教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

兵器 と 殺す事

2010-07-13 00:10:17 | シューティング
http://hyakuninnissyu267.blog13.fc2.com/blog-entry-18.html

amatukaze氏のblogのとある記事を読ませていただいた。

なかなか興味深い事だ。
そこには、死に対する抵抗感と、戦闘機や戦艦などの兵器に対するあこがれとの矛盾、そういうったものが語られている。
いい機会なので、当blogでもネタにしてみようかと思い至った。



この問題は古くからあるテーマであろう。
世界各国の神話からして、悪いヤツを殺すことが主要テーマになっているからだ。

たしかに戦闘機や戦艦などの兵器に対するあこがれは存在する。

なぜあこがれるのか。
それは単純明快だ。
強いからだ。

いい証拠がある。
強くもない兵器には誰も憧れない。
たとえばパチモンのイージス艦と言われる韓国の世宗大王級に憧れるヤツなど誰一人としていない。

これは何を意味するのか。
本当に、単に人を殺す目的のモノに憧れているだけなのか。

・・・そうかもしれない。

しかし、わたしはそれだけではないと信じたい。
わたしだって、剣と魔法の冒険物語は大好きだし、戦記モノも大好きだし、それが単に殺人衝動の気分的代替とは思いたくないからだ。

では、どう解釈すべきか。

これを解くカギはシューティングにある気がする。

シューティングゲームとは、早い話が読んで字のごとく敵を撃ち殺すゲームであると言えなくも無い。
というか、初めて見た人はまんまその通りにしか見えないだろう。

しかしシューティングの本質はそうではない。
シューティングの本質は弾を避けることにある。

百倍するどころか万倍もする絶望的な戦力差の中、絶対に避けられそうにもないような敵弾を死に物狂いでかいくぐり、そして生きて帰る。
それがシューティングの本質である。

シューターはかっこいい。
それはなぜだろうか。

それはシューティングの自機が強いからではない。
もしそうであれば、どんなヘッポコシューターでもカッコ良く見えるはずだ。

それは敵を倒したからではない。
もしそうであれば、改造して無敵モードでやっているインチキプレイを見てもカッコ良く感じなければおかしい。

シューターのかっこよさ。
それは、絶望的な戦力差の中、生きて帰ってきた事がカッコ良いのだ!



わたしは戦闘機や戦艦などの兵器に対するあこがれもそこにある気がする。

強い兵器はカッコいい。
なぜなら、圧倒的な戦力をもってして攻めてくるかもしれない敵に対し、その敵を前にして生きて帰ってくるだけの実力があるからだ。

ふつうは平時にはそんな事は思いもしない。
しかし戦時下においては、強い兵器は自分たちを理不尽な死から守ってくれる守護神のような存在でもある。

人殺しの道具が守護神だとか言うと反論を思いつく人がいても無理は無い。
しかし、いくら口で平和を唱えたところで、いくら自分が正しいと主張したところで、敵に殺されたら終わりである。
我々の命を守ってくれるあのモノたちに憧憬の念を抱くことが、それがなぜ悪いと言えようか。