「天、いまだ我を見捨てたまわず」
「願わくば、われに、七難八苦をあたえ給え」
と、三日月に祈った山中鹿之介幸盛の半生記・雲州英雄記
戦国から幕末までの短編を収納した時代小説、「黒幕」の一遍に山中鹿之介幸盛を扱った作品を昨年末頃読み終えていた。そして、今改めて読み直した・・・。
この小説群の中には、短編が11編収められており、その内4編が真田物であり著者が得意とする分野でもある。その著者が、尼子再興を願って獅子奮迅の活躍をし、最後は非業の死を遂げる有能な戦国武将・山中鹿之介幸盛を書き綴っていたことを知らなかった。
尼子戦記では、やはり山中鹿之介幸盛を描いた南條範夫著「出雲の鷹」を以前読んだことがあるが、この著者の作品はどうも当方にはなぜかとても読みづらい。
どういうわけか、分からないが文体が硬いのか、当方の物の考え方にマッチしないのかも知れない。池波小説群と違って、登場人物たちの生きざままで入り込めないところがあるのかも・・・。
そのようなこともあり、尊敬する池波正太郎氏の著作「雲州英雄記」は、スイスイと読むことができて感銘を受けることも多かった。
ここでは、鹿之介が家中隋一の美男、家中隋一の豪傑として描かれている。鹿之介が尼子義久の近習になり、その後若手の家臣を指導する立場になった頃、既に芸州・毛利元就による出雲攻略によって尼子勢は敗戦著しく、富田城に封じ込められていた。
これは、生ぬるい重代の老臣たちによる作戦が次々と失敗したことが、大きな負け戦の要因であると鹿之介は考えていた。しかし、毛利の大軍によって富田城も開城し、殿である尼子義久、その弟たちは捉われの身、家臣の中にも元就の誘いで毛利軍に下ったものもあったとか。
鹿之介をはじめ200人余は、浪々の身となった・・・。その2年後、鹿之介は京の妙心寺に妻たちは近江の禅寺に住まいをしていた。何としても尼子再興を誓っていた鹿之介であるが、毛利家に捉われの身となっている義久たちが、毛利家からの歓待攻めにあってもはや戦(いくさ)する気力も萎えていることを知る。
そこで、鹿之介と鹿之介の叔父は、青年僧となって京にいる尼子勝久(義久の祖父と勝久の祖父が兄弟)を頭にして、尼子再興への道を探ることとなった。折しも京に上っていた織田信長の力を借りて、尼子再興への道を切り開くこととなる。
その信長にしてみれば、毛利を攻め落とすことで天下統一ができるため、尼子勢を最前線において毛利と戦させることも一興と考える。
「『うまくあやつれば、くそ力を出して働くやつじゃ。よいか、あやつっておけ。われらの役に立とう』
秀吉はちょっと厭な顔をしたが、すぐに平伏した」
どうやら、秀吉は鹿之介を気に入っているらしい。
鹿之介たちは、信長から軍費・武器弾薬を支援され尼子勝久を頂いて、毛利軍と再び戦をして尼子再興を行なうことを知った、尼子の旧家臣たちも参集。隠岐の島の豪族とも力を併せ毛利の砦を次々と打ち破った。
ところが、九州から戻ってきた吉川元春たち毛利勢の大軍に再び封じ込められ、鹿之介は伯耆の尾高城で捉われの身となった。
何と、鹿之介は尾高城の便壺から、逃亡してしまった。そして、その後、勝久らと共に岐阜に逃れていた。その岐阜城にいる信長が、建築中の安土城に移った頃、羽柴秀吉に中国遠征軍総司令官の命が下り、秀吉は鹿之介に先鋒(さきがけ)を進めると快く引き受ける。
勝久や鹿之介、尼子の一党は、播磨の国上月城を攻略する。ところが、攻略した上月城は、またしても吉川元春たちの大軍に囲まれる。一方、秀吉軍もこれを救援しようとするも同じ播磨の国の三木城が毛利についたことで、信長は上月城を捨てて三木城を落とせと厳命する。
ここに尼子再興を願っていた鹿之介の命運も尽きようとする・・・のである。
山中鹿之介については、おぼろげながら分かっていたが、この短編を読むことでいかに純粋で一点の目標である「尼子再興」のため、一命を賭して戦い抜いたのかがよく分かる。また、三日月に祈る「ロマンチスト」でもあったと・・・。
なお、鹿之介が岐阜に逃れている間、織田家の武将(客分としての武将)としても活躍していた頃、摂津の片田舎の豪農の娘に子を宿し、後に山中新六となった。その新六が日本の大財閥・鴻池家の先祖となったらしい・・・。
本当にこの池波小説は、どの一遍をとっても面白い。(夫)
(新潮文庫・・黒幕)
[追 記]~解説~
山陰地方の戦国大名尼子氏の家臣「山中鹿之助」が尼子氏を再興しようと奮闘する物語を描いた作品。
力と力のぶつかり合いが戦で、謀略は戦ではないと考える剛勇の鹿之助と、『天、いまだ我を見捨てたまわず』『われに、七難八苦をあたえ給え』と真剣に願うロマンチストの鹿之助が生き生きと描かれており、ドライな信長が鹿之助を見る目も鹿之助像を際立たせるのに一役買っている。
そして考え方が古く、尼子氏のみに固執し大局が見れず、己の力のみを頼りにする鹿之助は、その性格によってもたらされた結末を迎える。
(出典:HP”Reading Books”抜粋)
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「願わくば、われに、七難八苦をあたえ給え」
と、三日月に祈った山中鹿之介幸盛の半生記・雲州英雄記
戦国から幕末までの短編を収納した時代小説、「黒幕」の一遍に山中鹿之介幸盛を扱った作品を昨年末頃読み終えていた。そして、今改めて読み直した・・・。
この小説群の中には、短編が11編収められており、その内4編が真田物であり著者が得意とする分野でもある。その著者が、尼子再興を願って獅子奮迅の活躍をし、最後は非業の死を遂げる有能な戦国武将・山中鹿之介幸盛を書き綴っていたことを知らなかった。
尼子戦記では、やはり山中鹿之介幸盛を描いた南條範夫著「出雲の鷹」を以前読んだことがあるが、この著者の作品はどうも当方にはなぜかとても読みづらい。
どういうわけか、分からないが文体が硬いのか、当方の物の考え方にマッチしないのかも知れない。池波小説群と違って、登場人物たちの生きざままで入り込めないところがあるのかも・・・。
そのようなこともあり、尊敬する池波正太郎氏の著作「雲州英雄記」は、スイスイと読むことができて感銘を受けることも多かった。
ここでは、鹿之介が家中隋一の美男、家中隋一の豪傑として描かれている。鹿之介が尼子義久の近習になり、その後若手の家臣を指導する立場になった頃、既に芸州・毛利元就による出雲攻略によって尼子勢は敗戦著しく、富田城に封じ込められていた。
これは、生ぬるい重代の老臣たちによる作戦が次々と失敗したことが、大きな負け戦の要因であると鹿之介は考えていた。しかし、毛利の大軍によって富田城も開城し、殿である尼子義久、その弟たちは捉われの身、家臣の中にも元就の誘いで毛利軍に下ったものもあったとか。
鹿之介をはじめ200人余は、浪々の身となった・・・。その2年後、鹿之介は京の妙心寺に妻たちは近江の禅寺に住まいをしていた。何としても尼子再興を誓っていた鹿之介であるが、毛利家に捉われの身となっている義久たちが、毛利家からの歓待攻めにあってもはや戦(いくさ)する気力も萎えていることを知る。
そこで、鹿之介と鹿之介の叔父は、青年僧となって京にいる尼子勝久(義久の祖父と勝久の祖父が兄弟)を頭にして、尼子再興への道を探ることとなった。折しも京に上っていた織田信長の力を借りて、尼子再興への道を切り開くこととなる。
その信長にしてみれば、毛利を攻め落とすことで天下統一ができるため、尼子勢を最前線において毛利と戦させることも一興と考える。
「『うまくあやつれば、くそ力を出して働くやつじゃ。よいか、あやつっておけ。われらの役に立とう』
秀吉はちょっと厭な顔をしたが、すぐに平伏した」
どうやら、秀吉は鹿之介を気に入っているらしい。
鹿之介たちは、信長から軍費・武器弾薬を支援され尼子勝久を頂いて、毛利軍と再び戦をして尼子再興を行なうことを知った、尼子の旧家臣たちも参集。隠岐の島の豪族とも力を併せ毛利の砦を次々と打ち破った。
ところが、九州から戻ってきた吉川元春たち毛利勢の大軍に再び封じ込められ、鹿之介は伯耆の尾高城で捉われの身となった。
何と、鹿之介は尾高城の便壺から、逃亡してしまった。そして、その後、勝久らと共に岐阜に逃れていた。その岐阜城にいる信長が、建築中の安土城に移った頃、羽柴秀吉に中国遠征軍総司令官の命が下り、秀吉は鹿之介に先鋒(さきがけ)を進めると快く引き受ける。
勝久や鹿之介、尼子の一党は、播磨の国上月城を攻略する。ところが、攻略した上月城は、またしても吉川元春たちの大軍に囲まれる。一方、秀吉軍もこれを救援しようとするも同じ播磨の国の三木城が毛利についたことで、信長は上月城を捨てて三木城を落とせと厳命する。
ここに尼子再興を願っていた鹿之介の命運も尽きようとする・・・のである。
山中鹿之介については、おぼろげながら分かっていたが、この短編を読むことでいかに純粋で一点の目標である「尼子再興」のため、一命を賭して戦い抜いたのかがよく分かる。また、三日月に祈る「ロマンチスト」でもあったと・・・。
なお、鹿之介が岐阜に逃れている間、織田家の武将(客分としての武将)としても活躍していた頃、摂津の片田舎の豪農の娘に子を宿し、後に山中新六となった。その新六が日本の大財閥・鴻池家の先祖となったらしい・・・。
本当にこの池波小説は、どの一遍をとっても面白い。(夫)
(新潮文庫・・黒幕)
[追 記]~解説~
山陰地方の戦国大名尼子氏の家臣「山中鹿之助」が尼子氏を再興しようと奮闘する物語を描いた作品。
力と力のぶつかり合いが戦で、謀略は戦ではないと考える剛勇の鹿之助と、『天、いまだ我を見捨てたまわず』『われに、七難八苦をあたえ給え』と真剣に願うロマンチストの鹿之助が生き生きと描かれており、ドライな信長が鹿之助を見る目も鹿之助像を際立たせるのに一役買っている。
そして考え方が古く、尼子氏のみに固執し大局が見れず、己の力のみを頼りにする鹿之助は、その性格によってもたらされた結末を迎える。
(出典:HP”Reading Books”抜粋)
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