ここをご覧になることはないであろう、私が尊敬してやまない師匠を
プライバシーの問題に引っかからない程度にご紹介します。
私の指導教官であった師匠は、ナニワのおっちゃんです。(いきなり失礼やな)
ゆえに、コテッコテの大阪人であり、話にはいつもオチを求めてきます。
言語学者として名高い師匠でありますが、
公では実に謙虚で実直、そして誠実なのであります。
人間味あふれ、自分の研究の話、日常の話をしてくださる時、
まるで少年のような笑顔でニコニコしてくださいます。
師匠のそのニコニコが、私は大好きです。
こっちもニコニコしちゃいます。
しかし、ひとたびありえない文法の間違いでもしようものなら
「アホ!」「アホか!」「ドアホが!」と、アホの3段活用で落雷。
予習でドイツ語のテキストの音読をしてこなかったら、すぐばれます・・・。
授業内で習ったことを間違えると、
「お前そらティーチャーハラスメントやで!」
とお叱りを受けます。
日本語、ドイツ語はもちろんのこと、礼儀やマナーに関してもかなり厳しいです。
一回、授業に遅れそうになって廊下を走ったら、
「廊下は走らない!小学校で習ったやろ!!!」と怒られました。
院生にまでなって、こんな怒られ方をするとは・・・。
しかし、師匠の言うことはごもっとも。
M1の時、私、何回「アホ」と呼ばれたか数えようとしてたな・・・
(そんな暇あるなら勉強せいと、師匠の声が聞こえてきます・・・)
論文を執筆する上で、指導教官とのコミュニケーションは重要やと思います。
私は師匠がいなかったら、あそこまでの論文到底書き上げることはできなかったし、
人としても今ここまで這い上がることはできなかったかもしれません。
それくらい、師匠には頭が下がります。
とにかくひとつひとつが丁寧。かつ実証的で、教え方がうまい!
論文指導時間は、本当に厳しくガツーンと指導していただき
自分の不出来に凹む日々も少なくなかったけれど、
今となってはいい思い出です。
言葉遣い、あらゆる場面での応対、メールや公式文書作成に関しても
かなり鍛えられた気がします。
私、進学して師匠に師事できたことは
ほんま、誇りに思ってます。
って、直接ちゃんと言えなかった・・・・・
言いたい事を自分の言葉ですべて言いたかったのに
最後の日には、なんだかよけいなことしか話せなかった気がします。
師匠と話すと、ついつい嬉しくて楽しくて。
うーん、この気持ちは手紙に託して送ろう。
いつもは厳しいお顔をしている師匠ですが、
修了式と祝賀会でお話したときは、始終ニコニコしていました。
私の好きなニコニコ顔です。
「今日のお祝いや」といって、いつものようにポケットから
お菓子を差し出し、私の手にポイっとくださいました。
ただただ嬉しかったです。
祝賀会後に、少し時間を頂き、
師匠の研究室でお話させてもらいました。
泣くのをこらえるのに必死で、言いたいこと全て言い切れませんでした。
師匠ご自身が執筆し、この2年授業でずっと使ってきた本に
師匠から直々に一筆頂きました。
島崎藤村の和歌、「問答の歌」をサラサラと書かれ、
末尾に師匠から一言をハンコ付きでいただきました。
その和歌には、
『自分を見失わず、自分らしさを守り歩んでいけ』
といったような内容が書かれていました。
これは私にとって一生の宝物です。
世界にたったひとつしかない師匠の本です。
思えば、指導教官を正式にお願いしたときから、
師匠には目に見えない重い足かせをさせてしまい、
大きくて厄介な荷物を背負わせてしまったのかもしれません。
私は研究者として、本当に不出来だったからです。
とくにドイツ語読解力の未熟さを痛感させられる2年でもありました。
しかし、私の性格や病気などをよく理解していただき、
自分の不甲斐なさにいつまでも嘆いていても何も始まらないこと、
一つのことにとらわれすぎると狭い人間になってしまうこと、
それらを一番教えていただいたように思います。
自分にどこか気負いすることがあると、
引け目に感じてしまい凹んでしまうのが私の悪いクセ。
それでも、師匠とのコミュニケーションを円滑に行うため、
自分の中で最低限これは必ず守る!というものを持っていました。
それは
1、期限は必ず守る。
2、時間は必ず守る。
3、言い訳はしない。
4、挨拶・礼儀・報告・連絡・相談をおろそかにしない。
です。
ここだけは、師匠に対して自信を持っていえるかな。
これからもどんなコトバで、どう感謝の気持ちを伝えたらいいか分からないけど、
先生は言語学者。まして語用論のパイオニア。
きっと私の言外の気持ちも、師匠ならちゃんと把握してくれているんじゃないかな。
と、勝手に厚かましくも一方的な思いを抱いております。
純粋に、研究と生徒に教えることが好きな師匠。
回りくどいことや、皮肉、遠まわし表現を一切使わず、
いつもダイレクトに向かい合ってくれた師匠。
時々、頑固。足が速くて、お茶はいつも生茶。
机の中にはビスケットがいっぱい。
高校の時に父を亡くした私にとって、
時に厳しく、時にに優しく怒ったり褒めてくださったりする師匠は
本当にお父さんみたいな人でした。
早く健康になって、自立して、一人前の社会人になって、
師匠に朗報できるといいな。
すみません、ダラダラと長くなってしまいました。
でも、私、自分の尊敬する人、好きな人、好きなものごとに関して
熱く語らずにはいられないのです。
直接伝えるのが上手じゃないから。
もし、これを師匠が読んだら
「えーい、またダラダラと長く読み手に不親切な文章を!」
と、赤ペンで添削されて返ってきそうな気がしますw
プライバシーの問題に引っかからない程度にご紹介します。
私の指導教官であった師匠は、ナニワのおっちゃんです。(いきなり失礼やな)
ゆえに、コテッコテの大阪人であり、話にはいつもオチを求めてきます。
言語学者として名高い師匠でありますが、
公では実に謙虚で実直、そして誠実なのであります。
人間味あふれ、自分の研究の話、日常の話をしてくださる時、
まるで少年のような笑顔でニコニコしてくださいます。
師匠のそのニコニコが、私は大好きです。
こっちもニコニコしちゃいます。
しかし、ひとたびありえない文法の間違いでもしようものなら
「アホ!」「アホか!」「ドアホが!」と、アホの3段活用で落雷。
予習でドイツ語のテキストの音読をしてこなかったら、すぐばれます・・・。
授業内で習ったことを間違えると、
「お前そらティーチャーハラスメントやで!」
とお叱りを受けます。
日本語、ドイツ語はもちろんのこと、礼儀やマナーに関してもかなり厳しいです。
一回、授業に遅れそうになって廊下を走ったら、
「廊下は走らない!小学校で習ったやろ!!!」と怒られました。
院生にまでなって、こんな怒られ方をするとは・・・。
しかし、師匠の言うことはごもっとも。
M1の時、私、何回「アホ」と呼ばれたか数えようとしてたな・・・
(そんな暇あるなら勉強せいと、師匠の声が聞こえてきます・・・)
論文を執筆する上で、指導教官とのコミュニケーションは重要やと思います。
私は師匠がいなかったら、あそこまでの論文到底書き上げることはできなかったし、
人としても今ここまで這い上がることはできなかったかもしれません。
それくらい、師匠には頭が下がります。
とにかくひとつひとつが丁寧。かつ実証的で、教え方がうまい!
論文指導時間は、本当に厳しくガツーンと指導していただき
自分の不出来に凹む日々も少なくなかったけれど、
今となってはいい思い出です。
言葉遣い、あらゆる場面での応対、メールや公式文書作成に関しても
かなり鍛えられた気がします。
私、進学して師匠に師事できたことは
ほんま、誇りに思ってます。
って、直接ちゃんと言えなかった・・・・・
言いたい事を自分の言葉ですべて言いたかったのに
最後の日には、なんだかよけいなことしか話せなかった気がします。
師匠と話すと、ついつい嬉しくて楽しくて。
うーん、この気持ちは手紙に託して送ろう。
いつもは厳しいお顔をしている師匠ですが、
修了式と祝賀会でお話したときは、始終ニコニコしていました。
私の好きなニコニコ顔です。
「今日のお祝いや」といって、いつものようにポケットから
お菓子を差し出し、私の手にポイっとくださいました。
ただただ嬉しかったです。
祝賀会後に、少し時間を頂き、
師匠の研究室でお話させてもらいました。
泣くのをこらえるのに必死で、言いたいこと全て言い切れませんでした。
師匠ご自身が執筆し、この2年授業でずっと使ってきた本に
師匠から直々に一筆頂きました。
島崎藤村の和歌、「問答の歌」をサラサラと書かれ、
末尾に師匠から一言をハンコ付きでいただきました。
その和歌には、
『自分を見失わず、自分らしさを守り歩んでいけ』
といったような内容が書かれていました。
これは私にとって一生の宝物です。
世界にたったひとつしかない師匠の本です。
思えば、指導教官を正式にお願いしたときから、
師匠には目に見えない重い足かせをさせてしまい、
大きくて厄介な荷物を背負わせてしまったのかもしれません。
私は研究者として、本当に不出来だったからです。
とくにドイツ語読解力の未熟さを痛感させられる2年でもありました。
しかし、私の性格や病気などをよく理解していただき、
自分の不甲斐なさにいつまでも嘆いていても何も始まらないこと、
一つのことにとらわれすぎると狭い人間になってしまうこと、
それらを一番教えていただいたように思います。
自分にどこか気負いすることがあると、
引け目に感じてしまい凹んでしまうのが私の悪いクセ。
それでも、師匠とのコミュニケーションを円滑に行うため、
自分の中で最低限これは必ず守る!というものを持っていました。
それは
1、期限は必ず守る。
2、時間は必ず守る。
3、言い訳はしない。
4、挨拶・礼儀・報告・連絡・相談をおろそかにしない。
です。
ここだけは、師匠に対して自信を持っていえるかな。
これからもどんなコトバで、どう感謝の気持ちを伝えたらいいか分からないけど、
先生は言語学者。まして語用論のパイオニア。
きっと私の言外の気持ちも、師匠ならちゃんと把握してくれているんじゃないかな。
と、勝手に厚かましくも一方的な思いを抱いております。
純粋に、研究と生徒に教えることが好きな師匠。
回りくどいことや、皮肉、遠まわし表現を一切使わず、
いつもダイレクトに向かい合ってくれた師匠。
時々、頑固。足が速くて、お茶はいつも生茶。
机の中にはビスケットがいっぱい。
高校の時に父を亡くした私にとって、
時に厳しく、時にに優しく怒ったり褒めてくださったりする師匠は
本当にお父さんみたいな人でした。
早く健康になって、自立して、一人前の社会人になって、
師匠に朗報できるといいな。
すみません、ダラダラと長くなってしまいました。
でも、私、自分の尊敬する人、好きな人、好きなものごとに関して
熱く語らずにはいられないのです。
直接伝えるのが上手じゃないから。
もし、これを師匠が読んだら
「えーい、またダラダラと長く読み手に不親切な文章を!」
と、赤ペンで添削されて返ってきそうな気がしますw
師匠にそう思っていただけていればいいのですが、
たぶん私の一方的な片思いですよ(笑)
でも、ホンマに偉大な師匠でした。
ピロコ先輩もこれから新生活ですね。
またゆっくりお話しましょう
お会いできるの楽しみにしております
Enter二回押したらこんなことになってもうた・・。
またゆっくりおしゃべりしたいね
再会が待ち遠しいです
素敵だねぇ
先生にとっても、きっとBENちゃんは
可愛い教え子だったんだと思います
読んでいてこちらも嬉しくなりました