
ワンちゃんはノアだそうです。とっても人懐っこいワンちゃんで、私たちが長くおしゃべりをしている間に木の陰に隠れてしまいました。
 
 
今朝はうろこ雲が綺麗でした。
 
 
 
 
 
 
オリーブ林の中に古墳が点在。
 
 
 
 
 
 
スニーカーを忘れて来ていましたので歩き辛い。
 
 
 
我が家のユリ
 
大きな松ぼっくりの木がありました。
今日の果物
ふと見ると人が歩いていました。
 
 
干潮で道が出来ているようですが
 
結構、足まで浸かっています。
 


 岡山に戻り、手紙と写真を託け、又、牛窓に帰ろうかと思いましたが、ご近所さんと話していたら遅くなってしまいましたので、明日の朝、帰ることにします。

眠くってうたた寝していました
今はだいぶ元気を回復しました。



・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと270・°*


★致知一日一言 【今日の言葉】2024.8.15

ご先祖様への感謝を忘れまい

ご先祖のおかげでいまの自分がある。
「ありがたい」という感謝の思いを
常に持ち続けていることで
ご先祖は喜び、人生も好転する
━━━━━━━━━━━━━━
天明茂(経営コンサルタント)
○月刊『致知』2015年5月号
連載「生命のメッセージ」より
━━━━━━━━━━━━━━

●「先祖の因縁」は本当にあるの?
天明氏が家系分析を通して分かったこと
こちらから

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母の容態(入院5日目)&「いつ帰られますか?」

2024年08月14日 21時48分00秒 | 介護

 今日ものんびりと牛窓で過ごしました。

今日の牛窓の最高気温は35.2℃、最低気温は24.4℃。

岡山の最高気温は36.7℃、最低気温は26.1℃でしたので、やはり牛窓の方が気温が低いです。

その上、ここは山の上なので更に涼しいと思います。

ですから、あまり暑いという感じはしないです。

もちろん、日中はエアコンを使っているのですが、やはり岡山と違うと思うのは家の構造 エアコンが新しいせいもあり

昨日はNHKの夕方の岡山地方のニュース「もぎたて」の配信が遅くて、ブログにアップ出来なかったのですが、

牛窓の最高気温は34.6℃、最低気温は23.8℃。

岡山の最高気温は36.8℃、最低気温は24.7℃。

連日、変わらず猛暑です

昨夜は蒸し暑くて、寝る時28℃もありました。

友人が「岡山は30℃よ~」と言っていました。

昨夜は流石に窓を開けてペルセウス座流星群を観ながら寝ようとは思えませんでした

それに、22時就寝を牛窓だけでも心がけようと思っていますので、22時には寝ました

 

  朝焼け

日の出タイムが遅くなってきました。

今は5時25分くらいのようです。

お散歩に行くことにしました。

早朝でも岡山では長く歩くことは出来ませんが、ここは緑が多いので日陰もあり、やはり歩きやすいです。

 

 

ふと見ると、真っ赤な太陽が見えました。

急いで見渡せる場所に行きました。

 

 

雲に隠れながら太陽が昇っていきました。

 

こちらが多分よく見る夾竹桃。

少しクリーム色がかっています。

 

こちらはやはり真っ白で一重。

 

途中で「クサギ」が咲いていましたので、葉っぱを取って匂ってみましたが、特に匂いませんでした。

お花も香りもジャスミンのようなのですが、葉っぱは相当臭いらしいのです。

 

小さなk神社がありましたが、もうお社だけという感じでした。

 

 

ローマの丘の方に行ってみたいですが、ひと気もなく鬱蒼としているので止めました。

 

 

今日は誰も居ませんでした。

 

 

 

サンロードが美しいです

 

 この広場はかつて家族でペルセウス座流星群を見た場所です。

40個くらいは見たような。。。

 

この木の下周辺でした。

   

 

オリーブがあると景色が違って見えます。

 

 

 

 

オリーブパレス前ではオリーブの木を売っています。

 

 

鐘は少し前からありましたが、最近ではポストも。

 

一瞬母に出そうかと思いましたが、ここでお手紙セットを買って投函しないと届けられないようです。

 

 

ここにもドッグラン

 

前島とホテルリマーニが見えます。

 

 

 

 

 

こちらは西の方面

そう言えば、今日の「もぎたて」で言っていましたが、昨日の花火の音は四国の高松だったようです。

紫陽花がまだ綺麗です。

 

 

我が家のユリ

 

今日の果物

朝食はご飯とお味噌汁(あおさとお豆腐とお揚げ)と韓国のりとサラダ。

まだお茶碗が見つからない

  

ベジタリアンではないですが、やはりお野菜とフルーツ中心になってしまいます。

お肉とかではなくフルーツが我が家のエンゲル係数を上げています

1度買えば毎朝食べますが、結構持ちます

 

 今はまだNHKプラスを見ていますので、地方のニュースは東京とその周辺。

アナウンサーは東京の前は岡山勤務だった方ですので懐かしい。

ひとつ、電球が切れていますので買わなくちゃ。

 

 今日は10時から12時まで建築士さんが来られました。

10日間くらいの夏休み中だそうです。

いつもの如く話題はあちらこちらに。

お互いの介護(彼女のおススメクリニックの話も)や牛窓の情報もいろいろ伺いました。

ヨガクラス、ゴミ捨て場所等など。

暑くなくなったら山を下りてパン屋さんに行ってみようと思いました。

「ここにしばらくおられますか

・・・というのも借りたい方が少なくとも2人おられるそうなのですが(「23日に一応外観だけでも見させてあげて下さい」)、彼女としても春になって草抜きが大変になるくらいまでは使ったらどうかなと思っておられるようです。

今日は又、岡山の家の今後のことも。

(減築、貸す、売る等)

秋になったら他の場所の家探しなどドライブを兼ねて連れて行って頂きます。

先日、娘と話したのですが娘曰く「牛窓は終の棲家にはならないよ」

やはり車がないと不便ですし、ヘルパーさんとかにお世話になるなら(私がです)ここでは無理と。

彼女に昼食を食べて行くように誘いましたが、お休みなのでご両親のもとへ。

今日はハンバーグランチにしました。

 

 

 3時前、いつものように病院に電話をし母の容態をお聞きしました。

お熱なし、酸素なしを維持。

痰が結構出るので吸引を度々して下さっているそうです。

痰が多い為、誤嚥してはいけないので食事や投薬はまだ慎重だそうです。

血圧は降圧剤の点滴を調整しながらしているとのことで、少し下がって来たようです。

コロナの検査はまだだそうですが、そろそろ検査のようです。

面会がOKになったらドクターからお電話があるそうです。

「来られた時よりは落ち着かれていますよ」

予断は許しませんが、少しほっとしました。

 

 

 

3時半頃の海

 

海の色が三段階に違っているのが綺麗であり不思議

 

そう言えば、「今どこですか」ではなく「いつ帰られますか」と聞かれるようになりました。

昨日もケアマネさんから入院以来初めてお電話があったのですが、内容は市から支給のごみ袋について。

行く便があるので取りに行って下さろうとして介護保険証か何かがいるので、「あと10分で伺います」。

忙しくてすごく焦っておられて、私の話がなかなか届かない

牛窓だと知られて「いつ帰られますか

今日も金融機関の方に「いつ帰られますか

たった30分ほどの距離ですが~。

でも、いつ帰るか。。。

食料が尽きたら。

母の面会が可能になったら。

いつかな~

やはりここはのんびりします。

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと271・°*

 

 

 

 

★致知一日一言【今日の言葉】2024.8.14

 

禅の泰斗・青山俊董師の言葉

 

天地総力をあげてのお働きをいただき、
生きている命にふさわしい、
今、ここの生き方をしたいと、
切に念ずることである
━━━━━━━━━━━━━━
青山俊董(愛知専門尼僧堂堂頭)
○月刊『致知』2024年9月号
連載「巻頭の言葉」【最新号】より
━━━━━━━━━━━━━━

『致知』の顔とも言える「巻頭の言葉」。

最新号の「巻頭の言葉」には
90歳を超えてもなお
仏道修行に打ち込む青山俊董師に
ご登場いただきました。

 

 

 

 

★致知出版社の「ご縁メール」


与えられた運命を生かす──95歳の名女将が語る〝不可能を可能に変えてきた道のり〟

 

=====================================
与えられた運命を生かす
──95歳の名女将が語る〝不可能を可能に変えてきた道のり〟。
佐藤幸子(かみのやま温泉 古窯 大女将)
=====================================
-----------------------------------------------------------------
創業73年、山形かみのやま温泉を代表する「日本の宿 古窯(こよう)」。
こだわり抜いた地元の食材を生かした郷土料理、
名峰・蔵王連峰を一望できる天空露天風呂、
心を込めたおもてなしなどが評価され、
「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」にて、
40年以上連続でトップ10を受賞している。

しかし、かつてはお金も水も電話もない、徒手空拳からの出発だったという。
幾多の苦労を乗り越え、不可能を可能に変えてきた創業者の佐藤幸子さんに、
これまでの歩みと共に、古窯73年の歴史を貫いてきた精神とは…。
------------------------------------------------------------------

誌面に紹介されている、佐藤さんの名言は、

「与えられた運命を生かす」

愚痴や文句や批判を言わず、辛い時も苦しい時も
その境遇を受け入れて、一所懸命やっていれば、
必ず助けてくださる人との出逢いに恵まれ、
よりよい方向へと発展していく。
不可能はないと思います

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母の容態(入院4日目)&昨夜のペルセウス座流星群 2024

2024年08月13日 21時33分30秒 | 自然

 昨夜はブログアップした後ペルセウス座流星群を観ながら寝ました。

西に浮かぶ月が綺麗でした。

一時間くらいで14個見ることが出来ました。

中には思わず拍手喝采してしまった大きくて長くて明るい流星もありました。

  街の灯り

お布団を窓側に敷いて夜空を眺めながら寝ました。

4時に目が覚めた時、15個目を見ました。

夜明け

 

この景色、見飽きません。

 

 

ユリが咲きました。

 

秋の雲みたいでしたが、日中は入道雲がモクモク。

 

 

小豆島の土庄と岡山港を結ぶフェリーかなと思います。

 

段ボールを開けていると大昔のこんなものを発見。

まだ乾燥せず使うことが出来ました。

潮の流れが綺麗です。

 

 

今日の果物

お昼ご飯はカレーとサラダ。

午後1時半頃、TV設定に来て下さいましたが、地デジだけがまだ映りません。

3時後頃、母の容態を聞きました。

血圧が入院して以来下がらないようで、点滴を同ドクターにお願いしようと思っていると言われていました.

あとは痰の量がやはり激しいようです。

 

 

 

間もなく9時半が来ます。

どこかで花火が上がっています。

眠くてうたた寝していました。

今夜も夜空を眺めながら寝ようと思っています。

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと272・°*

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.8.13

 

父母(ちちはは)もその父母もわが身なり
われを愛せよ我を敬セよ
━━━━━━━━━━━━━━
二宮尊徳(農政家)
〇月刊『致知』2007年10月号
特集「人生の大則」より
━━━━━━━━━━━━━━

●故郷でお盆休みを過ごされている方も
多いことでしょう。
私たちがいまこうして存在するのは
両親やご先祖様のおかげです。
この機会に、二宮尊徳のこの言葉を
噛み締めたいものだと思います。

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母の容態(入院3日目)&ペルセウス座流星群 2024

2024年08月12日 22時18分00秒 | 介護

 昨夜は眠くて窓を開けたまま寝てしまっていたところ、寒くて目が覚めました。

聞こえるのはツクツクボウシの鳴き声。

何日か前からはかなりの数のトンボが飛び始めています。

寒くてお布団をかき寄せましたが、ふと外を見ると朝焼け。

ちょうど5時15分頃でした。

それから準備して出かけたのでは日の出タイムにはもう間に合わないですので、今日はのんびり歩いてお散歩に行くことにしました。

やはりここには自然があります。

そよそよと風が木々を揺らし、緑の香りがして、やはり思い切って来て良かったと思いました。

まだTVを観ることが出来ず、今日はなぜか見逃し配信の「岡山ニュース」もないので、気温がわかりませんが、昨日の朝の岡山も涼しかったです。

立秋を過ぎたあたりから何気に秋の足音が聞こえて来始めた気がします。

 

まだ紫陽花が咲いていました。

 

 

 

 

この辺りには古墳が多くあります。

 

オリーブ園からの眺め

 

 

 

 

オリーブの樹々です。

 

 

女子達が朝陽をバックに写真を撮り、お弁当を広げて楽しそう。

 

  

反対の北側はパラグライダーのスポットでしたが、今は塩田跡にソーラーバッテリー。

 

獅子ゆず

とっても大きい。

 

この街は邑久

西大寺

 

こちらは四国の高松

ジャスミンに似た甘い香りのするこの木は「クサギ」。

葉っぱを触わると臭いそうで、又、体験してみようと思っています。

 

この夾竹桃の白い花はいつもよく見るお花と違って、もっと白くて何だかエレガント。

一重だからでしょうか

 

オリーブの実がたくさん生っています。

 

 

絵になります。

我が家の裏にユリが自生しています。

明日には咲くかな。

 

眺めがいいです。

気持ちが晴れます。

 

 

又、前方にクサギ発見

 

今日の果物

 

スマホ撮影

刻々と変わる海の景色

  

屋島もくっきりと。

1日飽きることなく眺めています。

 

 

 朝の9時半頃、ショート先からお電話が入っていました。

気が付きませんでしたので、ショートメッセージも入っていました。

「お母様、ご家族様の体調も大丈夫でしょうか?ご入院されたとお聞きしました。又、お電話させて頂きます」

11時過ぎに気が付いて返信しました。

その後、3時前にお電話があり、30分ほどお話しました。

「酸素濃度がどうだったのか聞いてみたら」と娘に言われていましたが、担当のドクターも医療施設ではないショート先では無理かもしれないと言われていましたし、私も多分そうかもしれないと思いつついましたが、尋ねるだけ尋ねてみました。

朝一番に計っておられるそうでした。

そして、帰宅する日の朝は95%だったと言われましたが、その後、看護師さんに代わられ、詳しくお話して下さいました。

何と母は89~91%あたりだったようです。

吸痰すると94%。

でも、食後は又下がって90%になったり。

本人が大丈夫と言ったそうで、まわりも大丈夫そうと判断したようです。

私も娘と話をしていて初めて知ったのですが(ネットで調べたところ、NHKでも取り上げられてました)、「患者の中には肺炎が悪化し、血液中の酸素の状態が悪くなっても、息苦しさを感じないケースが報告されています。これはHappy Hypoxia(ハッピー・ハイポキシア)=「幸せな低酸素症」と呼ばれています。」

母はこれだったのかもしれないと思いました。

普段の母の酸素濃度は大抵悪くても98%。

私も訪看さんも出ない100%が出ることもしょっちゅうでした。

昔結核も煩っていますし、94を切ったら連絡するようにいつも言われていました。

介護ノートには毎日3回の酸素濃度を書いていますが、施設側がいちいち見られないでしょうし、こういった情報は共有されないのでしょうか。

あとで、看護師さんと話した時、母でなくても施設での数値は明らかに低過ぎます。

情報共有について、施設としてはお薬やドクターの往診を待っておられたそうで(看護師さんがショート先に医療が行けないと言われていましたが・・・こんな矛盾が国の制度の中にはいっぱいあります。命に関わるのに)、ショート先に来られなかったので、自宅で待機されているものと思われたようです。

しかし、医療側はドクターも担当看護師さんもお休みでしたし、「そんなに悪いと聞いていなかった」ということで訪問も組んでおられず、その日の訪問はもう手いっぱいと最初言われました。

コロナだけど、そんなに悪いと聞いていなかったので・・・ということのようです。

昨日のお電話の時、ドクターは「お薬まだですか?くらいは外来に電話してくれてもいいよ」と言われていましたが、他のブロ友さんのお話ではドクターとダイレクトにお話が出来るようですし、同じく24時間対応なのに、我が家はその恩恵をなかなか受けられません。

医療サイドはやはりケアマネさんがすべき仕事をしていないと何回かおっしゃっていましたが・・・

確かに今回もお電話なし。

でも、多分それは休み明けの明日13日になれば病院の地域連携の窓口開くからということで待っておられるのでしょう。

ドクターは施設にお電話なさらなかったのかお聞きしたら1度、コロナになったあとであったそうです。

昨日のドクターからのお電話の時に「今回、私的には随分とがんばったつもりだったんだけどな」とぽつりと言われた言葉。

気になっていましたので、ショートとの電話のあとで、看護師さんとお話した時、お聞きしてみたら「先生は本当に今回、ケアマネさんと連絡を取ろうとかなり努力されていたんですよ」と言われていました。

なんか連携がうまく行っていない。。。

そう感じたのは、このショートとの電話のあとで、やはり母の容態が気になって入院先に電話をしてみたのです。

嬉しいことに母の酸素量は昨日の1Lから10時半にオフになったとのこと。

お熱も36℃台。

(昨日は下がったとは言われましたが、37℃少々あったと言われたように思います。)

でも、痰は出ていてまだゴロゴロ。

これは唾液だけではなくお聞きしたらやはりまだ粘りのある痰が混じっているようです。

全身の様子というかバイタルはどうなのかお聞きしたら、血圧が昨夜から160~200あり、今日もまだ160と言われましたので、家での状態が当てはまるかどうかわかりませんでしたが家でのパーキンソンによる血圧の乱高下についてお話したところ(だからお薬も出ていない)、看護師さんの声が明るくなって「そうでしたか。お聞きして本当に良かったです。」と言われました。

母は個室ということもあり寝ている時間が多いそうです。

ここで、又、思いました。

こういう情報って行かないの

担当のドクターは救急搬送される時、お休みでしたので、他のドクターがひとまずファックスして下さったようです。

その後、どうなっているのかはわかりません。

看護師さんにはショート先が言われたこと等もお話ししました。

誰が悪いとかではなく、とにかく、情報の共有が出来ていないといつも思ってきましたが、ここに及んで顕著に現れた気がします。

なぜいつも私があちらこちらに電話しないといけないのだろうと思います。

窓口を1つにしてほしい。

緊急の時、何軒も掛けることは出来ません。

 

 

娘が大切なのは「納得」だから、前から言っているように担当を替えてもらってもいいのだと言っていましたが・・・。

今後もこうだと本当に困ります。

 

 

皆が一生懸命して下さっているのはわかります。

命に限りがあることもわかっています。

どんなにしたとしても後悔が残ることもわかります。

ただ、母を見送る時に無事に安心のうちに幸せに送り出したい。

皆と「辛いけど、良かったね」と言いたい。

 

 

その為には今のままではダメな気がします。

皆がバラバラ。

母の介護ノートは「チーム〇〇ちゃん」なのに。

 

 

とにかく、今は母にがんばってもらいたい。

それが母の望みだと思います。

病院で死にたくもないはず。

看護師さんが言われていました。

「先生も、何としてでも100歳までは・・・」と言われたそうです。

それ以上はどうでもいいわけではなく、又、0からの新しいスタートです。

時々、心配になりますが、気分を変えて前向きに祈っています。

 

 

 

 今夜はお部屋の窓からペルセウス座流星群を観たいと思います。

「2024年のペルセウス座流星群の活動は、8月12日23時頃に極大となることが予想されています。このため、12日深夜から13日未明にかけて、多くの流星が見られそうです。」(ネットより)

昔、オリーブ園の広場で家族6人で寝転んで観たことがあります。

あの時はすごかった

30分で何十個も見えました。

 

 

 

 もうひとつのニュース

これを読んで、今日は心を立て直しました。

 

 

男性は72.6歳、女性は75.3歳でやってくる…和田秀樹「ヨボヨボ老人と元気ハツラツ老人」を分ける決定的違い


8/10(土) 15:17配信

 

プレジデントオンライン

 

■マイナス思考に陥りそうになったとき“つぶやくべき言葉”

頭や体を使わなかったときの機能低下は、高齢になるほど激しくなります。

寝込むようなことがなくても、コロナ自粛のように活動的でない生活が長く続くと、足腰がかなり弱って、認知症も悪化してしまう。

それほど高齢者にとって、脳機能、運動機能を維持するためには「使い続ける」ということが重要なのです。

とにかく動く、とにかく頭を使う。身体と頭を使い続けることを心がけてください。使えば使っただけ、老化を遅らせることが可能です。

逆に、体が動かないとき、体調がすぐれないときに「もうだめだ」と落ち込むと、いよいよ体や脳の老化を速めます。

マイナス思考に陥りそうになったときは、「なんとかなるさ」とつぶやいてみるといいでしょう。たったこれだけのことですが、脳内にドーパミンという「やる気ホルモン」が出ます。

脳は思いのほか単純にできていて、自分の言葉を信じる性質があるため「なんとかしよう」と奮起して、意欲が高まるのです。だまされたと思ってやってみてください。

 

----------
和田 秀樹(わだ・ひでき)
精神科医
1960年、大阪市生まれ。精神科医。東京大学医学部卒。ルネクリニック東京院院長、一橋大学経済学部・東京医科歯科大学非常勤講師。2022年3月発売の『80歳の壁』が2022年トーハン・日販年間総合ベストセラー1位に。メルマガ 和田秀樹の「テレビでもラジオでも言えないわたしの本音」
----------

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと273・°*

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.8.12

 

〝法隆寺の鬼〟に仕えた宮大工の言葉

 

師と自分が一体になり切って
しまうところまでいかなければ、
本当の修行ではないし、
弟子ではない
━━━━━━━━━━━━━━
小川三夫(鵤工舎 総棟梁)
○月刊『致知』2024年9月号
特集「貫くものを」【最新号】より
━━━━━━━━━━━━━━

法隆寺の鬼と称された
伝説の宮大工・西岡常一さん。
本日ご紹介するのは、その唯一の
内弟子である小川三夫さんの言葉です。

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母の容態(入院2日目)&慌ただしかったですが、牛窓へ

2024年08月11日 23時31分30秒 | 家族

 今日も暑かったです。(36.5℃)

家の中に居ても暑くて(密閉性がないのでエアコンが~)、あるいはストレスで頭痛がしました。

でも、今朝は少し涼しかったので、お散歩に。

夕方の天気予報を見るとやはり、今日の最低気温は22.9℃だったようです。

 

 

今日は久し振りに公園をぐるっと歩きました。

 

 

我が家のお花

 

 

母のことが気になって頭から離れませんが、花がら摘み。

 

 

少しでも頭から離れる瞬間です。

 

 

「サムライ」の蕾

西側の朝顔が7輪咲いていました。

今日の果物

バナナがまだ残っているはずでしたが、ない。

夕方になって、昨日、バッグに入れて病院に行ったことを思い出しました。

 

 今日は電話が鳴る度にドキッとしつつ過ごしましたが、掛かってくる電話も多く、又、掛けることも多くて、一日中慌ただしかったです。

一番最初は7時過ぎに娘一家がWhatsAppから連絡してきました。

最初は孫達があれこれ言うのでお話。

上の女の子はマニキュアと色の付くニベアのリップを買ってもらったので嬉しかったようで付けて見せてくれました。

下の子はイタリア語の宿題「おじいちゃんやおばあちゃんにイタリア語でインタビューしよう」はまだ出ていないようでしたが、イタリア語で話していました。

やっぱり、さっぱりわからない

でも、まだ宿題は正式に出ていないようですので、がんばります

お婿ちゃんとも少し話をしましたが、今日は主に娘と。

最初はおばあちゃんのこと。

血液データについて説明してくれたので、今後怒るかもしれないことがよくわかりました。

その後話は多岐に亘り、介護や私達の親子関係や私の終の棲家や。。。

結局、普段話をする時間がない分、今日はまとめて一気に話したという感じで、気が付いたらもう11時過ぎ。

4時間も

娘曰く、全般的にみて「ミスコミュニケーションだね」

コミュニケーションが取れないなら尚のこと努力しないといけないと言われました。

又、なぜ、金曜日に待つばかりして、医師に母の薬はどうなったのかを聞かなかったのかと。

途中で看護師さんが心配してお電話を下さり、スマホを通して3人で話をしました。

「昨日はお休みだったのでごめんなさいね。ケアマネさんからそんなに悪いとは聞いていなかったので・・・」

この時の会話を看護師さんが母の担当のドクターに話されたようで、夕方、お電話がありました。

「今回は大変だったみたいで。。。ごめんね」

そして、母がショートから帰ってからの状況を聞かれました。

ドクターとしては薬を待つように言われた記憶がないようでした。

お薬が大粒なので、施設で飲ませるのも大変だし、家でも大変だし、二番手の薬はあまり効果がないので、次の手段としては点滴かなと考えておられたようでした。

そこで終わっていたそうです。

今回、ドクターとしてはコミュニケーション不足(皆が情報を共有出来ていない)なので、ご自分としては「今回はかなりがんばったんだけどな」と言われていましたが、ドクターの努力がないとかでは全然なくて、どのことについて言われているのかがよくわかりませんでした。(ごめんなさい

でも、「普通はケアマネさんが皆を束ねる役をされるんだけど」とは言われていました。

 続いて、昨日お世話になったヘルパーさんも心配をしてお電話を下さいました。

「あんな状況で帰すなんてマジおかしい」と又怒って下さっていました。

が、母が悪い状態だと気が付かれないままショート先に居るよりも、返って帰宅させてくれて良かったと私は思いました。

 そんなこんなで時間が過ぎて、3時前になった時、昨日の今日だからやっぱり心配

電話で容態を聞いてもいいのではなかと思いました。

あとで後悔もしなくなかったですし。

そこで、お電話をしてみたところ、丁寧に説明して下さいました。

酸素は6Lから1Lになっていました。

良かった~。

まだゴロゴロとは言っているようですが。

かなり吸痰をして下さっているようでした。

ですから、傷ついて血が少し出ているようです。

でも、落ち着いてはいるようなので、本当に安堵しました。

 娘と話している時「当分、牛窓には行けないわ」と言うと「なぜ

 なぜ

だって、何かがあったらすぐに行かないといけないから。

でも、娘曰く、飛行機に乗って連絡がつかないわけでもなく、県外にいるわけでもなく、岡山市のはずれに近い場所にいるわけで、30分以内にいるわけだからと。

牛窓の方が涼しいだろうし、気分転換になると考えて勧めてくれました。

「頭が痛いなら薬でも飲んで行ったら

なるほど。。。

・・・と言うことで、今、牛窓に居ます。

途中で三頭の鹿に遭いました

山の中の道路を横切っていました。

写真を撮りたかったですが、カメラが手元になくて残念。

いつだったか、祖谷に行く途中でナビに従ったら四国山脈に入ってしまったことがありましたが、その時も野生の鹿に遭いました。

 

 

 

 病院で母の様子を聞いた後、皆さんが心配されていると思い、まず訪看さんに電話をしました。

その次にケアマネさん。

お電話はなかったですが、お伝えしておいた方がいいと思いショートメッセージを送りました。

ケアマネさんはいつも電話ではなくショートメッセージを使われます。

 

 

 

 担当のドクターが最後に「娘さんに説明しましょうか」と言われました。

「いえいえ、大丈夫です。それに海外ですし」

「そう でも一応。。。」

と言われたので、電話番号を言うと、

「え

ですから、先生、海外ですってば~

「本当に通じるのかな」

私は急いで娘に伝えました。

その後、娘から電話があり「お電話があったよ。なぜ私に

「それは看護師さんが言われたのではないの

(この2人、過去にも2回ほど話したことがあります。)

WhatsAppからの電話が車に掛かってきたのでびっくりしました

25分位又、話したので、牛窓の家に到着してしまいました。

「じゃあ、楽しんで

子供達とは反抗期などもあってなかなか大変な時期もあり、ある意味今も大変なのですが、今日はいろいろ話が出来てわだかまりも大分無くなった気がします。

今日、娘と話していて面白かったのはドクターが木曜日のこと「今、どこですか 今日帰って来ておいて下さい」とおっしゃったという話をした時、日本人はよく「今どこ」って聞くよねと。

職場でもよく「先生、今、どこですか」と聞かれたそうです。

いつでも駆け付けられるところにいるのに、どこにいるかがそんなに重要

で、「そんなに知りたい じゃあ言うよ。今、おトイレ」

「探しに来たい入口から3番目よ」

 

 

 

 牛窓はやはり涼しいです。

エアコンを付けてみましたが寒くなって、温か~いお風呂で長湯してしまいました。

 

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと274・°*

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.8.11

 

歌舞伎俳優が語る稽古の心得

 

一所懸命になっている時って
苦を忘れるんですよね。
苦を忘れるために夢中になる。
そうなれば夢の中ということです
━━━━━━━━━━━━━━
坂東玉三郎(歌舞伎俳優)
○月刊『致知』2014年8月号
特集「一刹那正念場」より
━━━━━━━━━━━━━━

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入院と覚悟

2024年08月10日 23時44分15秒 | 介護

 母が又、入院になりました。

やっと家に帰って来たのに、滞在時間はわずか1時間。

 

 

 頭を整理し落ち着くのに時間がかかりますが・・・

今日の午後3時20分、予定より10分早く母が帰って来ました。

送って下さった方の話ではお熱もなく咳もなく。

ただ痰が激しいので看護師さんが何度も吸痰をして下さったと言われました。

それから、母を降ろして下さってベッドへ。

そして、その方は帰られました。

母を見ると車椅子で部屋に入る時から喘鳴があり、肩で息をしていて苦しそうでした。

そして、痰がひっきりなしに出るのでそれを取り除かないといけないので、なかなか手が離せないという感じでした。

何か飲む

何か食べる

いつものように尋ねましたが、これは吸痰のことを看護師さんに言わないといけないと思いました。

来て頂いて吸痰して頂かないとと思い、担当の方に電話をしたところ、又、母の喘鳴も聞いてもらいましたが、今日はお休みとのこと。

そして、今日は訪問を予定していないので、他の人も手いっぱいで行けるかどうかと言われました。

熱は帰って来る前、36.5℃だったようです。

それを伝え、酸素濃度を測ると、指によって出ないこともあるのですが、83、84、90%。

それを看護師さんに伝えたところ、今日の担当の看護師に伝えておきますと言われました。

今、スマホを見るとこの時15時28分。

母を降ろしたりする時間もかかっていますので、ほぼほぼ帰宅後すぐに電話をしたことになります。

その後、痰を除きつつ、エンシュアや麦茶を用意し、ぼた餅も食べると言いますので準備をしました。

でも、どう見ても肩で息をしていますので、これは喘息だと思い、もうお休み中の看護師さんには電話をしないで、訪問看護ステーションに電話をしたとこと(この時3時48分)、2番めの担当の看護師さんが出られて「今、聞きました」と言われましたので、「これ、喘息の発作です」と言い、又、酸素の値を言いました。

「今日は担当医が休みだけど、出ている医師に電話で聞いてみます」

その後、私はメプチンミニで吸入しました。

母は少しずつ息が楽になったようでした。

目が開いてくるくるしていました。

3時55分、今日の担当医から電話があり、「〇〇病院が受け入れてくれるかどうかわからないけど、これから電話してみます。その後娘さんが連れて行かれますか?救急車を呼びますか

車椅子が乗らないですし、それ以前に車まで母を連れて行けると思われたのか

10分後の4時05分、再び看護師さんから電話があり、「受け入れてくれることになったので、ファックスを送ってあるから、救急車を呼んで行って下さい」

多分、この10分間の間に、かなり私も動揺していた時、日に3度来て下さると言われたヘルパーステーションの社長さんからお電話がありました。

「まだ1時間早いけれども行きましょうか」

あ~、もう天の助けだと思いました。

今、見たら4時03分でした。

事情を説明して「来て下さい」とお願いしました。

「近くにいるから10分で行きますから」

彼は見るなり「これはすぐに救急車を呼んだ方がいい。よくもまあ、こんな状態で帰したな

救急車を呼び、途中で代って又事情を説明して下さいました。

又、母を落ち着かせ、私には行く準備(持ち物・保険証その他とお金と、窓閉めなど)を自分がいるからするように言われました。

救急車到着と同時に邪魔になるから自分は帰るからと言われ、「車で行った方が便利だから」と言われました。

この方とは本当によほどご縁があるのか、いつもこういう時必ずこの方なのです。

 救急車が到着し、暑い中、母もしんどかったと思いますが病院へ。

その後、待合室でかなり待ちました。

血液検査や肺のレントゲンも撮られたようでした。

ドクターのお話によると今、酸素を6Lも入れて92%と言われました。

今後の方針として

①コロナは抗ウイルス薬+血栓対策

血液サラサラの薬も出したいが出血傾向になることもあり。

②抗生剤

尿路感染と肺炎

腎臓がかなり弱っていて、なぜこんなになるまでという感じでした。

とにかく炎症反応もかなり高いと言われました。

でも、出来ることが限られる。

とにかく体力的に持つかどうか。

覚悟は決めておいて下さいと言われました。

「3年前ならベッドを若い人に譲ってと言って帰されたところです。今はそんなことはないですけどね」

今後の急変をお聞きしたら、今がすでに急変状態で、いつ死んでもおかしくないと言われました。

コロナ重症化予防の薬をもっと早く飲んでいたら違がったかもしれないですかと伺うとそうかもしれないとのことでしたが、昨日一日待ちましたがドクターからは連絡がなく、施設に聞いても「症状が出ていないからドクターも安心されているのではないですか

今日のかかりつけのクリニックのドクターに電話で説明する時この薬の話も出たのでしたところ

「それは施設にいる間は飲めないんですよ」

「でも、○○先生は木曜日にとにかく帰って来て下さい。施設には薬局ではダメで家族が持って行かないといけないから。連絡します」

この話は施設との話の中でも出て「薬局が持ってくるのではないですか」と言われたので「いえ、ドクターがこれは薬局ではダメなので帰って来て下さいと言われたんです」と答えました。

もっとも帰って下さいと言われなくてもすでに帰宅の準備はしていました。

 

 

 

 救急車の後から運転して行っている時、444が見えました。

どこで見たのか今ではわからないですが、444。

これは、天使がそばにいるよというサインだったと思い、不安な心が少し落ち着きました。

 

 

 

 先生が説明して下さっている時「もう年齢が年齢」とか「今が最悪でいつ死んでもおかしくない」とか「覚悟をしておいて下さい」等などの言葉、あとで知ったのですが、少し離れた場所にパーテンションで仕切られて母が酸素吸入を受けていました。

母に聞こえたのではないかと、母は大丈夫かと心配になりました。

その後、母のところに行ったのですが、ドクターが言われたように酸素マスクを外そうとばかりしました。

身体拘束を嫌がるのでその点をお聞きしたところ、「マスクを外さないでねのミトン等、ゆるやかな拘束はします」と言われました。

でも、このマスクは外来用なので、病棟に上がったらもっとフィットしたものに替えてくれるはずだと言われました。

 

 

 7時、母と病棟に上がりました。

母は501号室のようでしたが、私はもうそちらへは行くことは出来ません。

ずっと母の手を撫でていましたが、母は不安なのでしょう。

別れる時には手を出して「行かないで」という感じでした。

母にはここで治療を受けたら良くなるし、ここの気温は調節されているから身体に負担も少ない。

多くの人が祈ってくれているから大丈夫よと言いました。

 

 

 

 その後、私は多くの書類を書きました。

書き終わった時8時を過ぎていました。

看護師さんに伺うと「今は落ち着いています」

 

 

 救急の待合室で待っている時、友人にずっと話を聞いてもらいました(グループラインで)

いつかは人は死にます。

でも、今、こんな形でなのという思い。

もっとあの時こうしていてくれたら・・・と。

皆、言い訳(言い訳では本当のことと言われるかもしれませんが)ばかり。

それで人を納得させて、それで後悔は残らない対応だったのかなと思いました。

誰も責めなくても、誰も知らなくても、「天知る、地知る、己知る」

自分を騙すことは出来ません。

これは自分にも言っています。

皆さん、それぞれが一生懸命になさって下さったに違いありませんが、やはり至らなくても家族が(この場合は私が)母のことを一番想っています。

家族で介護出来たらどんなにいいかと思います。

それが出来ないのですから仕方がありません。

でも、まだこれが母が持って生まれた運命だとか、言いたくありません。

ましてや他人に不用意に言われたくないです。

例えそうであっても、母も私も決して満足はないのかもしれませんが、やはり一生懸命がんばっているのです。

これが寿命だったんだわ、決めて来た人生だったんだねは、家族が言う言葉であって他人には言われたくないのです。

いくつになっても元気でいてほしい、家族はそう願っているからです。

友人達に話して、泣いたら少しすっきりしました。

 

書類を書いている時の窓から

 

 

 

 今日は母が帰ってくるということで、最終チェックなどしていました。

ネットによりますと・・・

ご家族に新型コロナウイルスの感染が疑われる人(以下、感染者)がいる場合、同居のご家族は以下の点に注意してください。
1.感染者と他の同居者の部屋を可能な限り分ける
2.感染者の世話をする人は、できるだけ限られた方(一人が望ましい)にする
3.できるだけ全員がマスクを使用する
4.小まめにうがい・手洗いをする
5.日中はできるだけ換気をする。
6.取っ手、ノブなどの共用する部分を消毒する
7.汚れたリネン、衣服を洗濯する
8.ゴミは密閉して捨てる
その上で、外出する場合は、「陽性者との最終接触」または「感染対策を実施した日」を0日とし、特に5日間はご自身の体調に注意してください。7日目までは発症する可能性があります。こうした間は、手洗い等の手指衛生や換気等の基本的感染対策のほか、不織布マスクの着用や高齢者等ハイリスク者と接触を控える等の配慮をお願いします。

 

 

朝、撮った写真をアップします。

 

  

 

今日も南側の朝顔は咲かず。

西側の朝顔は3輪。

キャベツが小さいですが結球していました。

そして、今日の果物

 

 私は多分、読むこと書くことが好きなのだろうと思います。

こうして結果的には記録を残しているわけですが、書いている間に頭が整理されて落ち着いてきます。

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと275・°*

 

 

 

 

 

★致知一日一言【今日の言葉】2024.8.10

 

『国語に強くなる音読ドリル』

 

幼い頃に培った国語力は
人生を支える土台になる
━━━━━━━━━━━━━━
小泉敏男(東京いずみ幼稚園園長)
〇月刊『致知』2023年7月号
特集「学を為す 故に書を読む」より
━━━━━━━━━━━━━━

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自宅で介護に

2024年08月09日 21時48分00秒 | 介護

 朝、晴れていましたが、午後2時過ぎからすごい雷と雨が激しくて一時期怖いくらいでした。

まさに真上って感じでした。

お陰で水遣りをしなくていいので助かります。

今日の最高気温は37℃だったようですが、雷雨の後かなり気温が下がりました。

でも、湿度は高くてムシムシ。

最低気温は26.2℃だったようです。

ちなみに牛窓は23.9℃。

これは平地でしょうから山の上の方はもう少し気温が低かったことと思います。

 

 

 

 今日は家で待機していましたが、母に重症化を防ぐお薬を持っていくお話はありませんでした。

午前中は今後の母のことについてひっきりなしの電話でした。

夕方の時点で、母に症状は出ていないようです。

ただ、不調のようで、パーキンソン病の悪化で口の筋肉が使えず、飲ませてもだらだらと流れる状況のようです。

これは家でも最近そうですので特にコロナが原因ではないと思います。

 又、ショートステイ先での滞在は無理とのことです。

お盆なのでベッドがないそうです。

「お盆のキャンセルはまずないです」とのこと。

又、「うちが悪いのですが、出来ることはもう十分させて頂きましたので、あとはご家族様でがんばって頂きたいと思います。又、今後もコロナはもう防ぎようがありませんので、それをご承知の上でのご利用をお願いします」

母は明日、午後3時30分の送りだそうです。

 今日はケアマネさんががんばって下さいました。

現在、ヘルパーステーションは2社入って下さっていますが、全国ネットの1社は「コロナだと対応出来ません」と言われたそうですが、もう1社は「短い時間にはなるけれど対応します」と言って下さいました。

普段は30分ですが、もう最低限のことだけ。

でも、ありがたいことに朝昼晩と覗いて下さいます。

ここの社長さんは若い男の子で・・・と言ってももう結婚してお子さんも3人おられますが・・・以前にも書きましたが「生まれ変わってもヘルパーになりたい」と言われた方です。

倉敷から来られますので時折朝一の我が家は寝坊されることがありますが、何か異常を見つけて下さったり訪問看護に代わって連絡をして下さったりするのはいつもこの方です。

いつぞやは看護師さんが決断出来ずにおられた時「もう救急車を呼びましょう」と言われてテキパキ。

この時はどんどん熱が上がった腎盂炎だった気がします。

即、入院でした。

・・・と、こういう心強い助っ人が来て下さり(日曜日の夜だけは✖)、それから訪問看護ステーションの看護師さんがバイタルチェックの為に日曜日から午後4時に来て下さることになりました。

隔離期間はコロナがわかった昨日の8月8日(木)から8月15日(木)のようです。

その後はいつものパターンに戻りますので、自宅で過ごします。

トータルで9日間。

何としてでも、がんばらないといけません。

私が罹患しないようにそれ用のエプロンを購入したり消毒用品などを夕方買いに行きました。

友人が困った場合はお買い物に行ってくれるそうですし、ネットスーパーに申し込んでいますので、多分、食料品のお買い物ははそれで何とかなると思います。

 

 

 

 母に長いこと会っていませんし、これで良かったかなと思います。

病気の時は特に不安でしょうし、家の方がいいでしょう。

私が煮詰まって、後悔して、母に謝って、泣いて、又、立ち上がるといういつものパターンを繰り返すかもしれませんが~~~

 

 

 

 今朝、お散歩に行く前

水遣りを頼んでいた方が枯れた鉢に(もう元々枯れる時期だった)お花を植えて下さっていました。

朝顔は南側はもう終わってしまった

蕾も付いていません。

肥料をやって土を少し増したら復活するかも

西側は6輪咲いていました。

 

  

 

公園を通って、教会経由、おみかんの成長具合を見て

 

ご近所のお花

ユリが綺麗

 

我が家のペチュニア

 

 

2苗、日々草が入っていました。

 

八重のジャスミンは健在。

変わらず咲き続けてくれていました。

 

バラも咲いていましたが、枯れていないのはこの2つ。

「ステファニー・ドゥ・モナコ」と「パパメイアン」

 

トマトの収穫をしました。

収穫して下さったら良かったのに・・・。

トマトはお嫌いだったのかも。

今日の果物

頂いたぶどうを牛窓に持って行くのを忘れていました。

 

 

 先程、Rちゃんから電話がありました。

時々寄ってくれています。

最近も2回来てくれたようですが、お客さんだったみたいだから黙って帰ったと言っていました。

Rちゃんは自宅の返すなんておかしいと言って怒っていました

「お母さん、何かあったらいつでも電話下さい。Rちゃんは又寄りますね~」

本当にありがたいです

 

 

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと276・°*

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.8.9

 

101歳、長崎で被爆した吉村光子さんの生き方

 

どんな艱難辛苦に遭っても悲観せず、
上を向いて歩く。
これを自分の人生の誓いとして心懸け、
実践してきました
━━━━━━━━━━━━━━
吉村光子
(長崎で被爆した101歳の女性)
○月刊『致知』2023年8月号
特集「悲愁を越えて」より
━━━━━━━━━━━━━━

●22歳の時に長崎で被爆し、
九死に一生を得た吉村光子さん。
101年の人生は、
まさに悲愁を越えた歩みでした。
そのロングインタビューは
致知電子版でお読みいただけます。
こちらから

 

 

 

 

 

★致知出版社の「ご縁メール」

 

はなちゃんのみそ汁【父は娘をこう育てた】

 

最新号の9月号で紹介されている感動実話。

=====================================
はなちゃんのみそ汁【父は娘をこう育てた】
安武信吾(映像作家)
=====================================
若くして亡くなった母親との約束を守り、
台所に立ってみそ汁をつくり続けた五歳の
はなさんの実話はテレビドラマにもなり、
日本中を大きな感動で包みました。
そのはなさんも現在21歳。
父・安武信吾(やすたけ・しんご)さんと、
はなさんの二人三脚の歩みに家族の絆の大切さを教えられます。

母親をがんで失ったのは、はなちゃんが5歳の時でした。
母親の死を受け入れることの出来ない父親が、
毎晩遺影の前で泣き続ける背中を見て、
「お父さんに笑ってもらいたいから」
と、母親に教えてもらったみそ汁を毎朝つくり続けたはなちゃん。
亡き母が教えてくれた幸せのあり方とは・・・

-----------------------------------------------------------------

 

 

 

 

 

 

★バラ十字会メールマガジン(毎週金曜日配信)

 

【フランス代表のブログより】ウォーキズムとは? ポリティカル・コレクトネスとは?


バラ十字会日本本部AMORC


【ぜひお友達にもこのメルマガを教えてあげてください】⇒

 

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1140381&c=3304&d=ed84

 

こんにちは、バラ十字会の本庄です。



━…………………━

文章を以下に転載していますが、公式ブログは読みやすい活字で表示され、内容をより深く理解するための写真が挿入されていますので、下記のリンクをクリックしてお読みください。

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1140382&c=3304&d=ed84

(ポリティカル・コレクトネスとウォーキズムとキャンセル・カルチャーについて解説)

━…………………━


昨日は宮崎で地震があり、気象庁から巨大地震注意が出されましたね。

私の友人の間でも、防災グッズのことが話題になっています。


そちらでは、いかがでしょうか。



スチュワード、スチュワーデスという言葉が使われなくなり、フライト・アテンダントという呼び方になってから、もうずいぶんと年月が経ちました。

私は知らなかったのですが、母子手帳を親子手帳と呼ぶ自治体があったり、クレヨンの「肌色」が「うすだいだい」に変更されていたりするそうです。


これらの言い換えには、ポリティカル・コレクトネスが関連しています。



◆ ポリティカル・コレクトネス(political correctness)とは

ポリティカル・コレクトネスは「政治的妥当性」などと訳されますが、この訳語だけでは意味がほとんど理解できないのではないでしょうか。



ウィキペディアによれば、ポリティカル・コレクトネスとは、

「社会の特定のグループのメンバーに不快感や不利益を与えないように意図された政策(または対策)などを表す言葉の総称であり、人種、信条、性別、体型などの違いによる偏見や差別を含まない中立的な表現や用語を使用することを指す」とのことです(*1)。



コリンズ英英辞典によれば、

「不利な境遇にあったり、性的アイデンティティー、性別、人種、ハンディーキャップなどが理由で不平等な扱いを受けてきた、社会のいかなるグループの人々に対しても、気分を害したり怒らせたりしないように極端に注意する態度、もしくは政策」とされています(*2)。



言葉の言い換え以外の具体例としては、たとえば、最近のディズニーのアニメーションの登場人物には、さまざまな人種の人が含まれるように細心の注意が払われています。


◆       ウォーキズム(wokeism)とは

これから話題にするウォーキズム(wokeism)は、「目覚める」を意味する英語の動詞「wake」の過去分詞「woke」から生じています。


ポリティカル・コレクトネスと似た意味の言葉ですが批判的な意味が込められています。

ウィキペディアによれば「ウォーク」(woke)とは「人種的偏見と差別に対する警告を意味する英語の形容詞」であり(*3)、


コリンズ英英辞典によれば、

「社会的不平等もしくは政治的不平等に強い関心がある人々が、その傾向があまりにも極端であり、社会に強い影響を持っている場合、ウォーキズム(wokeism)もしくはウォーケリー(wokery)と呼ばれる。(批判的用語)」とのことです(*4)。


◆ キャンセル・カルチャー(cancel culture)とは

キャンセル・カルチャーも上記の2つに関連しています。

この場合のカルチャーは本来の意味の文化ではなく、日本語で「若者文化」と言う場合と同じように、特定の集団の行動の傾向を指します。



ウィキペディアによればキャンセル・カルチャーとは、「容認されない言動を行ったとみなされた個人が排斥・追放されたり解雇されたりする文化的現象」(*5)であり、


コリンズ英英辞典には、「キャンセル・カルチャーとは、文化、特にソーシャルメディア上の文化であり、ある人が誰かに批判されたことに触発されて、その人を支持することを止めること」とあります(*6)。



ソーシャルメディア上で炎上を起こさないため、あるいは論争に不必要に巻き込まれたりしないためにも、これらの用語の意味や、その背後にある考え方を知っておくことが役に立つと思います。

そこで、多様な意見や微妙な論点が多く、政治的な含みも多い事柄ですが、あえて取り上げてみました。

下記の文章は、当会(バラ十字会AMORC)のフランス代表が、自身の人気ブログに書いた「ウォーキズム」についての文章の翻訳です。

▽ ▽ ▽

◆ 記事:『ウォーキズムについて』

・ ウォーキズム(wokeism)とは

最近インターネットでも他のさまざまなメディアでも、ウォーキズムについてたびたび目にするようになりました。

ウォーキズムという言葉は「気づいている」ことを意味する「ウォーク」(woke)に由来し、「目覚めの運動」を意味します。


さらに具体的に言えば、不正義、不平等、人種差別、その他の差別、外国人・同性愛者・性同一障害やトランスジェンダーの人に対する偏見や差別などに警鐘を発する運動のことです。

この運動は米国で2000年代の初期に生じました。

もともとそれは、人種差別や社会的不平等と闘うアフリカ系米国人によって主に行われた運動であり、彼らの置かれた状況から考えると、当然理解されるべき運動です。


・ ウォーキズムの広まり

ウォーキズムは米国で出現した後に、特にインターネットの影響で、世界中に広まり発展しました。

今日ではヨーロッパで特に活発であり、数多くの影響力のあるウォーキズムのネットワークが生じています。


一般的な傾向として、多数派の人たちから自分たちが誤解されている、あるいは良く理解されていないと考える少数派の人たちは、団結して自分たちの考えや主張する権利を守るために積極的に活動します。

このような取り組みは、寛容の精神と広い視野をもって行われる限り、尊重されるべきだということは大切な原則です。


・ ウォーキズムのセクト主義に陥る傾向

あらゆる種類の不平等、不公正、差別、迫害に対して抗議を行うのは正当なことですが、ウォーキズムに関わる人たちの中には、セクト主義的(訳注)であったり、不平等や差別を非難するやり方が、頑固なまでに非妥協的であったりする人が少なくないように私には思えます。

訳注:セクト主義的(sectarian):所属する宗教もしくは政治集団を強く支持し、多くの場合に他の集団との争いに関わる傾向があること。


これらの人たちは、自分たちと主張や見解を共有しない人々に対して不寛容であるように私は感じることがあります。


彼らのSNS上での表現の方法がそれを示しており、正義を自分たちだけが独占し、他の人々に自分たちの視点を押しつけることを望んでいる印象があります。



・ キャンセル・カルチャー

多くの社会学者の意見によればウォーキズムは、特定の主義に偏った排他的なイデオロギーにあたり、「キャンセル・カルチャー」と深く関連しています。

キャンセル・カルチャーとは「消去のカルチャー」すなわち「あるものを消し去ろうとする特定集団の行動」を意味します。

このような行動としては、著者や作者の言葉、人格、人生が非難に値するという口実によって、芸術作品や彫像、著作などを攻撃することが挙げられます。



もしその怒りに正当な根拠があるのであれば、これらの人が芸術作品や彫像や著作などを「ボイコット」する際には、その理由を裏付ける論拠をきちんと示す説明がなされるべきです。


・ 寛容な態度で、自分の考えを表明すること

ご理解いただけていることと思いますが、私はウォーキズムを高く評価していません。

なぜなら、それはあまりにもしばしば、ある種の修正主義に似ているからです。


さらに言えば、ウォーキズムの信奉者が熱狂的に擁護している主張のいくつかに私は同意することができません。

彼らはまるで、自分たちのように考え生きることが最善であり社会的規範になるべきだと考えているかのように行動する傾向があります。


彼らの中でも最も過激な人たちには、参照すべき歴史的事実を「抹消」することを望んでいるような印象があります。



バラ十字会のモットーである「最大の寛容と厳格な独立」が、良いヒントを与えてくれるように私には思われます。

すべての人は、自分の意見を表明したり自分の考えを主張したりすることが自由にできると私は考えています。

しかし、そうする際には寛容であるべきであり、いかなるイデオロギーにも依存するべきでないと私は思います。


バラ十字会AMORCフランス本部代表 セルジュ・トゥーサン



著者セルジュ・トゥーサンについて

1956年8月3日生まれ。ノルマンディー出身。バラ十字会AMORCフランス本部代表。

多数の本と月間2万人の読者がいる人気ブログ(www.blog-rose-croix.fr)の著者であり、環境保護、動物愛護、人間尊重の精神の普及に力を尽している。

△ △ △

下記は、セルジュー・ツーサンの前回の記事です。


参考記事:『どんなメリットがバラ十字会への入会にはありますか?』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1140383&c=3304&d=ed84



今回も最後までお読みくださり、ありがとうございました。

また、お付き合いください。(^^)/~


==============

■ 編集後記

アザラシ幼稚園が話題ですが、紋別市のオホーツクとっかりセンターを訪れることができました

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1140384&c=3304&d=ed84

==============



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牛窓(牛窓生活3日目)から岡山へ(母がコロナ陽性)

2024年08月08日 23時04分00秒 | 生活

 何て爽やかな風が吹くのかしら、ここは。

・・・と今日のブログは始まって、まったりとした一日をもう一日過ごせるものと思っていました。

しかし

第一報が入ったのは午後1時過ぎ。

ケアマネさんより「重大事件が発生しました」

なんと、今度行くショート先のクリニックでコロナが発生したのでキャンセルとのこと。

お盆の週なのでどこもいっぱいでどうしようとケアマネさん。

とにかくいろいろなところを当たってみますと言われました。

その後、第二報が3時過ぎに入りました。

今度は今、母が行っているショート先からお電話でした。

コロナ患者が出ましたということと、今回、母も長く居るので(先週の金曜日から)調べたところ、陽性だとのことでした。

すでにコロナに罹った方は症状があったので、家族に病院に連れて行ってもらい、退所してもらったとのことでした。

母の場合は症状は出ていないのでお部屋で過ごしてっもらっていると言われました。

母の今後については介護度も高いし一人で看ることは難しいということで、施設内で会議を開きますと言われました。

ケアマネさんへの電話はまだだと言われましたので、「では私がかけましょうか」ということで私が電話をしましたが、いつもの如く留守電

しばらく経ってかかってきましたのでお話すると、別のショート先もコロナが出て、罹った人は全員退所になったと言われました。

この時すでに、やっとこさ見つけて下さった母の次のショート先との担当者会議も決まったところでした。

今のショート先もですが、コロナに罹った人には帰ってもらい(重症患者は入院)、次の予約の人は断るわけにはいかないので受け入れるとのこと。

でも、不思議なのはクリニックのショートは受け入れ出来ないと言われたのに、他のショート先はコロナの人を退所させて、予約の人を全部入れるって、どういうことかなと思います。

もう全部、それぞれの施設の判断に任されているわけでしょうか

この3時過ぎの電話からいろいろなところから電話があったり、電話をしたり。

もうこの時点で、今日岡山んい帰らないといけないと思っていましたので準備しつつ、電話応対をし続けること8時近くまで。

ドクターからも2回お電話がありました。

「施設はみてくれないだろうし、ヘルパーさんも来ることは出来ないだろうし、家族だけでがんばらないといけない。

訪問看護には援助してくれるように言うけれどもどれだけカバー出来るか・・・」と言われました。

クリニックでは患者さんもスタッフも感染したようですから。

え~~~~って感じでした。

要介護5の母を一人で1週間看続けるのは無理、無理

ケアマネさんもドクターも今のショート先に何とか居させてほしいと電話をして下さったようです。

施設側からお電話があったとき「うちで移りましたのでうちのせいですし、ご家族様の負担を考えてこちらで隔り状態にはなりますが・・・」とおっしゃって下さったので本当に、本当に感謝でしたが、でも、結局、状況は何も変わらなことがわかりました。

お盆でもう予約一杯でベッドに空きがないので土曜日には予定通りそこを出ないといけません。

その間ケアマネさんからも何度も電話がありましたが、最初「もう無理。あとは施設と娘さんと話をして下さい」

こんな時に押して下さらないの

ドクターはあのようには言われましたが、心配して、施設とケアマネさんに電話して下さったようです。

カチンときたのはケアマネさん。

「施設にももう十分言いましたのでどうしようもありませんし、来てくれるヘルパーステーションがあるなら教えて下さい」

これは両方が言われていましたので事実なのでしょう。

余計に溝が出来たような。。。

そこで、「今来て下さっているヘルパーさんにこの状況下でも来て頂けるか聞いて頂けませんか」とケアマネさんにお願いしました。

すぐにはOKではありませんでしたが聞いて下さったようです。

1社は短時間なら、もう1社は会議を開く

それからもうひとつドクターが言われたのは、「症状はなくても重症化を防ぐ薬は飲んでいた方がいい。「この薬は薬局が届けることは出来ず家族が施設に届ける以外にないので、帰って来てもらえますか」

もうすでにこの時、帰宅準備はし始めていました。

 それにしても、母をショートに預けて呑気に牛窓で過ごしていることに罪悪感を感じていましたので(感じる必要はないですし、又感じてはいけないとも思いますが、これはもう思考の癖ですね~)、こんな状況を引き寄せてしまったのかなとか考えました。

とにかく一番は母に症状が出ないこと。

次に出来れば、今のショート先にキャンセルが入って母がそこへコロナの間居ることが出来るならありがたいです。

でも、家で何とかがんばる覚悟は出来ています。

一番頼りにしている訪看さんとも何度か話し合いました。

 

 

 

 もう本当に午後からは怒涛のようでした~~~

話し合いが終わり、牛窓を出たのが8時。

買い物をして帰って来たのが9時。

明日、TVの設定などに来て下さることになっていますが、キャンセルの電話を入れる時間がありませんでした

明日、忘れないようにしなくては。

 

 

 

・・・ということで、牛窓生活がひとまず終了。

母が良くなって、今までのようにショートに行ってくれるようになったら再開します。

 

 

 ここからは怒涛の時間が始まるまでの牛窓ライフです

 朝、4時半前くらいに目が覚めました。

お天気は晴れ予報。

日の出時間は5時19分。

起き上がって日の出を見に海に行くことにしました。

牛窓海岸

 

 

裸足で砂浜を歩き、海にも入ってみました。

素足に砂と波が心地よかったです。

時折、大きな波が来るのであっという間に黄色のルームウエアが濡れてしまいました。

波と戯れるなんて、いつ以来かしら。。。

童心に帰ることの出来た心和む時間でした。

 

海の家

 

干潮のようでした。

  

 

良く見ると島が浮いている

 

 

そして、日の出だわと思った途端にあっという間にどんどん昇っていきました。

 

 

 

同じような写真ばかりですが、太陽が微妙に昇っていますので悪しからずです。

 

 

しばし日の出タイムを楽しみました。

 

 

海水浴に来た女性二人

もしかしたら女の子

 

 

クリニック発見

ここは特養かと思っていましたら「住宅型有料老人ホームあいの光」

説明に寄りますと住宅型有料老人ホームは「生活支援などのサービスが付いた高齢者向けの住まい」で、レクリエーションなどのアクティビティが豊富なため「まだ介護が必要ではないが、自宅での生活に少し不安を感じる」という方にオススメです。」だそうです。

 

 

 

 

前回(一昨日)来た時にも思いましたが、猫が多い。

 

映画にもなったのはこの場所のようです。

多くの猫が住み着いているようです。

 

岩合光昭さんのような猫のカメラマン

 

私のアンジーにスリスリ。

 

 

西行に歌が2首

 

 

ひまわり畑がなくなっていました

 

今日は朝から綺麗に晴れ上がりました。

 

昨夜お散歩をした時に暗かったのですが甘~い香りがして気が付きました。

何ていうお花かな。

ジャスミンの1種のような

 

今日は又とりわけ美しかったです。

 

四国の街(高松)と屋島

 

街唯一のコンビニのファミリーマートに行きました。

登録するとこのお茶を下さいました。

 

年配の女性がお店にいらして、唐揚げの買い方を教えて下さいました

 

バナナも買いましたが、やはりコンビニは高い。

100円以上高かったです。

今日の果物

 

ついつい写真を撮ってしまいます。

 

すご~い雲

 

今朝は涼しくて23℃。

爽やかな風が吹いて、いつまでエアコンなしでいられるかしらと思いました。

最も今朝は岡山も涼しかったようで、23.9℃だったとか。

その後も海風が爽やかで(もしかしてずっとこうだったのかも)、12時半までエアコンなし。

このままなしでも行けそうだと思いましたが、気温を見ると高かったので入れました。

でも、同じ牛窓でも海のそばと山の中腹とでは気温がかなり違うようです。

昨日、ガス屋さんが言われていました。

そして、先程岡山へ帰る時、牛窓の気温は27℃でしたが、岡山に戻ると32℃でした

やっぱりこちらは暑いわと思いました。

熱風が吹いていました

 

 

 

もう岡山に帰りたくないとさえ思っていましたが、岡山に戻ると戻ったで、やっぱり住み慣れた我が家は落ち着きます。

24時間、365日オープンのスーパーもすぐ近くにありますし、病院に至っては犬も歩けば・・・という位あります

結局、どちらがいいのかよくわかりません

 

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと277・°*

 

 

 

 

 

★致知一日一言【今日の言葉】2024.8.8

 

ファンケル創業者が語る成功の秘訣

 

失敗の中には
数え切れないほどの学びが詰まっている。
失敗を教訓とし、
二度と同じ過ちを犯さないように
取り組むことが、成功の秘訣
━━━━━━━━━━━━━━
池森賢二
(ファンケル創業者)
○月刊『致知』2024年9月号
特集「二十代をどう生きるか」より
━━━━━━━━━━━━━━

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牛窓生活2日目

2024年08月07日 22時51分15秒 | 生活

 今日は早くも立秋。

昨日、岡山は雨が降ったようですが。こちらは全く降らず。

でも、気温は明らかにこちらの方が涼しいです。

エアコンがいらないかなとしばしば思います。

今日の岡山の最高気温は相変わらず37.0℃、最低気温は27.4℃。

こちらは最高気温が33.5℃、最低気温が25.8℃。

 

 

一番下の孫が幼稚園の時に作ってくれたのですが、これが優しいほのかな明るさですし、乾電池式で危なくないので夜に使っています。

今朝も曇りがちな空。

上空や西側の空は青空でしたが・・・。

そして、段々と晴れてきます。

 

潮の流れが綺麗です。

 

テレビをこっちに持ってきてみましたが、やはり、ここでない方がいいように思いました。

いろいろなものをあちらこちらに並べ替えて、いい位置を探しています。

 

又、今日は5~6箱ある中から必要最低限の食器を出しました。

以前、電話製品と共に食器もお貸ししていました。

 

 

 今日の果物

果物がなくなってしまいましたので、明日の朝は山の下に降りてコンビニに行ってみようと思っています。

  

数カ月前くらいからプロテインを飲んでいますが(たんぱく質が圧倒的に足りないので)、牛窓に持ってきたのはこのセット。

 

 

干潮になると、島から島へ渡ることが出来ます。

 

今日も来客が何人かあり結局一日忙しかったです。

でも、少しずつ体制が整ってきています。

 

 

 朝の9時半から、ガス屋さんと建築士さんが来られました。

ガスはプロパンで以前ずっと使っていた会社があるのですが、入居者さんが変えられていました。

今回、元に戻そうとしたところ、競争が激しく、これがなかなか大変でして。。。

でも、やっとお昼にガスが使えるようになりました。

 

 

 今日は新しいことをいくつかしました。

新しい土鍋風の炊飯器でご飯を炊きました。

やっぱり美味しかった

(お米は建築士さんが買って来て下さいました)

夕方お散歩に出かけました。

ガスが使えるようになりましたので、初めてお風呂にも入ってみました。

(最悪1週間かかると言われました)

新しい洗濯機でお洗濯をしました。

 

 

 お昼にガス屋さんが再びいらしてガスが使えるようにして下さったわけですが、その時、2人いらしたうちの若い男の子が「写真を撮らせてもらっていいですか

眺めにすごく感動してくれてびっくりするやら嬉しいやら。

お昼ご飯を食べたのは1時半。

その2時間後には証券会社さんが来られて、これまた感動して下さいました。

このお茶にまで

お見送りをした時の空。

 

 

屋島が見えます。

 

その上、一日を通してWi-Fiをどうするか調べたり電話をしたり電話がかかってきたりして、忙しかったです。

また、ガス屋さんが以前、電気店にいらしたそうで、こちら関係の方がもっとプロらしくいろいろ教えて下さいました。

「光」が来ていますが、やはりポケットWi-Fiがいいのか、地デジもBSもアンテナなしで観ることの出来るフレッツ光がいいのか、あんまりいろいろな人の話を聞いたので訳が分からなくなりそうでした。

二重生活のコストを下げたいですし、使い便利がいい方がいいですし、難しい。

ひとまずポケットWi-Fiの一番GBの少ないのを試してみることにしました。

 

 

 

夕方のお散歩

ドッグランが見えます。

 

歩いていても暑くなかったです。

奥に見えるのは四国の香川県の街の灯りです。

 

 

 

日曜日の夜、ここに来た時、初めて一人でここに来るのはしかも一人で泊まるのは初めてのことだなと思いました。
 
子供達が小さい頃、両親はよくここへ連れて来ていましたし、週末には私達もここで過ごし、バーベキューをしていました。
 
それから、長い月日がたって子供達も成長し、母と私だけになり、そのままここへ来ない日々が続いていた中、貸してほしいという話があり貸して差しげていました。
 
そしてその後、そのご家族が引っ越され、そのまままた1年間くらい経ってやっとまた、人に貸す為にも少し手直しが必要ということでリフォームをしました。
 
先週の木曜日に仕上がりましたので、先日の金曜日に久し振りに来たわけです。
 
もちろん、その間にも牛窓に来る機会が何度もありましたので、外から見たり、お貸ししていない時には中に入ってみたこともあります。
 
もうかれ、これ1年以上前のこと。
 
終の棲家をどこにするかということを終の棲家の専門の建築士の方にご相談した時に、この牛窓がいいのではないかと言われたのですが、景色はいいけれども、実際生活するにはやはりどうかなという気がして、二の足を踏んでいました。
 
かと言って岡山はとても暮らしにくい。
 
悶々と日にちだけが過ぎていましたが、ここで思い切って行動して本当に良かったと思います。
 
車がないともちろんここのの生活は難しいですし、昨日の朝、お隣のご主人と立ち話をしたのですが、ネットスーパーも以前は無料だったけれども、今は配送料がとてもかかるそうです。
 
3社使えるそうですが、普通の送料プラス1000円だったりすることもあるようなので使いにくくなって、今はお買い物に遠出していると言われていました。
 
ホテルの方もお隣の方も「引っ越して来られますか 引っ越して来てもらえたら嬉しいです。」とおっしゃって下さいましたが(過疎化が進んでいる)、「今のところ介護していますので、多くて週の半分になると思います」とお答えしました。
 
岡山の家と違ってここはとても小さいのでとても使い便利がいいです。
 
一人で暮らすには十分で、私にとってはベストな空間です。
 
多分、今後困るだろうなと思うことは一番は草取り。
 
又、車に乗れなくなったらちょっと困ると思いますが、まだ当分は大丈夫かな。
 
その時は又その時です。
 
友人達の多くはもう少ししたら最後の車を買うという人が多いです。
 
このまま乗りつぶすのはやはりちょっと無理があるかも~。
 
それから、スーパーがないのも困ります。
 
スーパーに行くのに遠出しなければなりません。
 
あと、病院もないそうですが、でも、診療所があるのではないかなと思います。
 
それから地元の銀行が撤退するそうです。
 
ゆうちょはそのまま。
 
初日の夜、荷物を運びながら母のことを思いつつ階段を行ったり来たりしました。
 
以前、母も父と2人で、あるいは孫達を連れて何度も何度もこの階段を昇り降りしました。
 
今はもう来ることは出来ないし、望んでもいないようです。
 
今はこうして私が使っています。
 
時は流れて行きます。
 
 
 
 
 
 ところで、NHK プラスでニュースを見ていますと、最後の10~15分はローカルニュースですが地元ではなく東京に繋がったままですのでいつもは見ることの出来ない関東地方の様子を見ることが出来ます。
 
又、今朝は7時のニュースのその後、8時から「虎に翼」が同じくリアルタイムで始まりましたのでびっくりしました。
 
新しく生活を始めるとなかなかいろいろ刺激的です
 
 
 
 
 
 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと278・°*

 

 

 

 

★致知一日一言【今日の言葉】2024.8.7

 

本当に活躍できる人財とは

 

自分たちで考えて、
自分たちでつくり上げていくような
教育をしていくことによって、
社会に出て本当に活躍できる人財になる
━━━━━━━━━━━━━━
森本琢朗
(札幌日本大学高等学校硬式野球部監督)
○月刊『致知』2024年5月号
特集「倦まず弛まず」より
━━━━━━━━━━━━━━

●念願の甲子園初出場を果たした
札幌日本大学高等学校硬式野球部。
その勝利のかげには『致知』を使った
学内木鶏会の取り組みがありました。

森本琢朗監督にご登場いただいた
5月号の対談「人間力を高める教育ここにあり」
ぜひ致知電子版でお読みください。
こちらから

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牛窓生活初日

2024年08月06日 23時00分00秒 | 生活

 牛窓生活初日の朝、よく寝ました。

そして、忙しかったです。

今日はNHKプラスで岡山ニュースを観ることが出来ましたので、気温の比較が出来ました。

岡山の最高気温は37.0℃、牛窓は35.1℃。

最低気温は岡山が27.4℃、牛窓は26.6℃。

朝も夕も涼しくて(海風のせい)エアコンを入れていると寒い位です。

 

 

 

目が覚めたのは日の出タイムと一緒。

歩きに行こうかと思いましたが、ドライブへ。

今朝も曇り空

 

 

 

牛窓神社

知りませんでしたが、歴史がありそう。

  

 

 

 

茅の輪くぐりって三回するものだそうです。

帰ってから機関紙を読んで知りました。

 

 

俳句ポストがありました。

 

 

この百合をあちらこちらで見かけました。

 

 

 

龍ちゃんではなく、良く見ると牛

 

正式な入口を探してみましたが、今日はわかりませんでした。

 

 

海抜67.2m

岡山の我が家周辺は確か0.7m。

昇る太陽発見

 

ひまわり畑があちこちにあるみたいです。

牛窓海水浴場

ここから日の出を見ることが出来るのですね。

 

 

 

古い町並み

 

カフェもありました。

狭い街中に神社やお寺が多くありました。

 

 

 

1日1組の限定のお宿。

 

 

ホテルリマーニ

そして、目印になる山頂のオーリブパレス。

 

 

「牛窓往来」

 

ここでは8月7日が七夕のようです。

 

 

 

 

この三重の塔はどこのお寺

又、ゆっくり散策したいと思います。

 

歴史のある防波堤

  

ホテルリマーニ

 

オリーブパレス

 

前島フェリー

 

「キッチン海賊」

昔からあります。

以前konekoさんがいらした時、岡山のソウルフード「エビメシ」を食べたいということで、このお店に行ってみましたが、ちょっとスタイルが違いました。

 

この形の案内板がいろいろば場所に設置されています。

 

 

昔から朝鮮との関係が密で、唐子踊りが有名です、

このモミジアオイは微妙に色が違いました。

ちょっとマゼンタ色っぽい。

 

 

 

旧国際交流ヴィラ

 

 

ジェラート屋さん

3日の土曜日のお昼、友人とkonekoさんは食べたそうです。

そして、オリーブパレスへ。

 

 

我が家の裏

 

 

手にカマキリが・・・

  

テーブルの下に食器。

以前、お貸しした時電化製品や食器も込みでお貸ししました。

大阪の勝利巻き寿司

美味しいのです、これ

 

キッチンの窓がいつもグリーンで綺麗です。

 

 

「牛窓神社だより」

 

 

ここに以前TVを置いてました。

今回はここ

 

冷蔵庫も設置。

 

洗濯機が使えなくなっているということで・・・。

こちらは娘が学生時代に使っていたもの

 

電化製品が入るのは午後3時~6時予定でしたが、2時30分に早く終わったので「お邪魔してもいいですか」とお電話。

2時45分に来て下さいました。

 

 

 

 「清水白桃」が終わり次に有名なのはこの「夢白桃」

「清水白桃」とよく似ていて皮が薄暮れジューシー。

 

お昼にはレンジが届いていませんでしたので食べることが出来ず

夕方食べました。

炊飯器は新しいのを持って来ていましたが、お米を忘れました。

冷蔵庫が来て快適になりました。

お洗濯も出来ますし。

ただ、今回、TVはアンテナ線を忘れられたそうで、You Tube以外は見られないとか。

今立て込んでおられるようで、次にいらっしゃるのは金曜日。

でも、TVっているかな。。。

岡山では習慣で付けていました。

(よくYou Tubeは流していました。)

TVの音がないここでは、蝉の声。

NHKプラスでニュースはリアルアイムで観られることがわかり、他のチャンネルはあまり観ないですし、そもそもTV自体をあまり観ないです。

 

 今日は午後からは電化製品が来たり、建築士さんがいらしたり、ガスやWi-Fiのことなどで電話がいっぱい。

生活が落ち着くのは来週以降でしょうか。

 

 

 朝食後、再び9時くらいまで寝ていたのに、まだ眠くて。

夜は更に眠くなり、寝ながらブログを書きました。

結局、いつもと同じような時刻になってしまいました~

 

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと279・°*

 

 

 

 

 


★致知一日一言 【今日の言葉】2024.8.6

 

原爆供養塔を一生涯掃き続けた女性の言葉

 

人間は意識して勤勉になるのではありません。
思いの強さが、人を勤勉にするのです
━━━━━━━━━━━━━━
佐伯敏子
(広島の原爆供養塔を
一生涯ほうきで掃き続けた女性)
○月刊『致知』1999年10月号
特集「勤勉の哲学」より
━━━━━━━━━━━━━━

●毎年8月6日がやってくるたび、
私たちは広島に原爆が投下されたことを
思い出します。
ただ一方で、戦後79年が過ぎ、
当時の惨状を目の当たりにした方の
お話がどんどん聴けなくなっているのも事実です。

深い傷を負った広島の平和記念公園内に、
引き取り手がない遺骨を納めた
原爆供養塔があることをご存じでしょうか。
その塔の掃除を、40年以上にわたって
続けられた人がいます。
佐伯敏子さんです。

このお話を、日本人として忘れてはならない日に
平和の大切さを想うきっかけにしていきたいものです。

こちらから

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ペインクリニック㉑&再び牛窓へ

2024年08月05日 22時54分00秒 | 生活

 今日も暑かったです。

牛窓よりもやっぱり岡山はかなり暑いと思いました

最高気温は37.0℃、最低気温は27.1℃でした。

 先程、ペインクリニック経由で21時半頃、牛窓に到着しました。

外気温が岡山は32℃くらいでしたが、ここは28℃。

風もあって外は気持ちが良かったです。

母のショートに合わせて行ったり来たりしながら、海を見ながら生活してみます。

 

 

  今朝の我が家のお花

バラが小さめですが咲いていました。

 

 

 

 

朝顔は南側は咲かず、西側は五輪咲きました。

 

今日の果物

 

 午前中は牛窓の環境の為にWi-FiやBSなどあれこれ調べてみましたので、少し賢くなりました。

前回(と言っても昨日ですが)牛窓に置いてきたものもありますが、改めて生活するとなると必需品がたくさんあって、朝から片付けをしつつ準備をしました。

 午後3時、ペインクリニックにネットから予約をしたところ、午後の38番。

5分も経過しないうちにネット予約は定員に達したということで受付終了。

でも、実際は1分だったそうです。

最後は54番でしたが、18時半まで受け付けていますので実際は60番くらいでした。

16時を過ぎてもまだ午前中の診療が終わっていない状態。

暑くても、暑いと余計に患者さんが増えるような・・・

 19時半頃、32番まで診察終了になっていましたので、出掛けました。

到着時は前に3人おられましたが、あまり待つこともなく良かったです。

しっかり歩くように言われました。

次回は3週間後です。

 その後、お買い物をして、一路牛窓へ。

家から25分~30分です。

今日は少し遠かったので40分。

夜なので2号線バイパスを多くの車が90kmくらいで飛ばしていました。

 

 

 

 明日は午後3時以降に電化製品が届きます。

新生活パックみたいなセットです。

ここで将来、生活出来るかどうか。。。

当分、貸さないで二重生活をしようと思っています。

 

 

 

 母は穏やかにショート先で過ごしているようです。

今朝は少し食欲がなかったようですが、午後からお風呂にも入ったそうです。

家は暑いし行き届かないことも多いので、暑いこの時期、10日(土)まで滞在です。

そして、続いて11日(日)から15日(木)までクリニックのショートへ。

お盆です。

その後は又、今までのパターンとなります。

この頃には少しは涼しくなっているでしょうか。

昨年は誤嚥性肺炎で入院していました。

それで、食事の形態やいろいろなことが変わりました。

 

 

 

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

  • 母100歳まであと280日・°*

 

 

 

 

 

 

★致知一日一言【今日の言葉】2024.8.5

 

熱と誠があれば、何事も達成する

 

君、人に熱と誠があれば、
何事でも達成するよ。
よく世の中が行き詰まったと言う人があるが、
これは大いなる誤解である。
世の中は決して行き詰まらぬ。
もし行き詰まったものがあるならば、
これは熱と誠がないからである。
つまり行き詰まりは本人自身で、
世の中は決して行き詰まるものではない。
━━━━━━━━━━━━━━
北里柴三郎
(新紙幣の顔になった細菌学者)
○月刊『致知』2013年6月号
特集「一灯照隅」より
━━━━━━━━━━━━━━

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一旦、牛窓より帰宅

2024年08月04日 22時46分00秒 | 友人との時間

 今朝の瀬戸内海です。

雲っていました。

昨日の岡山の最高気温は38.1℃、最低気温は27.8℃。

今日は36.0℃、27.8℃でした。

牛窓は岡山より概ね気温が低いです。

 

このようなお天気でしたので、朝一に日の出を見に行くことは諦めて、ひまわり畑経由で一旦、岡山に戻りました。

 

 

 

 

ここは国際交流ヴィラの近くですが、今は使われていないような・・・

 

昨日、花火が上がったのはこの埠頭ではないかと思います。

ホテルリマーニの真正面で打ち上げられたように見えました。

 

konekoさんの希望リストに「国際ホテル」が入っていましたので、その近くの曹源寺経由でホテルに行きました。

 

 

まだ蓮の花が綺麗に咲いていました。

前回来た時、もう終わり頃と聞いていましたが・・・。

 

 

 

前回来た時には曇っていましたが10時半頃でした。

今朝は6時半過ぎ位でしたが、すでに時間的には遅かった気がしました。

 

 

 

 

 

 

とっても美しかったです

 

 

 

お盆の頃までは咲くのかしらと思いました。

 

 

岡山国際ホテル

モーニングは6時半~10時。

 

7時頃に到着しましたが、試合の学生さんとかで結構混み合っていました。

  

 

 

 

 

最初、洋のバイキングかと思ってこのように

 

特別室

 

このお豆腐、とっても美味しかった~

 

やはり、和朝食を食べたい

 

 

お米は「きぬむすめ」

 

 

自動おしぼり機がありました。

 

 

 

10時少し前までのんびり朝食を楽しみました。

自然の中で、静かでやっぱり落ち着くところです。

昨日、友人の娘さんと孫娘さんも花火を見に来られ、このゼリーを下さったので、konekoさんにも半分持って帰ってもらいました。

 

konekoさんは一旦、我が家に帰って「シャワーでもして一寝入りしてから帰る」と言っていましたが、目もすっかり覚めたのでそのまま四国に帰ることに。

岡山はやっぱり暑い

 konekoさんが帰られたあと洗濯をし、干したと思ったら少し雷雨。

でも、涼しくなるほどは降らず。

その後、再び、雷雨。

今度はどしゃぶりで雷の光も音もすごかった

本当に久し振りの雨でした。

樹々が喜んでいると思います。

 

 

 

 朝顔が(水遣りは頼んでいました)あまりにも暑いのでこんな状態に。

今日は白が一輪だけたっだようです。

ここ数日、あまり咲かなくなりました。

もう終わり

 

西側は四輪だったみたいです。

 

 

 片付け後、昨夜、3時間半睡眠くらいでしたので、お昼寝をしました。

そして、夕方から、しばらく牛窓で暮らすために最低限のものを買いに出かけました。

明日はペインクリニックに行かないといけないですが、母のショートが土曜日までですのしばらく滞在してみようと思っています。

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと281日・°*

 

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.8.4

 

編集長取材手記「高田明さんが語り合った成功と失敗の法則」

 

僕は「いまを生きる」ことが
一番大事だと思っています。
あまり過去とか未来に翻弄されずに
いまをやり続けていけば、
絶対に目標に近づいていく
━━━━━━━━━━━━━━
高田明
(ジャパネットたかた創業者)
○月刊『致知』2024年9月号
特集「貫くものを」【最新号】より
━━━━━━━━━━━━━━

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Ushimado

2024年08月03日 23時41分00秒 | 友人との時間

 昨夜は窓から海と街の灯りを見ながら寝ました。

目が覚めたのは4時。

いつもより更に早い

でも、あとで寝たり、更にお昼寝をしたりしましたのでかなりゆっくり出来ました。

 

 

 

 牛窓はやはり岡山よりは涼しかったですが、昔のようにエアコンの必要がなく海風で眠れるということはありませんでした。

日中の気温はどうだったのかわかりませんが、暑かったです。

 今朝は霧の朝でした。

日の出時間は5時15分でした。

ブロ友さんのkonekoさんが朝散歩に行くと言っていましたので、起こして日の出を見に行くことにしました。

美しい日の出スポットの「虫明」までは間に合いそうにありませんでしたのでブルーラインの「一本松」に行ってみました。

 

しばらく心地よい風に吹かれて座っていましたが、どこから太陽が昇るかわかりませんでしたし、かなり霧が立ち込めていましたので、「これは無理~」と諦めましたが、

途中でバックミラーに大きな大きなオレンジ色の太陽が昇っているのが見えました。

急いで、オリーブ園の山頂を目指しました。

が、入れませんでした。

途中の太陽

 

あとでホテルの方が「今日は珍しく素晴らしい朝陽だった」と言われていましたが、ほんの短い時間だったようですので、多分、同じ朝陽を見ていたのだと思います。

 

霧はなかなか晴れず、お天気が微妙~

 

 

 

冷蔵庫がないのでそれでも大丈夫なものを前日買っていましたので、帰ってからそれを食べました。

 

ペンキの塗り直しはしていなかったのでベランダがボロボロ。

 

瀬戸内海

 

 

ふと海を見るとヨットがたくさん出ていました。

 

 

 

食後、海を見ながら再び寝ました。

気持ちよく寝て、起きたら9時

 ランチはご近所のホテルに行くことにしていましたので、岡山来る私の友人とホテルで待ち合わせ。

時間がありましたので、ホテルでPCを開きました。

 

 

やはり、眺めがいい

 

 

 

 

ランチコース

 

何ともエディブルフラワーが美しいウニやシマアジ等の前菜

 

こちらは清水白桃の冷製スープです。

これもとっても美味しかった

パンはフォカッチャとバゲット

 

岡山県産の黒毛和牛のワイン煮込み

デザート~

 

ミントのシャーベットもフルーツカクテルも美味しかった~

konekoさんのお誕生日が近かったのでお礼を込めて。

こちらは友人の注文したスープカレー

ここのホテルはペットと泊まれるホテルです。

ペット用のお食事もあります。

快晴になりました。

美しい景色です。

 

 

 

絵はがきのよう。

 

ホテル内

 

風鈴が涼し気

 

 

 

 

風鈴が涼しげでした。

上の展望台へ行ってみることにしました。

 

 

入道雲を見ると「ザ・夏」ですね。

 

 

実は今夜は牛窓の花火大会。

 

ホテルから戻って、友人が持って来てくれたピオーネとアメリカンチェリーを食べましたが、甘~~~い

段々と干潮になってきているようでした。

まるで絵のような景色

 

小豆島の観音様

昨年の10月頃でしたか、観音様のそばまで行きましたが感慨深かったです。

 

 

満潮から干潮になり、又満潮へ。

陸続きになった島々の道が再び海の中へ。

 

 

ホテルでそれぞで買った枕やドレッシング

 

夕暮れ時

 

 

 

友人の娘さん達が買ってくれた幕ノ内弁当

花火は午後8時から。

終わったのは8時40分くらいでしたが、休憩時がなく一気に最後の仕掛け花火に行ったようです。

 

 

 

 

最後尾の仕掛け花火

 

 

花火終了後毎回大渋滞。

友人は10時まで様子見。

やっと少し動き始めました。

1時間後無事に家に帰ったラインが届きました。

 

 

 

今日も感謝でした

 

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと282日・°*

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.8.3

 

苦労との向き合い方

 

苦労は逃げるから追っかけてくる。
逃げずに向き合っていけば、克服できる
━━━━━━━━━━━━━━
石田和雄(将棋棋士九段)
○月刊『致知』2024年9月号
特集「貫くものを」【最新号】より
━━━━━━━━━━━━━━

●長くトップ棋士として活躍すると共に、
千葉県で将棋センター・子供将棋教室を運営し、
多くのプロ棋士を育ててきた
将棋界の名伯楽・石田和雄氏。
藤井聡太氏(当時四段)の連勝記録を止めた
佐々木勇気八段もそのお一人です。

コメント (2)
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今日は38°c

2024年08月02日 23時40分00秒 | 友人との時間

 今日は外に出ると暑いというより痛い感じがしました。

今日の最高気温は38℃、最低気温は27.1℃でした。

何だか本当に連日異常な暑さです。

 

この赤いバラの種類がわからなくなりました。

暑さのせいか、花の色が変わっているようです。

 

今日の朝顔はマゼンタ色が一輪と白色が一輪だけでした。

 

西側は三輪。

 

今朝の朝食は途中からkoneko さんが作っ下さいてました。

マスクメロンが見えないくらいてんこ盛りの今日の果物です。

 

清水白桃、メロン2種、スイカ、バナナ、みかん⁉️、パイナップル。

すごーい💕

頂き物も今日で食べ切りました。

お昼ご飯も色々とあるものを食べ、夕食もあり合わせで作ってくれました〜🤗

冷蔵庫の中がかなりスッキリ😆

母は昨日お疲れていたと思うのですが、0時半頃起きて、それから5時半頃にまた起きましたので寝不足状態でした。

食欲もあまりなくて、パン粥を三口と桃を一口、エンシュアとカフェオレ少々ぐらい飲んだだけで、「寝たい」。

お迎えまでにまだ1時間半ぐらいありましたので、ベッドに連れて行きました。

本当に異常な暑さなので、しばらくショートにいる方が安全で、安心ということで、ケアマネさんが考えて下さいました。 

 

 

その後、konekoさんと私はあまりに暑いので、家の中にこもってゴソゴソ。

そして、夜になって牛窓にやってきました。

満天の星、そして四国の明かりが見えています。

ちょうどリフォームが終わったばかりなので、家に入ると畳のいい香りがしました。






また人に貸す前に、ここで2泊3日しようと思っています。

プロパンガスは1ヶ月単位でないと使えないということで、先ほど水でシャワーを浴びましたが寒かったです😆

私もしばし休息します💕

 

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと283日・°*

 

 

 

 

 

★致知一日一言【今日の言葉】2024.8.2

 

95歳の名女将が語る「不可能を可能に変えてきた道のり」

 

「与えられた運命を生かす」
愚痴や文句や批判を言わず、
辛い時も苦しい時もその境遇を受け入れて、
一所懸命やっていれば、
必ず助けてくださる人との出逢いに恵まれ、
よりよい方向へと発展していく
━━━━━━━━━━━━━━
佐藤幸子
(かみのやま温泉 古窯大女将)
○月刊『致知』2024年9月号
特集「貫くものを」【最新号】より
━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

★バラ十字会メールマガジン(毎週金曜日配信)

 

古代エジプトの最高神はプタハかラーか?

バラ十字会日本本部AMORC


【ぜひお友達にもこのメルマガを教えてあげてください】⇒

 

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1138577&c=3304&d=ed84

 

 

こんにちは、バラ十字会の本庄です。


━…………………━

文章を以下に転載していますが、古代エジプトの遺跡、パピルス文書の写真などが掲載されていますので、下記のリンクをクリックして公式ブログでお読みください。

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1138578&c=3304&d=ed84

(古代エジプトの神々の名前|最高神はラーかプタハか?)

━…………………━


東京板橋ではこの数日、暑い日とスコールのような激しい雨の日が何度もありました。


皆さんも、日本は亜熱帯の仲間入りをしたのだろうかとさえと感じることがあるのではないでしょうか。


▽ ▽ ▽

あるきっかけがあり、古代エジプトの神々について調べていました


◆ 古代エジプトについて

古代エジプトは多くの時代に、上エジプトと下エジプトと呼ばれる特徴の異なる勢力圏に分かれていました。

上エジプトと下エジプトの境界は、現在の首都のカイロのあたりで、ナイル川のそれより上流の地域が上エジプト、下流の地域が下エジプトと呼ばれます。



紀元前3100頃に、上エジプト出身のメネス(メナ)王が上下エジプトを統一し、古代エジプトの王朝時代が始まりました。

そして、西暦30年に古代ローマに滅ぼされるまで3000年以上にわたって、この王朝時代が続きました。



古代エジプトが特に繁栄していた時代が3つあり、古王国時代(前2686頃~2181頃)、中王国時代(前2133頃~1786)、新王国時代(前1567~1085頃)と呼ばれており、その間の衰退していた時期は中間期などと呼ばれています。



古王国時代はピラミッドの建設、中王国時代は文学の発展、新王国時代は領土の拡大と宗教改革で特に有名です。


(写真:ルクソールのカルナック神殿の中にあるアモン大神殿の石像群)


◆ 古代エジプトの最高神

みなさんもよくご存じのことと思いますが、古代エジプトは多神教で少なくとも100以上の神がいます。


そこでまず最初に疑問に思うのは、多数の神々のうち最高神はどれかということです。

最高神というとあいまいになる恐れがありますので、ここでは、世界を創造したと多くの人々が考えている神(創造神)を指すことにしましょう。



しかしこのように定義しても、古代エジプトは広大な国土であるうえ、歴史も3000年以上にわたるので、実は場所と時代によって最高神が異なってきます。


・ プタハ(Ptah)

エジプトの初代の王のメネスは、上下エジプトを統一すると、その境界に近いメンフィスに都を置きました。

メンフィスで信仰されていたのは、鍛冶と職人の神であるプタハ神です。

プタハ神は言葉を発することによって世界を創造したとされていました。



ですから、この時代にこの場所では最高神はプタハであったことになります。


・ アトゥム(Atum)

しかし、これからご説明するように、カイロのすぐ北東にあった古代都市オン(ギリシャ名はヘリオポリス)が当時のエジプトの宗教の一大中心地であり、この地の神話ではアトゥムが創造神だとされていました。

アトゥムはやがて太陽神ラー(別名「レー」、「ラー」も「レー」も太陽を意味する)と同一視され、アトゥム・ラーと呼ばれる神になります。



ですから、この時代のヘリオポリスではアトゥムもしくはアトゥム・ラーが最高神でした。


・ アモン(Amon)

時代が下って中王国時代になると、古代エジプトの首都がテーベ(現在のルクソール)に移ります。

テーベでは元々地域神として、豊穣の神、大気の守護神アモン(別名アメン)が信仰されていました。

アモンという名は「見えない者」を意味し、勃起した男根を持つ男神であり、世界の原動力であるとされていました。



テーベが首都になると、宗教の中心地として発展し、アモン神はエジプト全土で信仰されるようになります。

ちなみにこの地の神話にはアモン神を含む、男女4対の8柱の神がいてヘルモポリス8神(古代エジプト語で「8」を意味する「ヘメヌー」が語源だとされる)と呼ばれています。



アモン神は創造神として太陽神ラーと同一視され、アモン・ラーと呼ばれるようになります。

この神への信仰は新王国時代も続きました。



ですから、中王国時代と新王国時代のエジプトの最高神はアモンもしくはアモン・ラーだと言うことができます。


・ アトン(Aton)

新王国時代の第18王朝のファラオのアメンホテプ4世は、後述の宗教改革を行い、アモン神崇拝を禁止し、一神教の神としてアトン(太陽円盤)を唱えました。


首都もテーベからアケトアトン(現在のテル・エル・アマルナの近郊)に移し、自分の名前もアメンホテプ(「アモンは満足している」を意味する)からアクナトン(「アトンの弟子」を意味する)に変えています。



ですからこのファラオの在位期間は、エジプトの最高神はアトンだったことになります。

しかし彼の死後、エジプトの首都はテーベに戻り、アモン神崇拝も復活しています。



(写真:『フネフェルのパピルス』(紀元前1275年頃)の「心臓の計量」(死者の審判)の場面。左からアヌビス神、アヌビス神、アメミット、トート神。)


◆ ヘリオポリスの創世神話

先ほどご説明した古代都市オンは、ナイル川の三角州地帯、現在のカイロのすぐ北東にあります。紀元前3000年ごろから太陽神ラーの崇拝の中心地として栄えていました。


特に紀元前2400年頃には、オンの神学がエジプト王朝の全体に広まり、当時のファラオは「太陽の子」という称号で呼ばれていました。



オンという都市は、ギリシャ語で「太陽の都市」を意味するヘリオポリスという名でも知られています。



西洋哲学の創始者のひとりとされるギリシャの哲学者プラトンは、ヘリオポリスに留学していたという言い伝えがあります。


(写真:プラトンの肖像画(ラファエロ作『アテネの学堂』の一部分))


ヘリオポリスの創世神話によれば、宇宙に最初に存在していたのは、原初の海ヌンでした。

この海からアトゥム・ラーが生まれました。

太陽によって象徴される原初の創造神です。



「ネシ・アムス」(Nesi Amsu)という名のエジプトのパピルス文書には、このアトゥム・ラーが、シュー神(大気)とテフネト神(母なる水)を放出し、シュー神とテフネト神からゲブ神(大地)とヌト神(天界)が生じたと書かれています。



そしてさらに、ゲブ神とヌト神からは、オシリス(冥界の神)とイシス(豊穣の女神)とホルス(天空の神)とセト(破壊の神)とネフティス(夜の女神)のすべてが同時に生じたと書かれています。



以上の創世神話から、旧約聖書の『創世記』の冒頭を思い起こす方もいらっしゃるのではないでしょうか。


また、エジプトのこれらの神々の系図を表にしてみると、ユダヤ教の秘伝哲学にあたるカバラの、「生命の樹」(セフィロトの樹)と似ていることが分かります。



参考記事:『カバラとは? 生命の樹とセフィロトと流出について、数の象徴学と数秘術』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1138579&c=3304&d=ed84



(写真:カリフォルニア州サンノゼ市にあるバラ十字会の図書館の入り口に置かれたホルス神の像)


◆ アメンホテップ4世(アクナトン)の一神教とモーセ

旧約聖書の『創世記』によれば、モーセはエジプトで育った後に、ヘブライ人を連れてエジプトを脱出し、シナイ山で神と出会い、契約を結び、さまざまな掟を伝えられたとされています。この掟がユダヤ教の基礎になっています。



旧約聖書のこのストーリーの多くの点が、事実とは異なっていると考える現代の歴史家が多くいます。



たとえば、モーセは神に出会ったのではなく、当時シナイ山には、極めて進んだ哲学を研究している集団が住んでいて、モーセは彼らから教育を受けたのだという説があります。



現代の歴史家ではありませんが、古代ローマの著作家ヨセフスは、エジプトのファラオのアメンホテップ3世が、皮膚病の流行を避けるために患者たちを移住させたとき、ヘリオポリスの司祭オサルセフがそれを監督し、オサルセフは後にモーセと名乗るようになったという、エジプトの神官の記録を自分の書に引用しています。



これらのことを考え合わせると、モーセが、エジプトのさまざまな人々から進んだ思想を学び、それをユダヤ教の基礎として生かしたということは確実に思えてきます。


◆ 神々と宇宙の原理

さて、古代エジプトの神々に話を戻しましょう。

古代エジプトの宗教は多神教だと言われます。

そしてアメンホテップ4世(ファラオ・アクナトン)が、多神教の聖職者たちの多くに対抗して、歴史上初めて一神教を唱えたとされています。



しかし、バラ十字会の専門家の詳しい調査によれば、事情はそれほど単純ではないようです。


確かに、エジプトのさまざまな地域で異なる神々が信仰され、人々は、健康や安全や他の御利益を願って、それらの神々に捧げものをしたり寄付をしたりしていました。



言い方を変えれば、当時の聖職者たちは、神々に捧げものをしたり自分たちに寄付をしたりすれば御利益が得られるという、「多くの人たちの信じていること」を強めることに腐心し、それを利用して自分たちの富と権力を強化していました。


どこかで聞いたような話ですね。



アメンホテップ4世の宗教改革は、このような劣化版の宗教に対抗して、高い理想と道徳に従う生き方を促すという宗教本来の役割を取り戻そうとしたのだという説があります。


もしそうだとしたら、驚くべき近代的な考え方ですね。


しかしまた一方では、王家と宗教集団の間の権力闘争という側面もあったようです。



また別の調査によれば、アメンホテップ4世が生まれるはるかに前から、エジプトの聖職者集団の中枢にいる人たちは、さまざまな神々が、実は、宇宙のさまざまな原理の象徴に過ぎないと考えていたようです。



そしてこれらの原理は、宇宙で唯一の絶対的存在の異なる側面の現れにあたり、この絶対的存在は、知ることも名付けることもできないとされていました。


この考え方は、バラ十字会が通信講座を通して多くの皆さんにお伝えしている現代の神秘学(神秘哲学:mysticism)に極めて近いものです。


(写真:オシリス神が描かれた、ルクソールにあるメナ(Menna)の墓の壁のレリーフ)


・ 三角形の法則

神々が宇宙の原理を表わしているという実例をひとつご紹介します



オシリスとイシスとホルスは、古代エジプトで最も広く崇拝されていた三大神です。オシリスは男性原理であり、イシスは女性原理にあたります。

そして、この二神の間に生まれたのが息子のホルス神です。



現代の神秘学には、「三角形の法則」として知られている原理があります。

第1の要素と、その反対の性質を持つ第2の要素が引き寄せあって結合したときに、新しい第3のものが生じるということが、世界のあらゆるところに広く見られるという原理です。



たとえば、プラスの電気を帯びた核と、マイナスの電気を帯びた電子が結合すると原子が作られます。

人間では、精子と卵子の結合によって子供が生まれます。

電源の陽極と陰極をつなぐことにより電流が流れます。

人は身体と魂からなります。

ある判断とそれと矛盾するように思われる判断が統合されたとき、より高いレベルの判断が完成します。



古代エジプトの進歩的な人々は、オシリスとイシスとホルスという三体の神のことを、この三角形の法則を表わす象徴だと見なしていた可能性があります。



プラトンはおそらく、古代エジプトの、このような進んだ考え方を学んだのです。


◆ 西洋の哲学と宗教の基礎はエジプトに由来

プラトンは自然界に見られるあらゆるものが、知性と物質の組み合わせだと考えていました。

そして、知性のことを「イデア」もしくは「父」と呼び、物質のことを「育むもの」もしくは「母」と呼びました。



有名なイデア説ですが、オシリスとイシスとホルスによって象徴される三角形の法則にそっくりです。

プラトンのこの考え方は観念論と呼ばれますが、その後、彼の著作や弟子のアリストテレスを経て、世界中に広がって行くことになります。


参考記事:『「洞窟の比喩」とプラトンのイデア論をわかりやく解説 - 実在の探求と哲学者』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1138580&c=3304&d=ed84



先ほど話題にしたモーセは、古代エジプトの進んだ思想を吸収して、ユダヤ教の骨格を作り、それは、キリスト教とイスラム教の基礎にもなりました。

そのためモーセは、この3つの宗教のすべてで、重要な預言者であると見なされています。



プラトンを通して、エジプトの思想は、その後の西洋のあらゆる哲学に影響を与えることになりました。



また、「哲学の父」と呼ばれる、古代ギリシャの哲学者ミレトスのタレスも、三平方の定理で有名なピュタゴラスも、エジプトに留学していたことがあります。



ですから、西洋の哲学と宗教の基礎は、ほとんどすべてがエジプトからもたらされたということができるようです。



ギザ高原にある巨大で精巧なピラミッドを目にすると感じることがあります。

この国には、何かとてつもなく壮大なことが古代に伝えられていたのであり、それを現代人は、まだほんの一部しか見いだしていないという思いです。

(写真:ギザ高原の三大ピラミッドとスフィンクス)



参考記事:『ピラミッドの本当の目的という謎|墓説の不具合とどうやって作ったか』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1138581&c=3304&d=ed84



では、今日はこのあたりで

また、お付き合いください(^^)/~


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■編集後記

ハイビスカスが咲いています

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1138582&c=3304&d=ed84

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コメント (2)
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