海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

公開希望

2008-10-01 14:26:00 | 「集団自決」(強制集団死)
 大江・岩波沖縄戦裁判の原告・控訴人(梅澤・赤松)を支援する南木隆治氏のブログは、原告側の準備書面や意見書が載るので、よく利用させてもらっているのだが、大阪高裁に提出された藤岡信勝氏の意見書(2)が9月10日に同ブログに載ったので、早速読ませてもらった。おそらく読んだ誰もが思った疑問は、意見書(2)が載っているのに、どうして意見書(1)は載らないんだ?ということだろう。藤岡氏のことだから、また何かへまをやらかしてしまい、それで載せないのだろうかと推察してしまうのだが、被告・被控訴人(大江・岩波)側が大阪高裁に提出した準備書面(5)の「藤岡意見書及び宮平秀幸証言の信用性」に、それをうかがわせる一節がある。

〈1 甲B111~113に記載された宮平秀幸の証言が、母貞子の手記との食い違い、秀幸自身のビデオ証言や本田靖春に対する証言との食い違い、宮平春子証言や宮城初枝証言などとの食い違いなどから、全く信用できないものであることは、被控訴人準備書面(2)に記載したとおりである。
 2 これに対し、控訴人らは、藤岡信勝の意見書(1)(甲B132)及び(2)(甲B145)を提出し、上記の食い違いについて辻褄合わせを試みようとしているが、上記の食い違いはあまりにも重大かつ決定的な食い違いであり、藤岡意見書が勝手な憶測により食い違いの理由をどのように解釈しようとも、秀幸証言は虚偽を述べたものというほかない。
 藤岡意見書も、「秀幸は、場面を描写的に再現する語り方をする証言者で、体験したことではないのに自分の直接体験であるかのように語る人物であり、自分が語りたいと思っていることを文脈抜きで語る傾向があり、あまりにもビビッドに語るので彼がその場にいたのだと錯覚したこともあった」としている(甲B132・17頁)。すなわち、秀幸は、体験していないことを体験した事実であるかのように話してしまう特異な性格の人物であり、秀幸証言は全く信用できないものである(秀幸のこのような性格は地元ではよく知られたことであるー乙110)〉。
 
 甲B132=藤岡意見書(1)の17頁に記されているという上記の引用が、どのような論理展開の中で書かれたのかは分からないが、宮平氏の人物評価として藤岡氏がそう書いているのなら、愚かとしか言いようがない。宮平証言を広く紹介、宣伝した当の本人が、宮平氏は〈体験したことではないのに自分の直接体験であるかのように語る人物〉と書いているというのだから、裁判長も宮平証言を読む時にはたっぷりと眉に唾をつけたことだろう。それにしても、こういうことを書けば裁判でマイナスになると藤岡氏は気づかなかったのだろうか。また、裁判所に提出する前に弁護団はチェックして指摘しなかったのだろうか。別に書かなくてもいいことをわざわざ書いて自爆しているのだから、不思議な人たちだ。
 まあ、藤岡意見書(1)が南木氏のブログに載らないのは、上記のような自爆的な文章があるからだと断定するつもりはないし、逆に私の推測が誤りで、一日も早く同ブログに載ることを期待したい。
 あわせて宮平秀幸氏の陳述書も載せてほしいのだが、これが裁判所に提出されたのが9月5日というのも、実におかしな話だ。1月26日の座間味島における宮平氏との「偶然」の出会い以来、藤岡氏や鴨野守氏、秦郁彦氏をはじめ産経新聞、チャンネル桜などは、宮平証言を大々的に宣伝してきた。3月10日には沖縄県庁の記者クラブで藤岡氏や宮平氏は記者会見も行っている。その経緯を藤岡・鴨野氏は以下のように記している。
〈この新証言(筆者注・宮平証言)は二月十六日にチャンネル桜で放映され、二十三日付産経新聞が独自取材でスクープし、三月一日発売の雑誌『正論』四月号に藤岡が、同じく『諸君!』四月号に鴨野がレポートを書いた。世界日報は三月三日と八日の紙面で詳細に報道した。しかし、沖縄のメディアは黙殺を決め込んだ。
 そこで、三月十日、宮平は沖縄県庁の記者クラブで記者会見を行い、口頭で話すとともに「座間味島集団自決の『隊長命令』について」と題する文書をまとめて発表した。記者会見を主催した「新しい歴史教科書をつくる会」の代表、藤岡が解説的コメントを加えた〉(『WiLL』2008年5月号)。
 『WiLL』5月号には宮平氏本人がまとめた文書が、藤岡氏の解説付きで紹介されている。宮平氏はすでに3月10日の段階で自らの証言を文書にまとめていたのである。それなら多少の加筆修正を施して陳述書に仕上げ、すぐにでも裁判所に提出してよさそうなものだ。しかし、実際に陳述書として提出するまでには、それから半年もかかってしまったのだ。 
 その理由は言うまでもないだろう。宮平証言が鳴り物入りで宣伝されて以来、梅澤裕氏や宮城初枝氏の証言との食い違いをはじめ、宮平氏の母親である貞子氏の手記との食い違い、さらには宮平氏本人が過去に行ってきた証言との食い違いが、次々に明らかにされていった。そのために辻褄合わせに汲々とせざるを得なくなったのが宮平氏や藤岡氏らだったのだ。この半年間、宮平証言をめぐっては原告側弁護団、支援者らの内部でも相当の混乱と対立があったのではなかろうか。2月から3月にかけて右派メディアを使い宮平証言の大々的な宣伝したのに、いまではそれもすっかり影を潜めてしまい、9月9日の法廷における徳永信一弁護士の対応もまったく素っ気ないものだった。
 結審の4日前になって、やっと法廷に提出された宮平氏の陳述書はどのようなものか。3月10日に発表された文書と内容はどう変わっているのか。多くの人が関心を持っているだろう。3月の時点では記者会見まで行って公表し、あれだけ派手に宣伝したのだから、今になって宮平氏の陳述書を公開しない理由はないだろう。南木氏のブログで(それ以外でもかまわない)一日も早く公開してほしいものだ。

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6 コメント

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準備書面も未公開 (ni0615)
2008-10-01 15:21:28
原告支援の会(南木氏管理)の公式ブログは、今日になってようやく「原告準備書面(3)」を公開しました。これが最終準備書面だとすると、それより前の原告準備書面(1)(2)もあった筈ですが、それらは未だ公開されていません。

ご指摘の、藤岡意見書(1)と宮平秀幸氏の陳述書、および宮平昌子氏の陳述書の公開は、私も強く求めます。

藤岡信勝氏自ら、「結審直前の論争で原告側が圧倒的な優位に」と豪語している以上、その論争内容を明らかにしてほしい。

もっとも論争の現実がそうした豪語とは全く違って、公表したくない原告側にとって、全く持ってオソマツなものであるならば仕方ないが。

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そういえば (ni0615)
2008-10-01 15:30:37
そういえば、照屋昇雄は証人申請もなされず陳述書も提出されなかったんでしたね。
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昌子陳述書 (和田)
2008-10-03 10:49:46
http://www.jiyuu-shikan.org/rekishi169.html
上記から引用
「宮平証言の信憑性を否定する被告側の最大の根拠は貞子証言である。私は原告側弁護団に依頼されて8月上旬、那覇に飛び、再反論のための証拠を集め、関係者の陳述書をまとめた。論点は多岐にわたるが、決定的な一点だけを紹介しよう。宮平家には、当時6歳の昌子さんがいた。私は、一家が防空壕から出た時の家族の服装を覚えていれば証言してもらえると期待した。晴れ着を着ていれば、それは忠魂碑前で自決するための死に装束を意味するからである。意外にも昌子さんは、家族の服装だけでなく、みんなで忠魂碑前に行ったこと、そこで秀幸兄さんと合流したことなど、貞子証言を否定し、宮平証言を裏づける決定的な陳述書を出して下さったのである。」
被告準備書面にも昌子という名前が出ます。
昌子陳述書と藤岡意見書は別ですが、藤岡意見書では昌子陳述書を踏まえて論理展開しているのでしょう。
しかし、藤岡の関係者の陳述書をまとめたという表現は、藤岡自身が昌子陳述書に手を加えたという印象を持たせてしまうのだが。
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Unknown (目取真)
2008-10-03 21:09:14
自由主義史観研究会のホームページは時々見ているので、藤岡氏のはったりだらけの文章も読みましたが、この人はホントに墓穴を掘るのが好きですね。
藤岡氏は座間味島に行って宮平秀幸証言を裏づける別の証言者を探し回っていたのですが、当然のことながら(いるはずもありませんから)見つけることができず、秀幸氏の妹・昌子氏に陳述書を提出させたわけです。
しかし、当時6歳だったという昌子氏の陳述書と母・貞子氏の手記のどちらが信用できるものであるかは、自ずと明らかでしょう。
親子の間を傷つけ、島の住民の人間関係を傷つけ、藤岡氏がやっていることが、どれだけあとあと問題を残すか。
その罪深さを藤岡氏は自覚すらしていないでしょう。
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偽証罪 (ni0615)
2008-10-04 04:00:30
陳述書というのは偽証罪に問われないそうですね。
そういえば、原告側の決定的証人は、決して法廷で宣誓証言しない。証人申請をしてないのです。
照屋昇雄さん然り
宮平秀幸さん然り
そうして秦郁彦さんは証人申請しましたが、藤岡信勝さんは証人申請しませんでしたね。
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最後まで公開の裁判支援を! (京の京太郎)
2008-10-06 13:58:48
原告側の控訴理由書は要旨のみの公開で、いまだ本文の公開がない。第1回の控訴審の法廷で裁判長より数カ所だったか、誤記を指摘されていたが、いまだに訂正しえないのだろうか。公開できないまま判決日をむかえるのか?原告支援団には1審時の裁判資料の公開力だけは持続していただきたい。被告側も1審時の裁判資料を要旨だけでなく本文を公開していただきたい。2審は支援団体の公開力が逆転していて、法廷での論争の勢いをウエブで見せつけられているように感じている。最後までオープンでフェアな裁判論争が展開されんことを望みます。
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