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視聴率が相当に低かったとの今年の大河ドラマ「どうする家康」、17日(日)を持って最終回となった。
視聴率問題がいろいろと取りざたされるも、当方は最後までの1年間を見終えた。
これまでの戦国ものの描き方とは、大きく異なる違和感を持ちながらも、そこは目をつむって見終えたものである。
関ケ原から14年、方広寺鐘銘事件を切っ掛けにはじまった戦国時代最後の戦、大阪の冬の陣と夏の陣。
冬の陣では、真田丸を配した真田信繁が歴史の表舞台に登場する大活躍。
それもむなしく、徳川軍の大筒が大坂城天守に見事命中し、両軍が講和へと動き出す。
講和の条件である外堀を埋め立てる件、豊臣方が埋め立てるも一向にらちが明かないことに業を煮やした徳川方が、埋め立てを手伝うと称して次々と外堀を埋めるとともに内堀まで埋めてしまう。
つまり、難攻不落の大坂城も丸裸にさせられ、遂に夏の陣へと戦が動き始め、野戦を得意とする家康が遂に豊臣方を打ち砕き、淀君と秀頼親子に配下の武将共々大坂城の炎の中で打ち果てる。
真田信繁が家康の首へあと一歩まで迫るも、押し返され傷つき安居神社までたどり着き、徳川軍の兵士に討ち取らせることで生涯を閉じる。
安居神社で果てるシーンは描かれていない。
一方、大坂城では、織田信長の姪として凛とした強い淀君が描かれ、炎の中で自害する壮絶なシーンが描かれていた。
伯父・信長と同様に炎の中で最期を迎える。
また、秀頼も強い意志を持った豊臣の後継者として描かれており、最期は武士らしく割腹し見事に果てるシーンとなっていた。
秀頼の側近くにあった配下の武将も・・・お供仕ると自刃。
大坂の陣で豊臣方を滅ぼした家康も、戦のない世の中を作る礎を残し天に召される。
死の直前か、死した直後なのか瀬名と信康が登場。
これには驚いた。
さらに大坂夏の陣直前に信長の鯉の話がちらりと描かれ、これが伏線となって家康を天下人へと昇らせてきた三河武士たちが再び登場。
このドラマがスタートした頃、“海老すくい”の舞には・・・何、なに、これなに。
と、思っていたが、ドラマの最後に再び“海老すくい”が舞われエンディングとなった。
その“海老すくい、海老すくい”の掛け声が耳に残っている。
一風変わった戦国物であったが、文句も言いながらも1年間を楽しめた。(夫)

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