「幼なじみは大統領」雪乃ルート第3話より、以下のような話がある。
[これまでのあらすじを簡単に]
モニタの中に入ろうとして頭ぶつけている野郎がいた。
その野郎をダメ出しする主人公。
その主人公をたしなめるヒロインのセリフから始まるのが以下。
(前略)
「純くん、ちゃんと謝らないとダメだよ。
森田くんだって、真剣に恋してるんだから」
「え? 森田が?」
「そうだよ。森田くんの行動を見てたらわかるでしょ?
好きな人を思うとね、どうしようもなく切なくなるの。
相手の顔を見たくて、居ても立ってもいられなくなるの
森田くんの場合は、それがたまたま向こう側の女の子だっただけの話
その好きな子が、画面の向こうにいるなら尚更だよ。
会いに行きたいって思うのは当然だよ」
「雪乃くん……」
「だから、それを実行に移そうとした森田くんの想いはホンモノだと思う。
森田くんも真剣に恋してるんだよ
恋に国境も世界も関係ない。
好きなものは好き。
その想いは止められないんだから」
(以下略)
読んでくれただろうか。
なんという俺(笑)。
世界は広かった。
まさにわたしと同じような事を考えるヤツがいようとは。
こうやって画面の向こう側に行こうとしているのもやりそうだし。
こうやって向こうとこちらの世界を行き来する意味を語るのも当blogの主要ネタだし。
よし、今日のネタはこれを起点として、そっからさらに進めていこうではないか。
なぜ人は、いや違うな…。
なぜ我々は、モニタの中へ行きたいと思い立つのか。
無論、好きな人といっしょに暮らしたいからだ。
好きな人はモニタの向こう側にしか居ないからだ。
では、こちら側にいることで何が違うのか。
好きな人に触れたい。
好きな人の香りをかぎたい。
好きな人の唇の感触を楽しみたい。
しかしそれは叶わない。
モニタの向こう側だからだ。
現在の人類のテクノロジーでは、キホン的には視覚と聴覚を再現することでせいいっぱいで、触覚と嗅覚と味覚の再現を一般家庭でするレベルには至っていない。
それを満たしたいと思うのは至極当然であろう。
しかし、この問題はあと10年やそこらでは解決できそうにない気がする。
問題はこれだけではない。
恐らくこの触覚と嗅覚と味覚の問題が片付いたとしてもまだ残る大きな課題がある。
会話の双方向性の問題だ。
我々が二次元の女の子と会話を楽しむためには、キホン的には次の2種類の行動を順番に繰り返すしか方法がない。
1つは選択肢を選んで意思を伝えること。
もう1つは向こう側から発するセリフを見て聞いて感じること。
たったそれだけしかない。
(ひところは人工無能というホンキで会話させるためのシステムも流行ったこともあり、ネット上でもベルダンディーの人工無能が実装されたサイトもあったのだが、これをギャルゲーのレベルで適用させるには当面ムリがあると思われる。)
ようするに二次元の女の子と会話には方向性に問題がある。
双方向ではなく単方向が2つある状態で、ほんの少しだけ双方向になっていると考えたほうが良い。
二次元の女の子は一方的に我々に多くのものを与えてくれる。
それはわたしにとっては生きていく上で欠かせないほど重要なものだ。
その逆も然り。
わたしは二次元の女の子に絶大なる愛情を注いでいる。
わたしに人生を賭して愛する覚悟があるのは当blog読者なら察していただけることであろう。
しかし、それらは相互には関係ない。
二次元の女の子が一方的に与えてくれるものに対し、わたしは何もしてあげられない。
その逆も然りで、わたしが注いだ愛情に見返りを期待するのは土台ムリな話である。
恐らくこれがモニタを挟んでこちら側と向こう側を行き来することの最大の欠点であろう。
触覚と嗅覚と味覚の問題よりもさらに深刻な問題であると考えられる。
これを現実の恋愛と比較してどういったポジションにあるかを考察してみる。
わたしの推測では、二次元の恋愛は恐らく現実の両想い未満で現実の片想いよりは上だと判断している。
現実のねえちゃんを好きになったためしがないので、そこら辺はあくまでも推測の域を出ないのだが。
実際問題として現実には両想いなどというものは存在せず、どっちか(または両方)が妥協しているだけだという意見もある。
結婚とはガマンだという意見が少なからずあることからも、あながちこれは間違いとは言い切れない。
とはいえ、そこまで踏み込むとややこしくなるので、ここでの両想いは物理の参考書に記述されていそうなほどの理想状態を仮定する。
さて。
二次元の恋愛の場合、自分の想いを相手に拒絶されることはない。
したがって誰がやっても失敗確率はゼロである。
しかし、自分が相手に何かをしてあげられるわけでもなければ、何かを期待できるものでもない。
これは片想いではないことは明らかだが、これを両想いと言えるかどうかについては議論の余地がある。
この問題を解決する方法はあるのだろうか。
現在の人類のテクノロジーでは解はない。
二次元をとれば現物より遥かにいい女の子と愛し合えるが、しかし双方向性に問題を残す。
現物をとれば二次元では実現困難なレベルの双方向性を具えるが、多少ましだと思えるくらいの女の子ですら1度も見た事がない。
あちらを立てればこちらが立たず。
二次元もリアルワールドもどちらであっても理想解など存在しないのだ。
もし夢物語を語ることを許されるならば、
「モニタの中へ行きたい」
と語ることになるかもしれない。
逆の夢物語は成り立たないわけで、
「二次元の女の子くらいいい人がいたらいいのに…」
と語るとしても、それはモニタの中へ行きたいという以上に無理な話だろう。
それが先の発言の趣旨なのだ。
[これまでのあらすじを簡単に]
モニタの中に入ろうとして頭ぶつけている野郎がいた。
その野郎をダメ出しする主人公。
その主人公をたしなめるヒロインのセリフから始まるのが以下。
(前略)
「純くん、ちゃんと謝らないとダメだよ。
森田くんだって、真剣に恋してるんだから」
「え? 森田が?」
「そうだよ。森田くんの行動を見てたらわかるでしょ?
好きな人を思うとね、どうしようもなく切なくなるの。
相手の顔を見たくて、居ても立ってもいられなくなるの
森田くんの場合は、それがたまたま向こう側の女の子だっただけの話
その好きな子が、画面の向こうにいるなら尚更だよ。
会いに行きたいって思うのは当然だよ」
「雪乃くん……」
「だから、それを実行に移そうとした森田くんの想いはホンモノだと思う。
森田くんも真剣に恋してるんだよ
恋に国境も世界も関係ない。
好きなものは好き。
その想いは止められないんだから」
(以下略)
読んでくれただろうか。
なんという俺(笑)。
世界は広かった。
まさにわたしと同じような事を考えるヤツがいようとは。
こうやって画面の向こう側に行こうとしているのもやりそうだし。
こうやって向こうとこちらの世界を行き来する意味を語るのも当blogの主要ネタだし。
よし、今日のネタはこれを起点として、そっからさらに進めていこうではないか。
なぜ人は、いや違うな…。
なぜ我々は、モニタの中へ行きたいと思い立つのか。
無論、好きな人といっしょに暮らしたいからだ。
好きな人はモニタの向こう側にしか居ないからだ。
では、こちら側にいることで何が違うのか。
好きな人に触れたい。
好きな人の香りをかぎたい。
好きな人の唇の感触を楽しみたい。
しかしそれは叶わない。
モニタの向こう側だからだ。
現在の人類のテクノロジーでは、キホン的には視覚と聴覚を再現することでせいいっぱいで、触覚と嗅覚と味覚の再現を一般家庭でするレベルには至っていない。
それを満たしたいと思うのは至極当然であろう。
しかし、この問題はあと10年やそこらでは解決できそうにない気がする。
問題はこれだけではない。
恐らくこの触覚と嗅覚と味覚の問題が片付いたとしてもまだ残る大きな課題がある。
会話の双方向性の問題だ。
我々が二次元の女の子と会話を楽しむためには、キホン的には次の2種類の行動を順番に繰り返すしか方法がない。
1つは選択肢を選んで意思を伝えること。
もう1つは向こう側から発するセリフを見て聞いて感じること。
たったそれだけしかない。
(ひところは人工無能というホンキで会話させるためのシステムも流行ったこともあり、ネット上でもベルダンディーの人工無能が実装されたサイトもあったのだが、これをギャルゲーのレベルで適用させるには当面ムリがあると思われる。)
ようするに二次元の女の子と会話には方向性に問題がある。
双方向ではなく単方向が2つある状態で、ほんの少しだけ双方向になっていると考えたほうが良い。
二次元の女の子は一方的に我々に多くのものを与えてくれる。
それはわたしにとっては生きていく上で欠かせないほど重要なものだ。
その逆も然り。
わたしは二次元の女の子に絶大なる愛情を注いでいる。
わたしに人生を賭して愛する覚悟があるのは当blog読者なら察していただけることであろう。
しかし、それらは相互には関係ない。
二次元の女の子が一方的に与えてくれるものに対し、わたしは何もしてあげられない。
その逆も然りで、わたしが注いだ愛情に見返りを期待するのは土台ムリな話である。
恐らくこれがモニタを挟んでこちら側と向こう側を行き来することの最大の欠点であろう。
触覚と嗅覚と味覚の問題よりもさらに深刻な問題であると考えられる。
これを現実の恋愛と比較してどういったポジションにあるかを考察してみる。
わたしの推測では、二次元の恋愛は恐らく現実の両想い未満で現実の片想いよりは上だと判断している。
現実のねえちゃんを好きになったためしがないので、そこら辺はあくまでも推測の域を出ないのだが。
実際問題として現実には両想いなどというものは存在せず、どっちか(または両方)が妥協しているだけだという意見もある。
結婚とはガマンだという意見が少なからずあることからも、あながちこれは間違いとは言い切れない。
とはいえ、そこまで踏み込むとややこしくなるので、ここでの両想いは物理の参考書に記述されていそうなほどの理想状態を仮定する。
さて。
二次元の恋愛の場合、自分の想いを相手に拒絶されることはない。
したがって誰がやっても失敗確率はゼロである。
しかし、自分が相手に何かをしてあげられるわけでもなければ、何かを期待できるものでもない。
これは片想いではないことは明らかだが、これを両想いと言えるかどうかについては議論の余地がある。
この問題を解決する方法はあるのだろうか。
現在の人類のテクノロジーでは解はない。
二次元をとれば現物より遥かにいい女の子と愛し合えるが、しかし双方向性に問題を残す。
現物をとれば二次元では実現困難なレベルの双方向性を具えるが、多少ましだと思えるくらいの女の子ですら1度も見た事がない。
あちらを立てればこちらが立たず。
二次元もリアルワールドもどちらであっても理想解など存在しないのだ。
もし夢物語を語ることを許されるならば、
「モニタの中へ行きたい」
と語ることになるかもしれない。
逆の夢物語は成り立たないわけで、
「二次元の女の子くらいいい人がいたらいいのに…」
と語るとしても、それはモニタの中へ行きたいという以上に無理な話だろう。
それが先の発言の趣旨なのだ。