南東慰霊之碑慰霊祭のあとに少年護郷隊之碑に向かった。午後3時から慰霊祭が行われたのだが遅れてしまい、着いたときにはすでに終わっていた。僧侶の稲福氏があとから来る人のために残っていて、ほかに数名の参加者が碑文を読んだり、メディアの取材を受けていた。
沖縄戦当時10代だった護郷隊之隊員たちも80歳を越している。元隊員の一人は去り際に、身体が動く限り必ず来て慰霊祭を続ける、と言い残した . . . 本文を読む
遺族ほかの献花の後、名護高校吹奏楽部の伴奏で、三中校歌、三高女校歌、名護高校校歌の斉唱が行われた。
祭主の南燈同窓会・玉城勲会長に続いて、遺族、同窓会員、職員・実習生、生徒の順で焼香した。生徒たちは菊の花の献花を行った。
閉式の辞を南燈同窓会副会長の並里早智子氏が述べ、慰霊祭を終了した。
ご遺族の皆さま、同窓会の皆さま、当時の職員の方々、そして、名 . . . 本文を読む
続けて名護高等学校の高安美智子校長が追悼の辞を述べた。
追悼の言葉。
6月中の梅雨は沖縄県民の思いを表しているかのように激しい雨となり、蒸し暑い日が続いていました。慰霊の日を前にその梅雨があけましたら、今日はどんよりとした小雨が続いています。本日ここに終戦65年目の慰霊の日を迎え、県立第三中学校、並びに県立第三高等女学校の在学生、卒業生の戦没者375名の御霊に対し、名護高等学校を代表して謹 . . . 本文を読む
23日は本部から今帰仁に寄って名護に戻り、午後2時から行われた南燈慰霊之塔慰霊祭にも参加した。
南燈慰霊之塔は県立名護高校の敷地内にある。校門から入ると正面に、前に紹介した沖縄県立第三中学校校歌の歌碑と並んで県立第三高等女学校校歌の歌碑がある。
慰霊祭は遺族、三中・三高女の同窓生、名護高校の生徒・職員・教育実習生の参加の下に開催された。
発言者の全員が、沖縄戦を振り返り、戦 . . . 本文を読む
三中学徒之碑は本部町の八重岳に登る道路脇にある。道沿いはヒカンザクラが植えられていて、1月には日本一早い桜祭りが開かれて観光客でにぎわう。
向かって右側に説明版があり、左側には戦死した学徒の氏名を刻んだ石版の上に、観音菩薩のレリーフがはめ込まれている。
午前10時過ぎに名護を出たときには薄曇りだったのだが、伊豆味に入ったところから雨が降り出し、八重岳に向かう山道で土砂降りにな . . . 本文を読む