火曜日、母が退院して家に戻ってきました。
あまりに忙しすぎて、わけがわからぬまま過ぎ去った2月。
気が付いたら、もう「ひな祭り」なんですね
入院途中、出血がみられ、婦人科受診のために医療センターまで医療タクシーで往復したり…
退院当日も、検査結果説明と再検査のために自家用車で医療センターまで送迎したり…
自宅に帰ったら帰ったで、世話のために色々やらなければならないこともあり…
地域包括支援センターに行って介護認定を申請したり…
とにかく、仕事以外に、家事、通院、介護という重責が双肩にのしかかってきます。
家族も、掃除やゴミ出しや洗い物や洗濯物の取り込みなどを手伝ってはくれるものの…
家事には、そんな大きなくくりでは言えないような細かい部分の仕事があり…
その全ては結局主婦の肩にかかってくるのです。
それが現実です。
実は、横浜の湯まで母をわざわざ連れて行ったのには、訳がありました。
年末のNHKスペシャル「人生100年時代を生きる」2回シリーズ。
その番組内で取り上げられていた「アドバンスケアプランニング」。
まだ聞きなれない言葉で、世間での認知度は低いと思います。
「終末期医療計画」とでも言うのでしょうか。
予期せぬことが突然起こる前に、また認知症になって本人の意思が確認できなくなる前に、終末期にどんな医療を望むのか、本人の意思を事前に確かめて文書に残しておくことです。
もともと心臓疾患(不整脈)と上行大動脈瘤という爆弾を抱えていた母。
なぜかそのNHKの録画を見た時、私は一刻も早く「アドバンスケアプランニング」を書かなくては…という思いに駆られたのでした。
そこで、少し遠出をして旅行気分で、いつもとは違う温泉でゆっくりしながら、私と一緒に「アドバンスケアプランニング」を書く場をセッティングしたのでした。
ついでに「エンディングノート」も紹介し、これから一緒に少しずつ記入して行こうね、そう切り出そうという計画だったのです。
ところが、こちらの気遣いは杞憂で、母は「アドバンスケアプランニング」も「エンディングノート」も意外にもすんなり受け入れてくれました。
そして、広~いお食事処の一角で、楽しく食事をしながら、母娘でああだこうだと言いながら一緒に書いたのでした。
まさに、その帰り道
母は大動脈解離で倒れたのです
あまりのタイミングの良さに、絶句
虫の知らせか第六感か…何か「予見」が働いていたのかもしれません
あのまま横浜で倒れていたら…
私と一緒でなかったら…
考えただけで、恐ろしいです
…ということで覚悟をしていた「介護生活」がついに始まりました
入院している時は、病院から着信があるたびに母の身に何かあったのではと…
ドキドキして気も休まらなかったので、とにかく早く退院しないかと思っていました。
ところが、退院したら退院したで、精神的負担は減りましたが、肉体的負担がぐっと増えるんですね。
でも、奇跡の連続で生かされた母の命
神様に感謝して、大切に守っていかなければなりません
母の年齢にしては医師や看護師も驚く回復力。
今回の病気で障害が残ったり、今のところ認知症でもなく…
まだまだ日常生活の介助・介護は必要ですが…
本当に有り難いと思わなければ…
そう思って、毎日頑張っています
そんな時、年長さんがくれたお手紙と花束は、本当に有り難く、心に深く染みます
ありがとう~~~