今回は天皇陛下のお誕生日の記帳と言う事で、普段は入れない「坂下門」から入り記帳を済ませ、やはり立ち入れない「富士見櫓」下をぐるっと回って、これまた普段は通れない「内桜田門(桔梗門)」から出る事が出来ましたので、そのうちの「富士見櫓」を集中的に見る角度を変えて撮る事が出来ましたのでUP してみました。
午前中の「一般参賀」に参加出来ませんでしたので記帳のみとなりましたが、参賀に参列出来ていれば、「正門石橋」を渡り「皇居正門(西の丸大手門)」をくぐってぐるっと回り、「正門鉄橋(二重橋)」の処で「伏見二重櫓とそれに続く多門櫓」を近くで観られ、その先の「書院櫓門」の石垣を通れたのに・・・
次の機会には必ずと思っています。
この古写真では「富士見櫓」の右下奥に「二の丸寺沢二重櫓」、その右に「弓矢多聞」、またその右手前に「蓮池御門」(現在は全く存在しません)がまだ存在しています。
クーが撮った此の上の写真は、古写真の左下の番所のあたりから撮っていると思われます。
現在の「蛤濠」の円い土手には、松の木が沢山大きく伸びていて、全体を見る事は出来ません。
こう言う古写真を見て、その場所に立ってみると、あの当時の侍達と同期して時代を瞬時に遡ってしまった感覚を覚えてワクワクしてしまうのでした!
それでは「蓮池濠」から長く続く石垣に沿って、「八方正面の櫓」と呼ばれた「富士見三重櫓」をぐるっと観賞しましょう!
ほぼ西面の姿です。一番端正な正面だと思います。
やや南側に回った姿です。
南西面の石垣の、算木積の綺麗な直線に沿って、三重の屋根も揃っています。
もう少し回りました。確かにどこから見ても美しいですね~!
ほぼ南面の姿です。
ちょっと東側から見た所です。ワイドで撮ってみると
石垣が右端でいったん途切れています。
本丸の「上埋門(かみうずみもん)」から下りてくる「下埋門(しもうずみもん)」があった跡が見えます。
芝生にはテニスコート跡が見え、侍達もテニスを楽しんだのでしょうか?
冗談ですよ~!
南東からの姿です。なるほど、どの面から見ても正面のようだと言われたのは理解出来ました。
石垣上の「富士見三重櫓」は確かにどこから見ても美しかったです。
江戸時代265年のうち、江戸初期の三代将軍家光公が建てた五層の天守閣が大火で燃えてからは、以後、徳川安定政権に「ただの五層の物見櫓は不必要」との家老の一声で再建案はなくなり、この「富士見三重櫓」が天守代わりとなっていました。
江戸城が三重櫓のままなのにと、近隣の川越藩や関宿藩など多くの藩は、この富士見櫓を真似て皆「御三階櫓」しか建てられませんでした。
そうそう、以前にもUP しましたが、本丸内からの富士見櫓の姿をどうぞ!
ほぼ北面からの姿が見られます。美しいには変わりないのですが、クーはやっぱり石垣上に建つ富士見櫓の姿が最高に美しいと思ってしまうのでした。
図面では本丸の南端にあります。通常は上写真の本丸からしか近くで見られませんが、皆さんも美しい姿を眺めに行って見てくださいませ!