ハンセン病市民学会・名護集会1日目は、開会式、総会に続いて交流集会がもたれ、二つのパネルディスカッションが行われた。
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第1部は「ハンセン病回復者のいま」と題して、青木美憲氏(邑久光明園副園長)がコーディネーターを務め、パネリストとして神美知宏氏(全国ハンセン病療養所入所者協議会会長)、平良仁雄氏(沖縄愛楽園退所者、沖縄愛楽園ボランティアガイド)、宮里良子氏(ハンセン病回復者家族、れんげ草の会)の3氏が発言した。
開会あいさつでも触れられているようにハンセン病療養所退所者の4割が沖縄在住という。今回の市民学会では、そのことをふまえて退所者の問題が取り上げられ、ハンセン病回復者であることをカミングアウトして啓発活動をしている平良氏や金城幸子氏、知念正勝氏、宮良正吉氏が、交流集会や分科会でパネリストとなり、退所者としての自らの体験や思い、退所者が直面している問題などを語っていた。
国が進めた隔離政策によって作られた市民の偏見と差別は根深く、ハンセン病は完治しているにもかかわらず退所者の多くは、自らの病歴を隠して生きていかざるを得なかった。職場や地域の人に知られることを恐れ、妻や夫、子どもにさえハンセン病だったことを隠して生きてきた退所者もいる。退所者は体だけでなく心にも深い後遺症を負っている、という平良氏の発言は重かった。
ハンセン病に対する偏見と差別は、患者・回復者だけでなく家族にも向けられた。強制隔離によって家族が引き裂かれただけでなく、差別を恐れて身内にハンセン病患者、回復者がいることを隠して生きてきた人も多い。ハンセン病の両親のもとに生まれた宮里氏は、この4月に自らの体験をまとめた『生まれてはならない子として』(毎日新聞社)を出版されている。
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第2部は「いまぬけだそう!ー手をつなぎ共に生きる社会へー」と題して、山城紀子氏(フリーライター)がコーディネーターを務め、金城幸子氏(沖縄愛楽園退所者、『ハンセン病だった私は幸せ』著者)、井上昌和氏(北海道HIV訴訟元原告、薬害エイズを考える会)、新里よし子氏(『体験の世界 窓辺に光を~精神病なんて怖くない』著者)、上里一之氏(チーム沖縄代表、「障がいのある人もない人もいのち輝く条例づくりの会」共同代表)の4人がパネリストとして発言した。
薬害エイズ被害者の井上氏や精神、身体に障がいを持った新里、上里氏が参加したこのパネルディスカッションは、今回の「ハンセン病市民学会in名護・宮古島」のメインテーマに沿ったものであり、ハンセン病回復者の問題を他の障がい者の問題と関連させて考え、運動の広がりと協力、共生を作り出す試みとして評価する声が会場からあった。
4氏の発言は紹介する余裕がないが、それぞれ心身に負ったハンディと周りの偏見・差別に立ち向かって生きてきた人たちだけに、言葉に力があった。
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交流集会の後、名護市民会館中ホールで全原協・全療協・弁護団・ハンセン病市民学会主催「国賠訴訟10周年 レセプション」が行われた。全国の各療養所から参加された皆さんのあいさつがあり、名護市伊差川青年会のエイサーと全員参加のカチャーシーで大いに盛り上がった。
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第1部は「ハンセン病回復者のいま」と題して、青木美憲氏(邑久光明園副園長)がコーディネーターを務め、パネリストとして神美知宏氏(全国ハンセン病療養所入所者協議会会長)、平良仁雄氏(沖縄愛楽園退所者、沖縄愛楽園ボランティアガイド)、宮里良子氏(ハンセン病回復者家族、れんげ草の会)の3氏が発言した。
開会あいさつでも触れられているようにハンセン病療養所退所者の4割が沖縄在住という。今回の市民学会では、そのことをふまえて退所者の問題が取り上げられ、ハンセン病回復者であることをカミングアウトして啓発活動をしている平良氏や金城幸子氏、知念正勝氏、宮良正吉氏が、交流集会や分科会でパネリストとなり、退所者としての自らの体験や思い、退所者が直面している問題などを語っていた。
国が進めた隔離政策によって作られた市民の偏見と差別は根深く、ハンセン病は完治しているにもかかわらず退所者の多くは、自らの病歴を隠して生きていかざるを得なかった。職場や地域の人に知られることを恐れ、妻や夫、子どもにさえハンセン病だったことを隠して生きてきた退所者もいる。退所者は体だけでなく心にも深い後遺症を負っている、という平良氏の発言は重かった。
ハンセン病に対する偏見と差別は、患者・回復者だけでなく家族にも向けられた。強制隔離によって家族が引き裂かれただけでなく、差別を恐れて身内にハンセン病患者、回復者がいることを隠して生きてきた人も多い。ハンセン病の両親のもとに生まれた宮里氏は、この4月に自らの体験をまとめた『生まれてはならない子として』(毎日新聞社)を出版されている。
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第2部は「いまぬけだそう!ー手をつなぎ共に生きる社会へー」と題して、山城紀子氏(フリーライター)がコーディネーターを務め、金城幸子氏(沖縄愛楽園退所者、『ハンセン病だった私は幸せ』著者)、井上昌和氏(北海道HIV訴訟元原告、薬害エイズを考える会)、新里よし子氏(『体験の世界 窓辺に光を~精神病なんて怖くない』著者)、上里一之氏(チーム沖縄代表、「障がいのある人もない人もいのち輝く条例づくりの会」共同代表)の4人がパネリストとして発言した。
薬害エイズ被害者の井上氏や精神、身体に障がいを持った新里、上里氏が参加したこのパネルディスカッションは、今回の「ハンセン病市民学会in名護・宮古島」のメインテーマに沿ったものであり、ハンセン病回復者の問題を他の障がい者の問題と関連させて考え、運動の広がりと協力、共生を作り出す試みとして評価する声が会場からあった。
4氏の発言は紹介する余裕がないが、それぞれ心身に負ったハンディと周りの偏見・差別に立ち向かって生きてきた人たちだけに、言葉に力があった。
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交流集会の後、名護市民会館中ホールで全原協・全療協・弁護団・ハンセン病市民学会主催「国賠訴訟10周年 レセプション」が行われた。全国の各療養所から参加された皆さんのあいさつがあり、名護市伊差川青年会のエイサーと全員参加のカチャーシーで大いに盛り上がった。