こんにちは。
今日は空倶楽部の活動に参加がてら
前回のブログ記事の続きをアップしたいと思います。
よろしくお願いいたします^^
空倶楽部は『9』が付く日に皆さんで
いろんな空の写真をアップして楽しみませんかという集まりです。
(恒例の出遅れです、いつもすみません)
詳細はかず某さん、chacha◯さんまでどうぞ。
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【オットのRさんと私は9月半ば〜10月初めにかけて
パース⇄キャンベラ往復7953kmのドライブ旅行に挑戦しました。】
2017年9月18日
この日最初の目的地、南オーストラリア州都アデレードから
北に156kmの内陸にある小さな町Burra:バーラに到着しました。
ここは義母の故郷でもあり
Rさんが子供の頃いっとき、住んでいた町です。
私は結婚した翌年、つれてもらって来たことがありますが
それ以来なので、にじゅう…はち?年ぶりでした
↓さっそく町の展望台に向かいました。
煙突の上で“おじさん”がお出迎え。
この方、昔から居るそうです(笑)
バーラは1848年〜1877年、銅の鉱業で栄えました。
(20世紀に入って二回、再開しましたが1981年に閉鎖。)
1851年頃の人口は約5000人、当時のオーストラリアでは7番目に人口が多く
内陸の町としてはトップだったそうです。
鉱山が閉鎖されてからは人口はどんどん減って、今は1000人ほどだとか。
ゴーストタウンになりかねませんでしたが
農業や観光で経済が成り立っているようです。
↓露天掘りだった鉱山の現場が保存されています。
28年前に来た時は3月の異常に暑い日で40℃もあり
生まれて初めてそんな気温を体験した私、鼻血を出す程ばてました
でも今回は爽やかな日、風は強かったけれど
はなぢも出ず快適でした(爆)
この丘からの眺めが良かった〜。
先ほどの煙突も見えます。
反対側の方向には、朝、車中から眺めていたお山の全景が見えました。
風力発電のタービンがたくさん並んでいます
道を下りて町の中へ。
↓こちらは1874年にできたタウンホールです。
2006年に補修工事が行われたとのこと。
中は歴史資料館があり、一般の人も行事や会議に借りれるようです。
次回、もう少し時間がある時に中を見学してみたいな。
タウンホールの側を流れる
Burra Creek(バーラ川)
この橋がなんだか風流で気に入りました
バーラはビクトリア朝(1837〜1901年)の建物の特徴が
とても良い状態で保存されており
町全体が歴史的遺産として大事にされているようです。
なかなか綺麗なかわいい町でした。
時間がゆっくり流れているような静かな田舎町を後にして
またバタバタと次なる場所へ向かいました。
旅話、続きます。
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おまけ話:
バーラで、Rさんの記憶を頼りに義母が住んでいた家を見に行くことにしました。
(その家はもうかなり昔に他の人に渡っていました。)
最初は通り過ぎ、もう一度戻って見つけた義母の元実家は
家の前に売り出し中のサインが立っていました
遺産の町だからか、Rさん曰く
家は補強がされていたり、昔には無かった倉庫が加わっているけれど
形はほぼ思い出の中のままだそうで。
そもそも家がまだあったことに驚きつつ
写真と一緒に、娘のA美にメッセージをしたら
「ダディー、そのお家買いなよ〜!」と返事が来たので爆笑しました。
こんな遠くにお家買ってどーすんねん(笑)
でもほんと、どなたがあのお家を買うのかな
Rさんのもう一人のC叔父さん(義母の弟)が
今もこの町に住んでいます。
前日に電話をしても出なかったので、とりあえず訪ねていったところ
やはりお留守で会えませんでした。
仕方なく、おじさんの家の周りの写真を記念に撮っていたら
ご近所の方に見つかり「何かご用ですか?」と声をかけられ…
『しまった、おもいっきり不審者だよね自分』
…と焦りながら説明したら
「Cさんは今朝、アデレードに出かけて行きましたよ〜」とのこと。
うわ〜〜、見事なすれ違い
Rさん、残念そうでしたがまぁ仕方ない。
ご近所の方にお礼を言って、旅を続行することにしました。
Cおじさん、また次の機会に会いましょう
おしまい