マギ 第2期 第6話「優しい人」。
マギも来おった。
ガリレイドンナの第5話と同等、いやそれを上回るほどダークだった。
ラストは呼吸を失うほど衝撃的だった。
はじめてマギはいい作品だと思った。
これまでマギは良い子すぎた。
少年マンガの王道にこだわりすぎた。
ジャンプのあれ、勇気 友情 勝利にあまりに忠実すぎた。
ある意味において勇気 友情 勝利の展開は水戸黄門である。
必ずオヤクソク展開で決了する。
しかし!
今回のマギは違った。
もし王道展開なのであればだな。
まずラスボスのあのオバハンとガチで戦いになっていたはずだ。
そしてその戦いで戦死するか、またはふつうにとっ捕まって牢屋にぶち込まれて悪者は退治されましたのハッピーエンドになるはずだった。
なのに。
正義の味方が、あからさまな私的な恨みで処刑するのかよ。
おまけに。
母親に裏切れたのを思いだしたそのタイミングで、片想いの女にまで振られるのかよ。
効いたわ。
このマドーラのシナリオ、
「どうせ本筋の展開にあまり関係なさそうな話数稼ぎみたいな話なんだろ? そんなことより本編進めてくれたほうが・・・」
などとはじめ思っていた。
だが、そんなことは全くなかった。
うれしい衝撃を受けた次第である。
最近どうもどっかのシナリオカタログから取ってきてつけたような陳腐すぎるハッピーエンドの小話が増えすぎている気がしてならない。
シナリオライターからすれば、子供にとって心温まる良い話ができたなどと自己満足に浸っているのかもしれないが、むしろその意図のほうが鼻について嫌になるくらい臭いときもままある。
いかにもありがち展開な、誰でも安心して見ていられる、良い子に見せたい的な、そんな展開にわたしは食傷しているのだ。
年60クール近くひたすらひたすらアニメを見ていると、他でもこれ見れるじゃんというような展開に食傷してしまうのは半ばしかたがないのかもしれん。
そのアニメにしか描けないような、そのアニメをそのために見るような、そんな展開がぜひとも欲しい。
マギも来おった。
ガリレイドンナの第5話と同等、いやそれを上回るほどダークだった。
ラストは呼吸を失うほど衝撃的だった。
はじめてマギはいい作品だと思った。
これまでマギは良い子すぎた。
少年マンガの王道にこだわりすぎた。
ジャンプのあれ、勇気 友情 勝利にあまりに忠実すぎた。
ある意味において勇気 友情 勝利の展開は水戸黄門である。
必ずオヤクソク展開で決了する。
しかし!
今回のマギは違った。
もし王道展開なのであればだな。
まずラスボスのあのオバハンとガチで戦いになっていたはずだ。
そしてその戦いで戦死するか、またはふつうにとっ捕まって牢屋にぶち込まれて悪者は退治されましたのハッピーエンドになるはずだった。
なのに。
正義の味方が、あからさまな私的な恨みで処刑するのかよ。
おまけに。
母親に裏切れたのを思いだしたそのタイミングで、片想いの女にまで振られるのかよ。
効いたわ。
このマドーラのシナリオ、
「どうせ本筋の展開にあまり関係なさそうな話数稼ぎみたいな話なんだろ? そんなことより本編進めてくれたほうが・・・」
などとはじめ思っていた。
だが、そんなことは全くなかった。
うれしい衝撃を受けた次第である。
最近どうもどっかのシナリオカタログから取ってきてつけたような陳腐すぎるハッピーエンドの小話が増えすぎている気がしてならない。
シナリオライターからすれば、子供にとって心温まる良い話ができたなどと自己満足に浸っているのかもしれないが、むしろその意図のほうが鼻について嫌になるくらい臭いときもままある。
いかにもありがち展開な、誰でも安心して見ていられる、良い子に見せたい的な、そんな展開にわたしは食傷しているのだ。
年60クール近くひたすらひたすらアニメを見ていると、他でもこれ見れるじゃんというような展開に食傷してしまうのは半ばしかたがないのかもしれん。
そのアニメにしか描けないような、そのアニメをそのために見るような、そんな展開がぜひとも欲しい。