今回の「和田倉門」は、現在は橋のみ復元されていて、門は存在しません。
しかし、門跡の石垣はほぼそのまま現存していて、江戸城が復元できたらと願うクーとしては、門として是非この和田倉門の復元をお願いしたいと思っています。
東京駅から新丸ノ内ビルを過ぎ、日比谷通りを渡ると在る和田倉門跡は、
幕末当時は
こんな状況でしたが、撤去されずに明治になって修復され
門として存在していましたが、大正12年(1923年)9月1日の関東大震災で倒壊し、以後復元されず石垣だけの姿となっています。
和田倉橋の向こうにはパレスビルが迫り、「今」と言う時間を思い知らされます。
では和田倉橋を渡ってみましょう。
この石垣には「高麗門」が建っていました。その中は小さいながら桝形になっていて
桝形の中から橋を見ると、門がないのでビルだらけの画になって、とても寂しく感じます。
桝形内から櫓門跡を見たところです。
左右の石垣上に渡櫓があるとないとでは、この空間がまったく違うものになってしまいますね!
櫓門跡の中から高麗門跡を見たところです。
城内側から見た櫓門跡の石垣です。
江戸時代にあった蔵の跡地の現在は、
・・・のように、「和田倉噴水公園」になっています。
公園の正面から、巽櫓(桜田二重櫓)とその向こうの富士見櫓が良い感じに臨めて、お気に入りの眺めの一つとなっています。
左右にこんな噴水が
楽しめます。
そして、「皇太子殿下御結婚記念の碑」があります。