教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

予定調和的な不幸の青(あの夏)

2012-03-11 00:01:57 | オタネタ全般
あの夏で待ってる第9話。
いい最終回だった・・・いやまだ最終回じゃないらしいが。

このアニメは柑菜(通称:青)がじつに不幸だな。
すなおでいいヤツなんだけどな。

けど不幸なんだよな。
予定調和的なまでに確定的に不幸なんだよな。

なんでだろう・・・?

主人公に見初められなかった。
ただそれだけの理由からだ。

実はこういうのは男女逆にして考えてみればありがちパターンなことに気がつく。

「いい人なんだけどね~。でも彼氏にって感じじゃないのよね~」

年間100万件くらい発生してそうな事案だということがこれでわかろう。



イチカ先輩にあって柑菜になかったものは何なんだろうか。
イチカ先輩にだけある決定的なものは何なんだろうか。
柑菜が選ばれなかった原因は何なんだろうか。

いくつか思い浮かべてみた。
だが、そのどれもが決定的なものとは言い難い。
これでは柑菜にやってきた予定調和的な不幸は回避しようがない。

通常、この手のものはカタルシスで語られる。
だから予定調和的な不幸は、本来ならば半ば当然だと皆が納得するかたちで描かれるのが普通なのだ。

古典的代表例でいえば ”風とともに去りぬ” だろう。
めっちゃワガママで我の強すぎるメインヒロイン。
控えめで良妻賢母的なサブヒロイン。
メインヒロインが最初に惚れた男が、メインヒロインを切ってサブヒロインに飛びついたのも無理からぬことだと視聴者は皆そう思う。
そしてメインヒロインが次に惚れた男もまためっちゃワガママなヤツで、こいつもワガママがすぎて破綻した。
それがカタルシスだ。

しかし!

“あの夏で待ってる” はそうではない。
柑菜は主人公にふられて当然だとは誰一人思わない。
とんだピエロ女史は、カタルシス的にそりゃあそうなるだろう的なものはあったけどな。



この世は理不尽に溢れている。
努力とは無縁の何か根本的なところで勝敗が予め決まっていることもままある。
“あの夏で待ってる” はそんなアニメだった。

わたしは別にこのアニメのシナリオを非難したいわけではない。
むしろ高評価したいと申し上げたい。

ただ、柑菜のことは我々皆が全部見ていたぞと言ってやりたい。



とはいっても我輩のイチオシはレモン先輩だがな!

「うふふふふ・・・ 私の貧乳がいいなんて、あなたとんだヘンタイさんね」
などと不遜な目つきで見られたい(笑)。