鳳凰木の花も終わりかけ、枝には大きな鞘がぶら下がっている。福木の下には黄色く熟んだ実が転がって異臭を放っている。蝉の鳴き声も変わり、季節の変化が乏しいと言われている沖縄にも様々な変化が表れている。台風の影響で雨模様の天気が続いたので、畑地や森のそばの道を通るとアフリカマイマイが這っていて、それをブチブチひき潰しながら車を走らせている状態だ。
以前、他府県の人に、これは食べられませんか、聞かれたことがある。元は食用として輸入され、戦後の食糧の乏しい時期に飢えを救ったという話もあるのだが、実は広東住血線虫の宿主でもあるのだ。テレビの報道特集でもその危険性に触れていたと思うが、実際に米軍関係者の子どもがアフリカマイマイの死骸をいじり、手を洗わずに食事をしたために広東住血線虫が体内に侵入し、脳にまで入り込んで死亡したということもあった。まー、食べない方が無難でしょうね。素手で触ったら必ず石鹸で手を洗うよう、要注意。
抜け殻はアマムー(またはアーマン・オカヤドカリ)のいい住処なのだが、子どもの頃はアマムーの入った殻の尻をライターであぶったり、穴を開けて釘で突いたりして、アマムーを外に出したりしたものだ。海の近くの福木の下には、落ちた実を食べにアマムーが集まってくる。それをとって釣りの餌によく使ったのだが、アマムーが天然記念物だとはその頃誰も知らなかった。沖縄が日本復帰する前は小笠原諸島にしか棲息していなかったので珍しかったから、とかいうのを何かで読んだことがあるが、今でも実家の裏庭で当たり前に見かける。子どもたちにはガイケー(キノボリトカゲ)やパブヌクジケー(カナヘビ)と並んでいい遊び相手だった。
つい先週、実家の池で大きなマンタンバ(アカマタ)が蛙を食べていた、という話を母から聞いた。去年、裏庭で一メートル五十センチくらいのマンタンバが二匹、くんずほぐれつして交尾をしていたのだが、その片割れかもしれない。マンタンバがいるくらいだからパブ(ハブ)もいるだろうと、庭作業をする時には注意をしている。とは言っても、作業に没頭するとすぐに忘れるのだが。
その池には十年ほど前からシロアゴガエルが繁殖するようになっている。ベトナム戦争のときに米軍の戦車やジープに付着した泥と一緒に沖縄に入り込んだ、という話があるのだが、その名の通りあごの所が白くなっていて、足が長く体も細長い。泡に包まれた卵が池の縁石や睡蓮の葉に産み付けられていて、在来のカエルよりも繁殖力があるのだろう、いつの間にか池のカエルの主流派になってしまった。
一方で、以前は近所の川でよく耳にした食用ガエルの鳴き声を最近耳にしなくなった。子どもの頃は田んぼの用水路にでかいオタマジャクシが泳いでいて、捕ってきて飼ったりしたものだが、体がでかい分環境変化の変化に適応しきれなかったのだろうか。叔父が伊平屋島の生まれで、島からたくさん捕ってきて、お汁にして食べたこともあった。太ももの肉が美味しかった記憶がある。最近は伊平屋島でも食用ガエルは減っていると聞いた。アタビチャーにも時の流れがあるわけだ。
以前、他府県の人に、これは食べられませんか、聞かれたことがある。元は食用として輸入され、戦後の食糧の乏しい時期に飢えを救ったという話もあるのだが、実は広東住血線虫の宿主でもあるのだ。テレビの報道特集でもその危険性に触れていたと思うが、実際に米軍関係者の子どもがアフリカマイマイの死骸をいじり、手を洗わずに食事をしたために広東住血線虫が体内に侵入し、脳にまで入り込んで死亡したということもあった。まー、食べない方が無難でしょうね。素手で触ったら必ず石鹸で手を洗うよう、要注意。
抜け殻はアマムー(またはアーマン・オカヤドカリ)のいい住処なのだが、子どもの頃はアマムーの入った殻の尻をライターであぶったり、穴を開けて釘で突いたりして、アマムーを外に出したりしたものだ。海の近くの福木の下には、落ちた実を食べにアマムーが集まってくる。それをとって釣りの餌によく使ったのだが、アマムーが天然記念物だとはその頃誰も知らなかった。沖縄が日本復帰する前は小笠原諸島にしか棲息していなかったので珍しかったから、とかいうのを何かで読んだことがあるが、今でも実家の裏庭で当たり前に見かける。子どもたちにはガイケー(キノボリトカゲ)やパブヌクジケー(カナヘビ)と並んでいい遊び相手だった。
つい先週、実家の池で大きなマンタンバ(アカマタ)が蛙を食べていた、という話を母から聞いた。去年、裏庭で一メートル五十センチくらいのマンタンバが二匹、くんずほぐれつして交尾をしていたのだが、その片割れかもしれない。マンタンバがいるくらいだからパブ(ハブ)もいるだろうと、庭作業をする時には注意をしている。とは言っても、作業に没頭するとすぐに忘れるのだが。
その池には十年ほど前からシロアゴガエルが繁殖するようになっている。ベトナム戦争のときに米軍の戦車やジープに付着した泥と一緒に沖縄に入り込んだ、という話があるのだが、その名の通りあごの所が白くなっていて、足が長く体も細長い。泡に包まれた卵が池の縁石や睡蓮の葉に産み付けられていて、在来のカエルよりも繁殖力があるのだろう、いつの間にか池のカエルの主流派になってしまった。
一方で、以前は近所の川でよく耳にした食用ガエルの鳴き声を最近耳にしなくなった。子どもの頃は田んぼの用水路にでかいオタマジャクシが泳いでいて、捕ってきて飼ったりしたものだが、体がでかい分環境変化の変化に適応しきれなかったのだろうか。叔父が伊平屋島の生まれで、島からたくさん捕ってきて、お汁にして食べたこともあった。太ももの肉が美味しかった記憶がある。最近は伊平屋島でも食用ガエルは減っていると聞いた。アタビチャーにも時の流れがあるわけだ。