オーストラリアで、日本の風習を維持し続けるのは難しいけれど
結構、こだわって続けていることがある
例えば年越し蕎麦だとか、お正月のお餅を
食べることだとか。
ただ、こちらで年越し蕎麦の場合、その季節が真夏なので
ソバが“ざるそば”になることもあるけれど
そして3月3日に、おひな様を飾ることも、私のこだわりの一つ
この写真のおひな様は、元々私の物だったけれど
娘が生まれて2か月目に、様子を見にパースに来てくれた父が
実家から、わざわざ持って来てくれたわけ
息子が生まれた時には、父は息子の初節句のお祝いにと
こいのぼりを買って送ってくれたけれど
そのことでは、孫たちにちょっと不公平だと気にしていたようす。
「あのおひな様はお前のだったろう?やっぱり、新しいのを買ってあげれば良かったなぁ」と。
でも、私はこのおひな様が大好きだし、娘も気に入ってくれている
小さいけれど、何ともほのぼのとした可愛い顔しているんだもの。
人形って、ちょっと間違えると不気味で怖いものだけど
これだけは、いつまでも眺めていられるし、見ていると
本当に心が安らいで幸せな気分になれる。
やっぱり、両親の真心がこもっているのかなって思う。
忘れもしない、これを初めて見た時の、あの超大感動
幼い時の自分は、あまり、あれが欲しいこれが欲しいって言わない子供だったと思うけど
なぜか、おひな様だけは欲しかったんだよね。
でも、ああいうのは高いものだからって、子供心にいつしか諦めていた。
そして、確か私が小学校2年生ぐらいの時
両親は、このおひな様を内緒で買ってくれた。
私は、その当日まで何も知らなくて、想像もしていなくて。
ただ、ある日、何か得体の知れない荷物(=おひな様)が突然届き
その中身を開けようとしない母を見て、不思議に思っていた。
3月3日前夜。
真夜中にふと目が覚めてしまい、眠れなくなったので
階下に下りて行ったら、まだ茶の間の明かりがついていた。
「ママ、寝れないんだけど・・・」って声をかけてふすまを開け
その目の前の光景に、心臓が止まるかと思ったほどに驚いた
母が、おひな様を飾ろうと格闘している真っ最中じゃないですか
「あーーっ
」って言う叫び声に、兄まで起きて来ちゃって。
かなり長く、その場にボーゼンと立ち尽くしていた私。
おひな様を手に、いたずらが見つかった時のように“しまった”という風な母。
後ろから兄が「あれぇ、おひな様じゃん」ってのんきな声。
3人でぼ~っとしていたけど(あの時父はどこにいたのかは、永遠の謎
)
やがて母ががっくり肩を落として
「なぁ~んだ・・・起きちゃったか。せっかく、驚かそうと思ってたのに・・・」って。
あの残念そうな母の顔は、今も忘れられない。
あの時、起きなきゃ良かったなって、まだ思っている。
子供心に、母の計画(たくらみ)をおじゃんにしたことは、申し訳なく
3日の朝に、無事に並び終わったおひな様を見て
「わーーっ
おひな様だぁ
」と、わざとらしく驚いて無理やりはしゃいで見せたら、母が
「お前ねぇ
夜中にそれ、もう見たでしょう
」って苦笑していたっけ。
自分はどうも、昔から演技と言うやつはできないらしい。
話を聞いたらどうやら、母にはおひな様を並べるのが難解だったらしく
あの時、既にものすごく時間がかかっていたそうだ
親っていうのは大変なものだね
おひな様たちは、ちゃんと専用のガラスのケースに飾るようになっていたけれど
それはパースには持って来れなかった。
で、写真のおひな様は、どうやって飾ってあるかと言うと
ビデオテープを重ねて作った段々に、赤い布をかぶせて
そこに、お人形たちをそれなりの位置に並べてあるだけ
娘が小さかった時は、毎年このおひな様と娘の写真を撮っていたのに
今年、我が家の雛は、大学へ行って疲れて帰って来て
ご飯を食べて、テレビを見て、さっさと寝てしまって
簡単にカメラから逃げられた
何だよ、つまんないなぁ
このママだって、せっかく真夜中にがんばってセッティングしたのに
とは言え、自分だって、もう3月3日だということを
実はほとんどド忘れしていたのだけどね
全国の娘さんたちに、幸あれ
結構、こだわって続けていることがある

例えば年越し蕎麦だとか、お正月のお餅を

ただ、こちらで年越し蕎麦の場合、その季節が真夏なので
ソバが“ざるそば”になることもあるけれど

そして3月3日に、おひな様を飾ることも、私のこだわりの一つ

この写真のおひな様は、元々私の物だったけれど
娘が生まれて2か月目に、様子を見にパースに来てくれた父が
実家から、わざわざ持って来てくれたわけ

息子が生まれた時には、父は息子の初節句のお祝いにと
こいのぼりを買って送ってくれたけれど
そのことでは、孫たちにちょっと不公平だと気にしていたようす。
「あのおひな様はお前のだったろう?やっぱり、新しいのを買ってあげれば良かったなぁ」と。
でも、私はこのおひな様が大好きだし、娘も気に入ってくれている

小さいけれど、何ともほのぼのとした可愛い顔しているんだもの。
人形って、ちょっと間違えると不気味で怖いものだけど

これだけは、いつまでも眺めていられるし、見ていると
本当に心が安らいで幸せな気分になれる。
やっぱり、両親の真心がこもっているのかなって思う。
忘れもしない、これを初めて見た時の、あの超大感動

幼い時の自分は、あまり、あれが欲しいこれが欲しいって言わない子供だったと思うけど
なぜか、おひな様だけは欲しかったんだよね。
でも、ああいうのは高いものだからって、子供心にいつしか諦めていた。
そして、確か私が小学校2年生ぐらいの時

両親は、このおひな様を内緒で買ってくれた。
私は、その当日まで何も知らなくて、想像もしていなくて。
ただ、ある日、何か得体の知れない荷物(=おひな様)が突然届き
その中身を開けようとしない母を見て、不思議に思っていた。
3月3日前夜。
真夜中にふと目が覚めてしまい、眠れなくなったので
階下に下りて行ったら、まだ茶の間の明かりがついていた。
「ママ、寝れないんだけど・・・」って声をかけてふすまを開け
その目の前の光景に、心臓が止まるかと思ったほどに驚いた

母が、おひな様を飾ろうと格闘している真っ最中じゃないですか

「あーーっ

かなり長く、その場にボーゼンと立ち尽くしていた私。
おひな様を手に、いたずらが見つかった時のように“しまった”という風な母。
後ろから兄が「あれぇ、おひな様じゃん」ってのんきな声。
3人でぼ~っとしていたけど(あの時父はどこにいたのかは、永遠の謎

やがて母ががっくり肩を落として
「なぁ~んだ・・・起きちゃったか。せっかく、驚かそうと思ってたのに・・・」って。
あの残念そうな母の顔は、今も忘れられない。
あの時、起きなきゃ良かったなって、まだ思っている。
子供心に、母の計画(たくらみ)をおじゃんにしたことは、申し訳なく
3日の朝に、無事に並び終わったおひな様を見て
「わーーっ


「お前ねぇ


自分はどうも、昔から演技と言うやつはできないらしい。
話を聞いたらどうやら、母にはおひな様を並べるのが難解だったらしく
あの時、既にものすごく時間がかかっていたそうだ

親っていうのは大変なものだね

おひな様たちは、ちゃんと専用のガラスのケースに飾るようになっていたけれど
それはパースには持って来れなかった。
で、写真のおひな様は、どうやって飾ってあるかと言うと
ビデオテープを重ねて作った段々に、赤い布をかぶせて
そこに、お人形たちをそれなりの位置に並べてあるだけ

娘が小さかった時は、毎年このおひな様と娘の写真を撮っていたのに
今年、我が家の雛は、大学へ行って疲れて帰って来て
ご飯を食べて、テレビを見て、さっさと寝てしまって
簡単にカメラから逃げられた

何だよ、つまんないなぁ

このママだって、せっかく真夜中にがんばってセッティングしたのに

とは言え、自分だって、もう3月3日だということを
実はほとんどド忘れしていたのだけどね

全国の娘さんたちに、幸あれ
