
「人という生きものは、他人のことはよくわかっても、てめえのことは皆目わからねえものでござんす」
3年前、家内の実兄から借りて読んだ「黒白」(剣客商売番外編)。
先般、もう一度読みたくなって買い求めた。
小野派一刀流の剣客・波切八郎は、御前試合の決勝で敗れた秋山小兵衛に真剣勝負を挑んだ。
小兵衛が2年後の勝負を約した。
ところが、八郎は辻斬りに身を落とした門弟を止む無く成敗することとなった。
そのことから、3代続いた道場を高弟に託し、野に堕ちていった。
浪々の身となった八郎は、座敷女中のお信に想いを通じたことで、波乱の人生を送ることとなる。
そのため、小兵衛との真剣勝負の日、その約定を違(たが)えるほどに剣客としての道をそれてしまった。

あれほどの剣客が約定を果たさないとは、よほどのことが起こったものと小兵衛は八郎が憎めない。
2人の剣客が、思わぬことからそれぞれ、違う道を歩きはじめる。
剣客商売の主人公・秋山小兵衛の若き日が、4歳下の波切八郎を描くことから、赤裸々に描かれている秀逸の作品。

どちらが黒で、どちらが白なのか割り切れない二人の剣客。
小兵衛の生きざまを描いた「剣客商売」のシリーズ、黒と白の狭間の色合いをとても大事にしている。
その狭間の色合いとは、つまり融通である。
これも、池波小説の神髄の一つであり、著者自身の描きたいテーマの一つである。
剣客商売の「小兵衛ファミリー」の人間味たっぷりの生きざま、そこには共感すべきものが多彩にちりばめられている。
人として生きるための大事なものが、行間の中に隠されていると言えよう。
最近、新聞欄を見ると毎日のように殺傷事件が報道されている。
それも病的なものが多くなっている。
人の心を持たない殺人鬼に成り下がっている事件。
これらは、幼少期からの躾のなさ、家庭教育の低下、学校教育の低下に要因があるのかも知れない。
先般、少女が同級生の少女を殺害した事件。
その親御さんは名士であったとか。
家庭環境がどこか、狂っていたのかも・・・。
一方、このような事件が起きると、評論家諸氏も多彩である。
「オネエ」言葉を発する教育評論家ももてはやされている。
また、医師不足といわれて久しい我が国、タレント化した医師が評論家としてもてはやされている。
男か、女かわからない風体のタレントも大いにもてはやされて、好き勝手な評論をしている。
どこか、世の中間違っていると思える。
まさに
“他人のことはよくわかっても、てめえのことは皆目わからねえもの”
なのかも知れない。
ブログを書き込んでいる当方も、そうなのかも・・・。
何度も、何度も読み返したくなる魅力タップリの池波小説、いえ池波文学。
その行間に触れることで、人間らしさ、日本人らしさを取り戻そうと思う毎日である。(夫)

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