昨年の12月26日、ちょうど四ヶ月前のことだ。夕方から名護市内の某公共施設で集まりがあり、その夜は忘年会があったので、車をそこの駐車場に置いたままにした。翌日取りに行くと、ドアミラーとフェンダーミラーがへし折られていた。
周囲を探しても壊された部品はなく、犯人が持ち去ったのが分かった。嫌がらせをやられたわけだが、すぐに頭に浮かんだことがいくつかあった。12月26日は「集団自決」の日本軍強制をめぐる教科書検定問題で、教科書会社から出された訂正申請に対し、文部科学省が再度の審議結果を出した日だった。また、二日前の24日には、小林よしのりを批判する評論を琉球新報に発表していた。
これまで行ってきた教科書検定問題への言及や小林よしのりへの批判を快く思わなかった者による仕業だろうと思ったが、犯人を確定できたわけではない。基地問題その他で反感を持っている奴も多いと思うから、その線もある。ただ、タイミング的にはやはり教科書検定がらみの嫌がらせの可能性が高いだろう。
この手の嫌がらせは過去にも何度かあった。名護市長選挙公募の運動をやっていたときには、車のボンネットに猫か犬の胎児を叩きつけられたこともある。腹が割けて血と内臓がボンネットに飛び散り、へばりついた体を剥がすのは気持ち悪かったが、若い頃からいろいろ経験したおかげで、その程度のナーバスは屁とも思わない。
昨年の嫌がらせも中古車会社から安い部品を探すことができて助かった。この手の嫌がらせを防ぐことはできないと最初から割り切っている。大切なのは嫌がらせをやられても動じない神経を作ることであり、相手が嫌がることを倍返しでやることだ。
明後日は大江・岩波沖縄戦裁判の判決が出る。結果はどうであれ、この裁判は最高裁まで行くだろう。「集団自決」(強制集団死)をめぐる問題は、まだ始まりにすぎない。原告側や藤岡信勝・小林よしのりらが狙っているのは、沖縄戦全体の認識を「殉国美談」にひっくり返すことだ。彼らにとっては沖縄戦の実相などどうでもいいことだろう。「日本軍の名誉回復」という目的のために、これまで積み重ねられてきた沖縄戦研究や住民証言を無視して、自分たちの意図をゴーマンに押し通していくだけだ。
その内容のいい加減さに、相手にすること自体バカバカしさを覚えることも多いが、黙っていれば相手を増長させることになる。「たとえ嘘でもメディアでより多く流通させれば勝ち」そういう手法で来る者たちに対して、沖縄からきちんと声を上げ、対抗言論を築くことが、これからますます重要になる。
「集団自決」の体験者をはじめ、沖縄戦を生き延びた人たちが、彼らの起こした裁判や行動で、忘れようと努めていた記憶を呼び起こされ、穏やかに暮らしていたはずの老後の生活をかき乱されて、新たな苦しみを強いられている。9.29県民大会での高校生の発言を皮肉り、「おじーも時には嘘をつく」とあざけっている秦郁彦のようなゲスもいる(『自由』08年4月号参照)。こういう連中をけっして許しはしない。
周囲を探しても壊された部品はなく、犯人が持ち去ったのが分かった。嫌がらせをやられたわけだが、すぐに頭に浮かんだことがいくつかあった。12月26日は「集団自決」の日本軍強制をめぐる教科書検定問題で、教科書会社から出された訂正申請に対し、文部科学省が再度の審議結果を出した日だった。また、二日前の24日には、小林よしのりを批判する評論を琉球新報に発表していた。
これまで行ってきた教科書検定問題への言及や小林よしのりへの批判を快く思わなかった者による仕業だろうと思ったが、犯人を確定できたわけではない。基地問題その他で反感を持っている奴も多いと思うから、その線もある。ただ、タイミング的にはやはり教科書検定がらみの嫌がらせの可能性が高いだろう。
この手の嫌がらせは過去にも何度かあった。名護市長選挙公募の運動をやっていたときには、車のボンネットに猫か犬の胎児を叩きつけられたこともある。腹が割けて血と内臓がボンネットに飛び散り、へばりついた体を剥がすのは気持ち悪かったが、若い頃からいろいろ経験したおかげで、その程度のナーバスは屁とも思わない。
昨年の嫌がらせも中古車会社から安い部品を探すことができて助かった。この手の嫌がらせを防ぐことはできないと最初から割り切っている。大切なのは嫌がらせをやられても動じない神経を作ることであり、相手が嫌がることを倍返しでやることだ。
明後日は大江・岩波沖縄戦裁判の判決が出る。結果はどうであれ、この裁判は最高裁まで行くだろう。「集団自決」(強制集団死)をめぐる問題は、まだ始まりにすぎない。原告側や藤岡信勝・小林よしのりらが狙っているのは、沖縄戦全体の認識を「殉国美談」にひっくり返すことだ。彼らにとっては沖縄戦の実相などどうでもいいことだろう。「日本軍の名誉回復」という目的のために、これまで積み重ねられてきた沖縄戦研究や住民証言を無視して、自分たちの意図をゴーマンに押し通していくだけだ。
その内容のいい加減さに、相手にすること自体バカバカしさを覚えることも多いが、黙っていれば相手を増長させることになる。「たとえ嘘でもメディアでより多く流通させれば勝ち」そういう手法で来る者たちに対して、沖縄からきちんと声を上げ、対抗言論を築くことが、これからますます重要になる。
「集団自決」の体験者をはじめ、沖縄戦を生き延びた人たちが、彼らの起こした裁判や行動で、忘れようと努めていた記憶を呼び起こされ、穏やかに暮らしていたはずの老後の生活をかき乱されて、新たな苦しみを強いられている。9.29県民大会での高校生の発言を皮肉り、「おじーも時には嘘をつく」とあざけっている秦郁彦のようなゲスもいる(『自由』08年4月号参照)。こういう連中をけっして許しはしない。
目取真さん、本日、沖縄タイムスとOTVにはこの件メールしました。まだ返事はありませんが。とにかく、確かめていただくために1992年制作のビデオ「戦争を教えて下さい・沖縄編」を探してください。このビデオは東京都では沖縄戦関係資料閲覧室で視聴できます。平日のみです。ビデオの貸し出しはしておりませんので、録音機を持ち込むか、筆記するしかありません。都内で都合のつく方に視聴していただいたらどうでしょうか。http://www.okinawa-sen.or.jp/
また、ネットで販売もしております。
http://www.videoact.jp/shop/shop.cgi?bunrui=1&order=&FF=10
更に、生活クラブ埼玉では貸し出しをしております。
http://club-urawa.main.jp/xoops/modules/tinycontent1/index.php?id=7
ビデオは第1部に金城重明先生が証言しておりますので、沖縄では金城先生が所有されているのではないでしょうか。といっても16年前のものなので書架の裏とかに埋もれていて見つからないかもしれませんが。
この1992年制作のビデオ「戦争を教えて下さい・沖縄編」の最も重要な証言部分である3月23日から26日にかけての彼の証言は下記の通りです。
(3月23日)
役場からの命令で生徒を引率して食糧増産の為に畑に行った。米軍の飛行機は子供を見ても攻撃をしてこなかった。子供とわかっていたようだ。
(3月24日)
23日の晩からずっと壕の中に家族だけでいた。奥行き3メートル位の壕に7名の家族がいた。72歳のじいさん、ばあさん、母、姉、本人、4歳の弟、6歳の妹だった。
(3月25日)
20時30分から21時頃、「軍は玉砕命令出ているから、民間人もこれから自決するから遅れる者は死に損ねるから早めに集まるように」との指示があった。それで忠魂碑の前に裸足で行った。皆、裸足だった。忠魂碑の前では皆すすり泣きしていた。みんなお母さん達だった。軍と共に自決するのだと覚悟したそのお母さん達は、どの様にして子供達を殺せばよいのだろうか、死んでお父さんに会えるだろうかと悩んでいた。わめく人はいなかった。そのうちセスナが飛んで来て照明弾が落とされ、5分もしないうちに艦砲が落ち始めたので、ここでは自決出来ないから各自分散して各壕で死ぬようにという命令だった。
(3月26日)
4時30分から5時は凄い艦砲だった。自分の壕に辿り着いたのは夜が明けた頃だった。その時は艦砲で体に傷を受けていた。米軍に見つからない様にここから逃げようと家族と話し合った。母に「お前は歩く事は無理だろう」と言われた。12時30分頃に米軍が壕の前に来た。「デテコイ」と言われた。米兵に囲まれて着剣を突き付けられた。手を上げて家族全員で壕を出て行った。背中と足に傷があったが歩けた。
これで新証言と言われている内容は当人の過去の証言で否定されました。「各壕で死ぬようにという命令だった」と本人が証言しているからです。もっとも、誰から命令が下ったとは言っておりません。軍からなのか官からなのか。でも23日から26日までは新証言とは違う内容です。
宮平氏の証言は色んな形でこれから検証されるでしょう。
誰よりもつらい体験をした座間味島の人たち同士が、証言をめぐって対立する形になるのは、見ていて胸が痛みます。
それだけに、藤岡氏らの行為を赦してはならないと考えています。