咲とその夫

 思いもよらず認知症になった「咲」の介護、その合間にグラウンド・ゴルフを。
 週末にはちょこっと競馬も。
 

今週の追っかけ馬(1/9,10,11)

2010-01-08 22:17:46 | スポーツ
 今週は、三日間開催の正月競馬と言うことで、“迎春”“新春”“初春”などの冠の特別レースが組まれている。
 新年早々のいい流れを受けて、今週も・・・・・・・・頑張って行こう


[土曜日の追っかけ馬]
京都12R ⑧フロムスクラッチが出走予定。
 前走は、牝馬限定の1200mダート戦4ヶ月の休養明け、3番人気ながらしぶとく逃げて勝利し、2着に入ったマヤフィオーレとのウマタンを頂いた。
 今回は、混合の1000万下1200mダートの昇級戦となる。降級前に1000万下を2走しているが、13着、7着と分が悪い。

 京都コース0-1-1-2であり、今回のメンバー中、京都1200mダートの持ちタイムが最下位であることも気がかりであり、前に行きたがる同型との兼ね合いもあり、かなり厳しいと思われる。
 掲示板確保なら良し・・・・・・としたい。
 
 ところが、夕方の専門紙の調教欄をみたら、6F81.4 3F37.7 1F12.3 といい感じで上がっている・・・・・ひょっとしたら、ひょっとするかも!!


[土曜日結果]
京都12R ⑧フロムスクラッチ・・・・・15着



[日曜日の追っかけ馬]
中山11R ⑪ヒシカツリーダーが出走予定。
 前走の成績は、後方追走のまま伸びず5番人気ながら、最下位の13着であったが、“ジャニュアリーS”の昨年の勝ち馬でもあり、反撃を期待したい。
 1800mダート辺りが得意ながら、1200mダートで2勝、しかも中山競馬場での勝利。
 今回も強豪相手に、大外からキッチリ差して・・・・・・・・連確保を期待。勝春さん頼みますよ

 5日の京都最終レースで、小島貞博厩舎の14番人気エリモサリュートが逃げ切って初勝利。小島貞博厩舎の2勝目は・・・・・・・ヒシカツリーダーで!!(夫)


[日曜日結果]
中山11R ⑪ヒシカツリーダー・・・・・・11着



「ノーザンホースパークにて」(苫小牧市美沢)


伊達政宗と真田信繁(幸村)

2010-01-08 22:17:30 | レビュー
 6日夜、戦国武将伊達政宗と真田幸村の物語の一端が、NHK歴史秘話ヒストリアで放映されると分かり、歴史好きの娘に連絡。

 「ありがとう必ず見ます。」とメールで返信があった。

 仙台藩62万石の礎を築いた伊達政宗、子供たちが中学生と小学生の頃、青葉城址など政宗ゆかりの地を旅したことがある。
 娘は、取り分け政宗が大好きで、この時の旅は、相当興味深く新鮮であったようである。今では右目の不自由なチワワに「政宗」と名づけている。






 伊達政宗は、幼い時病(天然痘)で片目を失明し、そのハンデを独眼竜政宗として見事に乗り越え、漆黒の鎧兜で身を包み黒の軍団として名を馳せ東北一の大々名となり、70歳で没している。

 一方、真田信繁(幸村)は、父昌幸と関が原の戦いで信州上田城に立てこもり、徳川秀忠軍と一戦を交え勝利したが、西軍が破れ親子とも紀州九度山に幽閉された。
 14年後、大阪冬の陣及び夏の陣で、真田信繁(幸村)は、赤い血の色、死を覚悟した赤一色の鎧兜に身を包み、赤の軍団として徳川家康をあと一歩のところまで追い詰め、さすがの家康も死を覚悟した。その4年前に父昌幸は、徳川ともう一戦交えたいとの野望を持ちながら亡くなっており、次男信繁(幸村)が父親譲りの戦いをし、戦後“日本一の兵”と謳われた。


「伊達政宗のシンボルともいえる、漆黒の鎧・・・・それは、政宗の乱世を”生き抜く”壮絶な決意の証。」「信州の小大名の次男として生まれた真田幸村。大坂冬の陣。幸村は最前線の砦・真田丸を拠点に徳川軍に圧勝」「猛然と襲いかかる政宗の黒い軍団!猛攻に耐え、機をとらえて一気に反撃する幸村の赤い軍勢」(出展:NHKHP)




「伊達政宗肖像画」(肖像画には、目を入れるようにと・・・政宗)



「真田信繁(幸村)肖像画」
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)



 伊達軍と真田軍は、大阪夏の陣で激突するが、双方が武将として信頼できるものと分かり、夏の陣のさなか、死を覚悟している信繁(幸村)は、娘を政宗に託す。後に有力な家来である“片倉小十郎”の妻となる。

 また、戦後各地の大名が、“日本一の兵 信繁(幸村)”の娘をもらいたいとの話もある。


 正月早々、親子で好きな戦国武将の歴史の一端を放映され、満足・・・・満足でした。


 見終わった娘から、「真田もよかったね。今度こちらに来たら、真田幸村終焉の地“安居神社”に行きやしょう。」と、メールが来ていた。(夫)


秋の日本一周・韓国クルーズ ~乗船記~ そのⅡ

2010-01-08 22:17:19 | 旅行
 私たちが客室に入って、しばらくすると各デッキ担当の女性が、“こちらのお部屋の担当です”と言いながら、宅急便で送っていた荷物を運んでくれた。
 この部屋に7日間も滞在するから、自宅のようにこの引き出しは、○○を、こちらには、△△をと・・・・・荷物を各引き出しに納めた。

 夕食は、5デッキのフォーシーズン・ダイニングルームで、1回目17時30分~19時15分、 2回目19時45分~21時30分。
私たちは、1回目で10分前くらいに出向くとスタッフが席まで案内してくれた。
 一組のご年配のご夫婦と同席となる。

 和食料理が少しずつ運ばれてくるまでのわずかな時間であったが、お隣の奥さんが、“耳が少し不自由だから、知らない顔をするかもしれないが、ごめんなさいね”と家内に言われ、こちらからは、余り話しかけない方がいいのかなと思ったようである。

 ところが、私がいろいろと話しかけるものだから、その奥さんも少しずつ話をされた。その日の夕食も大変美味しい料理で、見知らぬご夫妻と同席しながらも楽しい時間を過ごすことができた。

 食事を終え船内をあちらこちらと散策していると、フォトショップの前の壁に乗船時の記念写真が飾ってあり、私たちの写真を見つけ・・・・・・購入。
 乗船証(IDカード)を提示し下船時に清算とのこと。






 部屋に帰るとベッドメイキングされたベッド上に船内新聞(アスカデイリー)が、二部置いてあり、翌日の“食事やドレスコード、イベントなどのクルーズ中のスケジュール”が記載されており非常に便利である。

 部屋の方は、一日に数回掃除、ベッドメイキング、タオル交換など大変行き届いており、その内、担当の女性の名前は、“J”と言ってフィリピン出身と分かる。
 「おはようございます、Kさん」と名前を呼んでくれたので、「おはよう、J」と返し直ぐに仲良しに。





 気持ちのよい朝を迎え6時00分起床、昨夜神戸港を出港し明朝まで種子島方面へのクルージング。

 早速、バルコニーに出て見ると、気持ちの良い風に海の香りが漂って、瀬戸内海をゆったりと・・・・・・航行。


 朝食は、11デッキの洋食と5デッキの和食が選択できるので、和食に行くと既に多くの乗船客が、眺めの良い席に着いている。
 和食は、二種類のお粥、ご飯が選べ、お粥をよく食べた。おかずも毎食違っておいしいが、海苔、納豆、温泉卵は定番。

 朝食後、11デッキのビスタラウンジで、コーヒーを飲みながら、記念写真をパチリとそして、船首に出て朝の爽やかな風を受けながら、乗船客の皆さんと雑談を。





 同じく11デッキのパームコートに戻り、果物を食べていると夕食でご一緒した奥さんに出会い、しばらくいろいろと話に花が咲いた。
 このご夫妻とは、その後の航海中、あちらこちらで出会い、“800名近くいる乗船客の中で何度も出会うことは珍しいことよ“と言われる。





 10時00分から、救命胴衣を着けて、避難訓練があった。非難用ボートは、エンジン付き。飲料水・非常食・医療薬・信号弾・無線など完備で、150人乗りらしい。クルーが4名乗船とか。

 午後から、元NHKアナウンサー、宮川泰夫さんの講演会。
 ”のど自慢”の裏話を聞き、出場者の中には色々な訳ありの人もいて、涙の出る感動の裏話についつい聞き入った。
 今回、初めて聞く内容ばかりで、さすがプロのお話は聞く人の心を掴む話上手である。

 ゆったりとした二日目もいよいよ“ドレスコード・・・・・フォーマル”の時間である。とても緊張する中、家内とともにドレッシーに、5デッキのフォーシーズン・ダイニングルームのディナーに向かうエレベーターに、な・・何と、皆さん素敵な衣装で身を包み、ゆったりと楽しそう(咲・夫)