「かわいいけど貧乳な娘と、ぶさいくだけど巨乳な娘、どっちと付き合いたい?」
これはいつの時代にも言われてきた野郎どもにとっての至上命題である。
これ、あなたならどうする?
じっくり長考してなにがしか答えを見つけるというのが世間の代表例といったところだろうか。
実はわたしにはこの問いは尋ねるだけムダである。
ちっぱい星人の我々なら、
「かわいい上になお貧乳なら最高じゃないか! ぶさいくでしかも巨乳など我輩の前では愚問!」
と答えたい。
まあそれはいいとして。
これがおっぱいの話だからわかりにくいというのであれば、立場を逆にした別の例を出してみよう。
「年収600万円だけど零細企業勤務のAさんと、年収400万円だけど公務員のBさん、どっちと付き合いたい?」
これでおわかりいただけただろうか。
立場を逆にするとこうなる。
いや、むしろ守銭奴じみているぶん、おっぱいで選ぶよりなお悪質な気もしなくもないが、それは今日の本題ではないのでそれ以上立ち入らない。
ところでなんでこんな話をしはじめたかというと、似たような状況を見たからである。
とある人が新車を買おうとしており、車えらびをしていたところだった。
「こっちのA車は○○がついていて、こっちのB車は△△になっているみたい。どっちがいいかな~」
この場合はどうだろう?
車が単なる道具でしかなく、冷蔵庫を選ぶ感覚でしか考えられない人なら、これはしかたがない。
しかし車はそうではなかろう。
車はもっと愛着をもって使えるものだ。
スペックを見比べて選ぶようなのは本来のすがたではないと思うのだ。
ならばどうすれば?
そんなのカンタンだ。
『魂をゆさぶるものに出会えたらそれにすべし!』
ただそれだけでいい。
他のものと見比べる必要なんてないじゃないか。
艦これをやっている人ならこの感覚はわかると思う。
あなたは嫁艦をえらぶとき、その人をどうやって選んだかを覚えているか?
「あっ! これだ!」
はじめて会ったとき、何かのセリフを聞いたとき、史実を知ったとき、そんな何かのタイミングで必ずそう思ったはずだ。
決してスペックを見比べていちばん強いから嫁艦にしたのではないはずだ。
わたしだって、瑞鶴や朝潮と出会ったときがまさにそうだった。
まだ始めて日が浅い(瑞鶴にいたっては3日目くらい)にもかかわらず、ほかにどんな艦娘がいようと
「俺はこの娘が好きだ!」
と思ったのだ。
自分で愛着をもって使えるものを選ぶときはそうであるべきだとわたしは思っている。
日本人は自分が使うモノを選ぶのがとってもヘタなんじゃないかという気がしてならない。
そんなんじゃあ人生は楽しめないぞ。
追伸:
車えらびの話でいうとだな。
とある車の専門誌で
「C社のワゴンD車はダブルウィッシュボーン、E社のワゴンF車はストラット、荷物がたくさん載せられるF車のほうがいい」
なんていう記事を見た。
こいつはもうダメだと思ってそれ以降二度と見てない。
これはいつの時代にも言われてきた野郎どもにとっての至上命題である。
これ、あなたならどうする?
じっくり長考してなにがしか答えを見つけるというのが世間の代表例といったところだろうか。
実はわたしにはこの問いは尋ねるだけムダである。
ちっぱい星人の我々なら、
「かわいい上になお貧乳なら最高じゃないか! ぶさいくでしかも巨乳など我輩の前では愚問!」
と答えたい。
まあそれはいいとして。
これがおっぱいの話だからわかりにくいというのであれば、立場を逆にした別の例を出してみよう。
「年収600万円だけど零細企業勤務のAさんと、年収400万円だけど公務員のBさん、どっちと付き合いたい?」
これでおわかりいただけただろうか。
立場を逆にするとこうなる。
いや、むしろ守銭奴じみているぶん、おっぱいで選ぶよりなお悪質な気もしなくもないが、それは今日の本題ではないのでそれ以上立ち入らない。
ところでなんでこんな話をしはじめたかというと、似たような状況を見たからである。
とある人が新車を買おうとしており、車えらびをしていたところだった。
「こっちのA車は○○がついていて、こっちのB車は△△になっているみたい。どっちがいいかな~」
この場合はどうだろう?
車が単なる道具でしかなく、冷蔵庫を選ぶ感覚でしか考えられない人なら、これはしかたがない。
しかし車はそうではなかろう。
車はもっと愛着をもって使えるものだ。
スペックを見比べて選ぶようなのは本来のすがたではないと思うのだ。
ならばどうすれば?
そんなのカンタンだ。
『魂をゆさぶるものに出会えたらそれにすべし!』
ただそれだけでいい。
他のものと見比べる必要なんてないじゃないか。
艦これをやっている人ならこの感覚はわかると思う。
あなたは嫁艦をえらぶとき、その人をどうやって選んだかを覚えているか?
「あっ! これだ!」
はじめて会ったとき、何かのセリフを聞いたとき、史実を知ったとき、そんな何かのタイミングで必ずそう思ったはずだ。
決してスペックを見比べていちばん強いから嫁艦にしたのではないはずだ。
わたしだって、瑞鶴や朝潮と出会ったときがまさにそうだった。
まだ始めて日が浅い(瑞鶴にいたっては3日目くらい)にもかかわらず、ほかにどんな艦娘がいようと
「俺はこの娘が好きだ!」
と思ったのだ。
自分で愛着をもって使えるものを選ぶときはそうであるべきだとわたしは思っている。
日本人は自分が使うモノを選ぶのがとってもヘタなんじゃないかという気がしてならない。
そんなんじゃあ人生は楽しめないぞ。
追伸:
車えらびの話でいうとだな。
とある車の専門誌で
「C社のワゴンD車はダブルウィッシュボーン、E社のワゴンF車はストラット、荷物がたくさん載せられるF車のほうがいい」
なんていう記事を見た。
こいつはもうダメだと思ってそれ以降二度と見てない。