アイマス2では雪歩の声優交代するらしいと聞いた。
わたしは雪歩ファンではないので、この問題について深く立ち入ったところでしょうがない面もあるため、一般的に声優交代というものについて考えてみたい。
この問題を考えるにあたり、自分のなかに重要な定義を課さなければならない。
まず自分の立ち位置として、
「好きなキャラの声優とはいったい何なのか?」
という事を自問自答し、答えを出さなければ始まらない。
わたしはかつて結論を出した。
わたしは
『声優とは、キャラを作るための部品である』
と解釈した。
アニメやゲームでキャラを作るには声優が必要である。
顔グラや絵師や性格設定などが必要なのと同じ意味において。
その意味で部品の1つであると言うのは誇張表現ではない。
部品の1つが諸事情で使えなくなったらどうするか。
キャラを使うのを止めるのか?
そうではなかろう。
代替品を用意してキャラを使いつづけるだろう。
工業製品においては部品の1つが諸事情で使えなくなるなど日常茶飯事である。
不況になったら「売れないから」という理由で部品メーカーはバシバシ製造中止にしてくる。
そういうときは一般的には似たような部品を探してきて使うことになるわけだが、まあそれはおいといて。
とはいえ、
「声優はそんなに代替がきくものではない!」
そういう反論はあるだろう。
それについての解をアップルのPCで例えてみたい。
かつてマックはモトローラの68000シリーズやIBMのPower PC系を使っていた。
しかし、68000シリーズの進化は途中で止まり、Power PCもパソコン用のようなハイパフォーマンスな製品を作るのをやめだした(組み込みのような用途に特化しはじめていた)。
アップルはなんとキーデバイスであるCPUをIntelに乗り換える決断をした。
この決断は正しかったのか?
当時、熱心なファンは熱心であるほど反対していた。
しかし、Power PCの次世代品で使えるものが出てこない事が確定した以上、Intelに乗り換える以外に方法がなかった。
結果、どうだったか。
Intel入りのマックはそこそこ受け入れられた。
恐らく、マックのマックらしさはOSにあり、CPUの選択にはなかったからであろう。
それと同じ事が声優にも言えないだろうか。
声優は部品といったって、控えめにみてもキーデバイスなのは間違いない。
だから仕様変更はキャラの性質をガラリと変更しかねない。
しかし!
キャラの本質とは何かと問いたい。
キャラの本質とは声ではない。
顔グラでもない。
心である。
キャラの心が惚れたその人である限り、それ以外のものは最悪変更可能である。
アイマス2での雪歩の声優交代劇。
あれこれ読んでいると、旧声優さんはもう雪歩の仕事に乗り気でないように見える。
仕事ヤル気ないヤツにムリヤリ仕事をさせたところで、その人でよかったと感動するだけの成果を期待するのは無理がある。
仕事ヤル気ない以上、変更するのは必然だし、きっとムリヤリ旧声優さんに続けてもらうよりも良い成果は出してくれるだろう。
雪歩の良さは何かと問う。
声も大変素晴らしいが、しかしそれが1番ではない。
ルックスも大変素晴らしいが、しかしそれが1番ではない。
やはりいちばん素晴らしいのは雪歩の心。
声優を変更しないという事は、雪歩である事の絶対条件ではないように思うのだ。