教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

わが文体

2010-01-29 00:00:57 | オタネタ全般
ひところの純文学の世界では、作品の設定やストーリーなんかよりも文体のほうが大事だとか言われていた時代があったらしい。
その時代の純文学志望者は、自分の文体を確立せんがために作品の中身がおざなりになったり、単に文豪の先生の文体をマネてコピーしようとしたり、そんな時代もあったようだ。

しかし!

文体などよりも中身のほうが大事なのは、SF小説愛好家やラノベ愛好家ならば誰しもが理解しておろう。

そうはいっても当blogを改めて見直してみると、どうもわたし流の文体ができているような気がするので、今日は自分でそれについて考えてみたい。


わたしの文体の典型的パターンはこうだ。

 ・○○というものがある。
 ・○○はイマイチだ。
 ・しかし!
 ・世の中には△△というものがある。
 ・△△は素晴らしい。
 ・わたしが△△に・・・とかどうのこうの。
 ・締め。

世間では起承転結で書くのが王道とされる。
わたしのもちゃんと起承転結になっているときもある。
しかし、どうもわたしの文体は起「転」「承」結になっているようだ。

そして、「~であるのだ」的な少し堅苦しい妙な解説的なノリで、じつにしょうもない事をクソ大げさに取り上げてみる、そんな特徴もある。
そもそも、こんな文体で二次元の女の子への愛を語るというのだけでも、自分で書いててアレなんだが、なんだかより変態的だ。

また、冷静なんだけど何だか熱い、それもにぎやかにホットなわけではなく、静かに魂が熱い、そんな感じがすると思う。

わたしは自分では作文の才に秀でているとは思っていないが、そんなヘボいアマチュア物書きの割には自分の文体が確立しているというのは良いことなのかもしれんと思った。