今日は午後から梅田へお出かけ。
学部時代のドイツ語メイトとおやつタイムを。
ひとしきり、かつてのクラスメイトのことや先生の話に花が咲く。
おやつタイムを共にした一人はドイツで働いていて、ただ今一時帰国中。
本場ドイツで働く彼女の話にBENは羨望のまなざし。
憧れはあっても、なかなか動けないのが実のところ。
自分はいろいろと吹っ切れない部分があるもんで。
夜は大安売りでごっぞり買った豆腐ディナーを。
本日のメニューは鶏&豆腐のクリーミーそぼろ丼、おかずはツナチーズ豆腐。
腹いっぱいで、コタツの上でうつらうつらしてたらメールの着信。
実家の母から朗報が。
中3の時のホストファミリーのママが、今年Y沢に来るのだという。
毎年行われているY沢市とSークブルク市の派遣行事。
今年はドイツからY沢市へ学生が来る番で、ママはその引率で。
この家族との付き合いは今年でなんと9年目に突入。
中3以来ずっと、手紙やメールでやりとりを続けている。
母親同士も、季節やイベントごとにグリーティングカードのやりとりをしている。
どちらもカタコト英語。そのカタコト具合とミステイクが微笑ましくて。
高1の時、その派遣行事でママとEva(うちの2コ下の女の子)が我が家へ来た。
Evaは映画の中から出てきたようなキュートさ。やんちゃで元気そのもの。
ママははつらつとしておしゃべりが大好き。映画「ミセスダウト」の奥さん役の女優さんに似ている。
BENの両親にとっては、外国人が家にくるなんて大事件で、リフォームだとか、Y沢温泉予約せなとか、父は逃げるぞとか、とにかく来るまでテンヤワンヤ。
ほんで実際来たら、予想外に和やかにもてなす父と母。BENの心配なんぞつゆ知らず。
あー、そもそもBEN家は、人がうちに集まるのを好む一家でしたね。
なんや心配して損した。
翌年、BENの父は他界。
誰が知らせたのか、ホストファミリーから日本の不祝儀袋に書かれたメッセージが届く。
日本の儀式にそぐわすようにと、その優しい心遣いったら、言葉にならない。
当時やりとりはずっと英語だった。
きっとこのときからでしょうね、自分の言葉(ドイツ語)で家族にお礼が言いたいと強く思ったのは。
その言語にしかないコノテーション(含意・内包)があるから、その言葉で自分の思いを伝えたいと思うのです。
それは今も変らず、BENの最大の研究テーマ。
そして大学からドイツ語を始める。
今度はドイツ語でのやりとり。
BENがセミナーや旅行でドイツへ行った時はいつも、快く滞在させて下さって
そのもてなしったら半端じゃない。その都度、母と姉への労いの言葉も忘れない。
作られた優しさじゃなくて、そこには自然に出た優しさがあるって思った。
ドイツ人らしい実直さもこの家族にはある。
嫌いなものや、逆境からにげちゃダメだよって、ホストファミリーのパパはよく聞かせてくれた。
BENはこの家族がホストファミリーじゃなかったらきっと今、ドイツ語勉強していなかっただろう。
3度目のドイツ。帰途、『また来年!すぐ会えるよ。』とママ。
ドイツまでの飛行時間・約13時間、時差7時間。
物理的にはこんなにも遠いのに、ドイツはもういつでもすぐ行ける場所なんだって思えた瞬間だった。
帰途のあの言葉はこのことだったのかな。
今日の朗報で、萎えていた気持ちに少し変化があった。
秋になったら二週間ほどY沢に帰ろう。
そして通訳ボランティアをさせてもらおう。
手伝いになるかわからんけれども。
最近、働くってなんだろうとか、自分今なにやってんのとか。。。そんなことをウダウダ考えるばかりで動けないでいた。背中にはネガティブ様が満員御礼。
そんなときは、何をやってもさえなくて、すぐイライラして。
自分の不甲斐なさに落胆するばかり。
意志がなかったら、何ごとも続かないよね。
あの家族にはまだまだ伝えたい思いがいっぱいあります。
でも、ドイツ語でうまく言えない。
頑張らなきゃね。
また明日から気持ち新たにゆこうっと。
学部時代のドイツ語メイトとおやつタイムを。
ひとしきり、かつてのクラスメイトのことや先生の話に花が咲く。
おやつタイムを共にした一人はドイツで働いていて、ただ今一時帰国中。
本場ドイツで働く彼女の話にBENは羨望のまなざし。
憧れはあっても、なかなか動けないのが実のところ。
自分はいろいろと吹っ切れない部分があるもんで。
夜は大安売りでごっぞり買った豆腐ディナーを。
本日のメニューは鶏&豆腐のクリーミーそぼろ丼、おかずはツナチーズ豆腐。
腹いっぱいで、コタツの上でうつらうつらしてたらメールの着信。
実家の母から朗報が。
中3の時のホストファミリーのママが、今年Y沢に来るのだという。
毎年行われているY沢市とSークブルク市の派遣行事。
今年はドイツからY沢市へ学生が来る番で、ママはその引率で。
この家族との付き合いは今年でなんと9年目に突入。
中3以来ずっと、手紙やメールでやりとりを続けている。
母親同士も、季節やイベントごとにグリーティングカードのやりとりをしている。
どちらもカタコト英語。そのカタコト具合とミステイクが微笑ましくて。
高1の時、その派遣行事でママとEva(うちの2コ下の女の子)が我が家へ来た。
Evaは映画の中から出てきたようなキュートさ。やんちゃで元気そのもの。
ママははつらつとしておしゃべりが大好き。映画「ミセスダウト」の奥さん役の女優さんに似ている。
BENの両親にとっては、外国人が家にくるなんて大事件で、リフォームだとか、Y沢温泉予約せなとか、父は逃げるぞとか、とにかく来るまでテンヤワンヤ。
ほんで実際来たら、予想外に和やかにもてなす父と母。BENの心配なんぞつゆ知らず。
あー、そもそもBEN家は、人がうちに集まるのを好む一家でしたね。
なんや心配して損した。
翌年、BENの父は他界。
誰が知らせたのか、ホストファミリーから日本の不祝儀袋に書かれたメッセージが届く。
日本の儀式にそぐわすようにと、その優しい心遣いったら、言葉にならない。
当時やりとりはずっと英語だった。
きっとこのときからでしょうね、自分の言葉(ドイツ語)で家族にお礼が言いたいと強く思ったのは。
その言語にしかないコノテーション(含意・内包)があるから、その言葉で自分の思いを伝えたいと思うのです。
それは今も変らず、BENの最大の研究テーマ。
そして大学からドイツ語を始める。
今度はドイツ語でのやりとり。
BENがセミナーや旅行でドイツへ行った時はいつも、快く滞在させて下さって
そのもてなしったら半端じゃない。その都度、母と姉への労いの言葉も忘れない。
作られた優しさじゃなくて、そこには自然に出た優しさがあるって思った。
ドイツ人らしい実直さもこの家族にはある。
嫌いなものや、逆境からにげちゃダメだよって、ホストファミリーのパパはよく聞かせてくれた。
BENはこの家族がホストファミリーじゃなかったらきっと今、ドイツ語勉強していなかっただろう。
3度目のドイツ。帰途、『また来年!すぐ会えるよ。』とママ。
ドイツまでの飛行時間・約13時間、時差7時間。
物理的にはこんなにも遠いのに、ドイツはもういつでもすぐ行ける場所なんだって思えた瞬間だった。
帰途のあの言葉はこのことだったのかな。
今日の朗報で、萎えていた気持ちに少し変化があった。
秋になったら二週間ほどY沢に帰ろう。
そして通訳ボランティアをさせてもらおう。
手伝いになるかわからんけれども。
最近、働くってなんだろうとか、自分今なにやってんのとか。。。そんなことをウダウダ考えるばかりで動けないでいた。背中にはネガティブ様が満員御礼。
そんなときは、何をやってもさえなくて、すぐイライラして。
自分の不甲斐なさに落胆するばかり。
意志がなかったら、何ごとも続かないよね。
あの家族にはまだまだ伝えたい思いがいっぱいあります。
でも、ドイツ語でうまく言えない。
頑張らなきゃね。
また明日から気持ち新たにゆこうっと。
おやつタイムをご一緒したうちの一人、メガネっ子です。写真をダンケ!
次回も素敵カフェに行きませう
遊ぶ金は自らかせぐ。ってことじゃないのかしらん♪
ってことでアテクシは香港行ってきまーす。うひひ(^.^)
messe>うんうん、よーしゃべったよねー、店員のお兄さん、カミカミでおもろかったなぁ次回はケーキ食べよっ!引きこもり系Rさん来てくれるかしら(笑)
まきちゃん>いい格言ですなあなたは暇さえあればいつもおいしそうなもの食べていますよねハデに遊んできたまへ。おみやげよろー
ジーンとなっちまいましたさ・・
いい話です、しかし。
ほのぼのしました
aasaaって書くとなんかイカツイの