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海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

平敷兼七写真集『山羊の肺』

2009-10-08 17:44:41 | 読書/書評
 10月3日に亡くなった平敷兼七氏の写真集である。あらためてページを繰ってみれば、平敷氏がカメラによって創造した独自の世界が広がっている。特に素晴らしいのが「渚の人々」を中心とした人物写真だ。78ページの「私にジュースをおごってくれた女性〈コザ中之町二〇〇五〉」はドストエフスキーの小説から抜け出てきたようであり、82ページの「美尻毛原(ビジュウルモウバル)の卒業生(沖縄で最初の養護学校の卒業生)〈佐敷一九八〇〉」の醸し出す凄みや95ページの「鰹のさばき名人〈与那国一九七〇〉」の肉体や横顔の陰影、102ページ「町を掃除している老人〈浦添一九八八〉」の笑顔など、一人ひとりの存在感が際だち、生きてきた歴史が浮かび上がるようだ。
 101ページの「の人たちが足のきれいなおばあさんだと言っている〈今帰仁上運天一九七一〉」は、平敷氏の生地での写真だが、売店のあまはじ(軒下)の腰かけに座っている老女の毅然とした表情と「きれいな足」の肉感、着ている着物、駄菓子の下がった売店の様子など、日常のありふれた場面に老女の気品を伝え、日本復帰前のヤンバル、シマンチュを撮った写真として傑作だと思う。後ろに置いた麦わら帽子をかぶり、牛乳瓶や紙袋を抱いて日差しの中を歩いていく老女の後ろ姿までが目に浮かぶし、そこからいくつものストーリーが喚起される。
 『「職業婦人」たち』は被写体となった女性たちの信頼を得なければ撮ることのできない写真が数多くある。平敷氏にそれが可能だったのは、女性たちの存在を丸ごと肯定し、慈しむことによって、写真を撮るという行為が持つ暴力性をやわらげることができたからだろう。そこには一つの職業を生きた女性たちの生活が写し出されている。124ページと125ページの構成は、暗闇に浮かぶ女性のお尻を路上に座った子どもたちが見て笑っているようだが、子どもたちの笑顔は後ろ姿の女性が背負っていたものであり、女性を支えていたものでもあったろう。
 一枚一枚の写真について書いていくと切りがないのでこれくらいにするが、まだ手にしたことのない人にぜひ一度は見てほしい写真集として紹介したい。
 『平敷兼七写真集 沖縄一九六八ー二〇〇五年 山羊の肺』は2007年4月20日に影書房より発行されている。

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1 コメント

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Unknown (豊里)
2009-10-12 20:33:39
こんにちは。
写真家の平敷兼七(へしき けんしち)の世界を紹介するブログを担当していました。

http://hesiki.ti-da.net/

たんたんと歴史を記録する平敷兼七さんの存在は頼りがいのある先輩写真家でいろいろ相談にものってもらいました。
今度の『彫刻家 金城実の世界』豊里友行写真録も彼はすごく楽しみにしていました。
亡くなったのは大変残念です。
平敷さんの膨大な作品を世に出すべきコーディネーターが現れるといいのですが・・・。
生前の平敷兼七さん曰く、『ユタ巡礼』(沖縄のユタを長年取材したシリーズ)、『沖縄の文化人』シリーズも本にまとめたがっていた。
他にも『栄町』など長年撮りためているものもあり、私は平敷さんと飲みながら彼が写真を被写体になった人々に贈呈しているのを見ているだけにいい作品が山のように埋もれてしまうのは大変惜しい。
61歳というのも人の運命というものはわからないものだと私には思えてならない。
今の私は、つい最近電話で平敷さんに叱咤激励されたように自分の世界を創るために日々精進するしかない。
写真家だけの問題ではないが作品が必ずしも作者自身によって日の目に会うとは限らない・・・。
御冥福を祈るばかり。
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