倫敦 とっかあた

ロンドン在住チェンバロ、ピアノ弾き のブログ。同居人は、不良猫と宇宙人かもしれないチェリストの旦那。

クープランとラモーのパリ

2017年09月04日 | 日記
チェンバロ奏者にとって
聖書的教本 L'art de toucher le clavecin を
お書きになった
フランソワ・クープラン。
早世した父もオルガ二スト。
叔父さんもオルガ二スト、
チェンバロの名手、作曲家のルイ。
フランソワは、彼らと区別して
大クープランと呼ばれてます。
クープラン家は
バッハ家と同様
音楽家一家。

クープラン家が
代々オルガ二ストを務めた
St Gervais 教会が
パリのマレ地区にあります。





ごく普通の教会とオルガンでした。
18世紀にタイムスリップして
クープランの弾くオルガンを
聴いてみたかった。

クープランはヴェルサイユ宮殿付きの
チェンバロ奏者だった筈。
どうやって教会のお仕事と
宮廷でのお仕事を
両立していたのかしらん?
ヴェルサイユとパリを
行ったり来たり。
さぞかし多忙だったことでしょう。



リュリのモノポリーであった
パリのオペラ界に
旋風を巻き起こしたラモー。


意外にもオペラ作曲家として
ダルダヌスで
デビューしたのは
50歳になってから。
それまでは、
オルガ二ストの職を探すのにも
苦労の連続。
地方都市ディジョン出身の
お上りさんラモー。
サラブレッドの
フランソワ・クープランみたいに
すいすい出世するには、
コネもお金も無かったんですね。
(大いにラモーに親近感!)

そんなラモーが、
成功してから
オルガ二ストを務めていた教会
St Eustache。



ラモーも
モーツァルトの母も
この教会に眠っています。
音楽の聖人セシリアを祀る一角に
2人の墓碑が。



ラモーはセレブになった後も
質素な暮らしを続けたようです。

彼の最期の住居は、
St Eustache や ルーブルに近い
Rue des bons enfants
(良い子通り)


彼がよく演奏した演奏会シリーズ
コンセール・スピリチュエールは
ルーブル宮に隣接する
テュルリー宮(今は公園)で
行われていたので、
近くを選んだんですね。

ついでに(ついでなのか?)
ルーブル美術館にも足を運びました。
ルーブル宮の屋根に
ズラリと並ぶ石像。
大概は哲学者、
政治家などです。
その中に
旦那がいきなり
作曲家Lalande を発見!

今でこそあまり知られていないけれど
当時は重要な作曲家だった彼。
Leçon des ténèbres を
私達は去年演奏したので
こんな所で思いがけなく
お会い出来て
嬉しい!


この後
石像を全て
チェックしようとする旦那を急かし


ルーブルの中には入らず、
Day 1 のディナーの時間となりました。




Day 2 は楽器博物館へ。
続く。











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