海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

イッペーと桜

2008-03-25 23:36:45 | 生活・文化
 県民大会に参加するために沖縄自動車道を南下していると、名護から中部にいたる山々の新緑が目に鮮やかだった。テレビでは全国各地で桜の開花が報じられているが、沖縄ではすでに葉桜となってサクランボが実っている。
 沖縄で春の花といえば今では、この二十年ほどで広がっていったイッペーの黄色い花が目立つ。1994年のちょうど今頃、高校教師に採用され、初任校がコザ高校だったので沖縄市中央にアパートを借りた。部屋の下見がてら近所を散歩していたらイッペー通りに出た。その時の驚きは忘れがたい。満開のイッペー並木の強烈な黄色を目にして、感動というよりも圧倒される想いがした。三年間そこに住んでいて毎年イッペーの花を見るのが楽しみだったが、最初の年は木々の開花がそろっていたようで、ひときわ見事だった。
 名護にもイッペーを植えた通りが何カ所かあるのだが、木が十分に成長していないせいか花の付きが悪い。ちなみに実家の周辺に三本のイッペーを植えてある。こちらも花が楽しめるようになるには、あと十年はかかりそうだ。他にはツツジの花が盛りは過ぎたが庭を飾っている。裏庭にはシークヮーサーを植えてあるが、それも白い花を咲かせている。池のそばにある琉球馬酔木も白い花房をつけ、山椒も新緑とともに黄色い小さな花をつけている。
 春は桜という教科書から刷り込まれる知識や美意識に、沖縄の子どもたちはたいてい最初は違和感を覚えるだろう。その違和感を大切にするかどうかで、そのあとの感性のあり方や思考法も変わってくる。京都や東京という天皇のいる場所を中心としたヤマトゥの文化、美意識に従属する感性、思考法を持ってしまうと、沖縄の自然や文化を見る目も歪んでしまうだろう。
 ヤンバルの今帰仁村に生まれ育ち、塾に行ったこともなければ家庭学習もせず、学校が終わると川や海、森に行って遊んでいた私には、どんなに知識として刷り込まれても、それをはね返す圧倒的な自然と文化が目の前にあった。高校を卒業するまで日常会話で共通語を使うこともなかった。だが、今の子どもたちはどうだろうか。子どもたちに教える教師達の感性、意識、思考法はどうか。沖縄戦をどう教えるかだけが問題なのではない。桜は四月に咲く花であり潔く散る日本の武士道の精神を表している。そういうことを刷り込んで平気な教師が沖縄戦のことを教えても、どれだけの意味があるだろうか。
 沖縄の桜は一月に咲き、はらはらとは散りません。花びらは萼と一緒にぽとぽと落ちます。沖縄には武士道もなければ天皇もいませんでしたので、人の命を桜の花にたとえる発想もありませんでした。命どぅ宝というのが沖縄の人の発想です。メジロがよく花に来ますが、あれは蜜を吸っているのではなく、嘴の先から舌を出してなめているのです。ヒヨドリがサクランボを食べてうんこをすると、種が大地に落ちてそこから桜の新しい命が芽生えていきます。サクランボは泡盛に漬けて氷砂糖を入れておくと美味しいです。小学校でそこまでは教えなくてもいいか。しかし、自分が生まれ育った地域の自然や文化を素直に受けとめられる感性と思考法を育てる教師こそが必要なのだ。
 私が小学校のころは日本復帰運動が盛んで、学校では標準語励行が取り組まれていた。地域でも生活改善運動が取り組まれ、家庭で方言を使わないようにしましょう、と言われていたという。私の父親はそれに腹を立て、「ぬーが、どぅーなーたしまぬくとぅばちかてぃ、ぬーぬわっしぇーが」と家でも今帰仁言葉を使い続けたという。そのことでは父に深く感謝している。父が地域権力の指示に従順な人間だったら、今頃私は小説を書いていないだろう。父がそういう選択をした背景には、鉄血勤皇隊に行った自分の体験から、標準語励行を唱える教師の態度に戦前と共通するものを感じたのではないか、と今になって思う。
 ソメイヨシノを沖縄に植えてもきれいな花は咲かないのだ。

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